「黒豹楽隊」の版間の差分
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+ | [[Image:Heibao_11.jpg|thumb|(写真:)]] | ||
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+ | '''黒豹楽隊'''(ヘイバオ、Heibao)は、[[北京市]]で活動しているバンド。[[中国人]](華僑)の中でアルバムが最も売れたバンドである。 | ||
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+ | == メンバー == | ||
*'''[[張淇]]''' [[ボーカル]](2013年3月 -) | *'''[[張淇]]''' [[ボーカル]](2013年3月 -) | ||
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'''張克鵬'''(張克芃) [[ボーカル]](? - 2013年3月) -- 2010年1月17日、[[北京市]]の[[星光現場音楽庁]]で行なわれたライブに参加。2011年1月8日、[[北京市]]の[[国家奥林匹克体育中心/2011年1月8日|国家奥林匹克体育中心]]で行なわれたライブに参加。 | '''張克鵬'''(張克芃) [[ボーカル]](? - 2013年3月) -- 2010年1月17日、[[北京市]]の[[星光現場音楽庁]]で行なわれたライブに参加。2011年1月8日、[[北京市]]の[[国家奥林匹克体育中心/2011年1月8日|国家奥林匹克体育中心]]で行なわれたライブに参加。 | ||
+ | === サポートメンバー === | ||
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+ | == 経歴 == | ||
+ | 1990年代、華人(中国人、華僑)の中で、最も売れたロックバンド。 | ||
+ | 1986年、郭傳林らが北京で沙棘藝術團を結成する。しかし、会社と関係が折り合わなく、1987年になり契約を破棄、黒豹楽隊と名称を変更する。李[丹彡]が名付け親であった。当時のメンバーには丁武(Vo&G)・李[丹彡](G)・王文傑(B)・程偉・王文芳(Dr)・宋英雲・董鵬(Key)がいた。1988年、郭傳林が演奏メンバーから外れ、マネージメント業に専念する。同じ時、丁武が脱退し、活動が休止となりかけた頃、巒樹(Key)と竇唯(Vo)をメンバーに加え、活動を再開した。しかし、この頃は金もなく、演奏する設備もなく、メンバーの心は黒豹楽隊から別のところにあった。郭傳林のおかげでどうにか、天安門事件後の困難を乗り切る。 | ||
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+ | 1990年、趙明義(Dr)を加え、メンバーが竇唯(Vo)・李[丹彡](G)・王文傑(B)・趙明義(Dr)・巒樹(Key)となり、固定する。この時、最初のオリジナル作品「臉譜」を創作する。5月、“深[土川]之春”コンサートに呼吸楽隊・1989楽隊・眼鏡蛇楽隊・常寛とともに参加する。コンサートは大成功となり、その結果、黒豹楽隊は多くのメディアから注目を浴びるようになった。この成功で、香港勁石公司(滾石公司の香港の子会社)との契約交渉が始まる。 | ||
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+ | 2005年3月のメンバー | ||
+ | 左から:趙明義・李[丹彡]・張克[艸/凡]・王文傑・惠鵬 | ||
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+ | 1991年、香港勁石公司と契約し、2ヶ月の間にレコーディングとMVを製作する。8月になり、香港と台湾で1stアルバムが発売となった。9月には、「Don't Break My Heart」が香港の音楽ランキングで、3週ほど1位に輝き、“大陸で最も優秀なロックバンド”と称される。間もなくして台湾の滾石唱片(ROCK RECORDS)と契約する。11月には、香港で行われた“嘉士伯音楽会”に参加した。 | ||
+ | 1992年12月、大陸でもアルバムが発売されることとなるが、大陸盤が発売されるまでの1年の間に、大陸中で多くの海賊盤が出回ってしまう。1stアルバムは、正規盤で150万本の大ヒットとなるが、海賊盤も同じくらいの本数が出回ってしまった。海賊盤に対し、レコード会社の対応に煮え切らないメンバーは滾石唱片との契約を破棄した。 | ||
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+ | 1stアルバムの頃 | ||
+ | 手前が竇唯 | ||
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+ | 当時、ロックアルバムは崔健しか発売していなかったため、ロックを知らない人々がこぞって彼らのアルバムに興味を示したことが売れた要因であろう。もちろん、アルバムの完成度はとても高いものであった。このアルバムの売上を超えたバンドは彼ら以前にも以後にも存在しない。当時、黒豹人気は彼らの知らないところにまで広まっており、雲南と長春では黒豹楽隊の名前を騙ったバンドが出現、かってにコンサートを開いていた。 | ||
+ | このように、人気は絶頂であったが、1991年10月、突然ボーカルの竇唯が脱退してしまう。そのため、秦[王奇]をボーカルとしてテストしたが、バンドに合わず、キーボードの巒樹がボーカルを担当することになった。1992年5月、王勇(Key)がサポートを務める。 | ||
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+ | 1993年4月より、馮小波(Key)が加入した。4月24・25日には、北京の首都体育館で1989楽隊と“臨終關懐(臨終まで配慮する)”合同チャリティコンサートを開く。 | ||
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+ | 2000年12月24日、温州市体育館で行われたコンサートより | ||
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+ | 8月、2ndアルバム『光芒之神』を発表した。 | ||
+ | 1994年4月には、日本のJVCと契約、11月には『光芒之神』を大友光悦ほか、日本人スタッフの手によりリミックスされ、新たな『光芒之神』として発売された。しかし、この頃には巒樹が脱退し、秦勇がボーカルとしてメンバーに加わっていた。 | ||
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+ | 1995年4月は、ラサで初のロックコンサートを開く。これは、チベットの歴史が始まって以来の快挙であった。 | ||
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+ | 1996年2月には、3rdアルバム『無是無非』がアジア地区で同時発売となる。1ヶ月足らずで、45万本を販売した。3月には、来日して東京・渋谷のクラブクアトロで単独ライブを行い、日本の音楽界に黒豹楽隊の存在を知らしめた。のち、香港の棉花倶楽部でソロライブを行う。5月には、香港の紅[石勘]体育館で行われた“我愛普通人(私は普通の人が好き)”コンサートに出演する。 | ||
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+ | 4thアルバム用に撮られた写真 | ||
+ | 左から:馮小波(Key)・王文傑(B)・趙明義(Dr)・李[丹彡](G)・秦勇(Vo) | ||
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+ | 1997年には、全国60都市で公演する。 | ||
+ | 1998年5月には4thアルバム『不能譲我的煩悩没有機会表白』がアジア地区で同時発売となる。9月18日には再び来日、東京の池袋AMULUXで開催された“ASIAN BEATS 夜総会’98”に出演する夜総会バンドのゲストとして、ライブを行った。この後、大阪(UEDA HEAT BEAT)と九州(福岡“アジア・マンス”)でもライブを行った。10月8日には、中国北京奥林匹克中心体育場でコンサートを開く。このコンサートは、北京ではかつてないほどの観客動員数を記録したほか、近年大型ロックコンサートを開くことが禁じられていた北京で開いたということで、とても意義のあるものであった。その時の音源は、翌年2月になってアルバム化された。 | ||
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+ | 1999年1月23日、雲南省昆明で行われた“拒絶毒品,珍愛生命(麻薬を拒み、命を大切に)”コンサートに8つのバンドとともに参加する。6月、“新郷第二届揺滾音楽節”に参加したほか、各地でコンサートを開くが、年末には、馮小波が脱退する。代わりに惠鵬(Key)が加入し、2000年には「桑塔露[王其]亜(サンタルチア)」、「体会(Rimix)」を発表する。 | ||
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+ | 春節(旧正月)過ぎから5月までの3回、中央電視台の番組「音画時尚」に出演し、「桑塔露[王其]亜(サンタルチア)」を演奏。ロックバンドとしては快挙であった。4月には、雲南世界博園一周年記念のイベントに参加した。 | ||
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+ | 竇唯脱退後のメンバー | ||
+ | 左から:趙明義(Dr)・王文傑(B)・李[丹彡](G)・巒樹(Vo&Key) | ||
+ | 雑誌『環球歌壇 中外明星画刊』(中国電影出版社、1992年)より | ||
+ | (写真提供:幸治隆子さん) | ||
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+ | 9月16日には、北京のオリンピックスタジアムで行われた“2000年現代音楽演唱会”に参加してトリを務め、なお中国一のロックバンドであるところを見せ付けた。10月、長年マネージメントを担当してきた竹書文化との契約が切れてから初めての曲、「没有[イ尓]」を発表した。同月8日には、北京工人体育場で行われた原創反盗維権大型演唱会に参加した。 | ||
+ | 2001年2月には、1998年10月8日に中国北京奥林匹克中心体育場で行われたコンサートが、VCDとなって発売された。5月12日、日壇公園で行われた“第三回ハイネケン夏季音楽祭”に出演した。9月19日、奥林匹克体育中心体育館で行われた北京サンミゲルビール賛助の“中国揺滾生力軍楽隊比賽総決賽(ロックバンドコンテスト決勝戦)”にゲスト出演した。 | ||
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+ | 2002年、北京麒麟童文化と契約する。7月11日、香港の伊利沙白体育館で行われた“国際揺滾音楽節”に参加した。12月25日、深[土川]の歓楽谷でソロライブを行った。 | ||
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+ | 2003年9月16日、北京朝陽公園で行われた“2003首届中国国際飲料節”に出演した。10月11日、北京展覧館劇場で行われた“北京中日青春歌友会”にSilver Ash楽隊や張亞東、日本の坂本美雨やBBBBと共に出演した。11月、中国ロック初期の曲を集めたオムニバス『吶喊 為了中国曾経的揺滾』が発売となり、そこに「別去糟踏」と「臉譜」が収録された。12月27日、南昌市紅谷灘市政広場で行われた“2003中国・南昌揺滾音楽節”に出演した。 | ||
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+ | 1999年後半からのメンバー | ||
+ | 左から:李[丹彡](G)・趙明義(Dr)・秦勇(Vo)・惠鵬(Key)・王文傑(B) | ||
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+ | 2004年1月30日、シンガポールで行われたロック音楽祭に参加した。7月、5thアルバム『黒豹Ⅴ』が発売となった。8月6日、寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山の麓で行われた“中国揺滾的光輝道路”大型音楽節に出演し、初日のトリを務めた。 | ||
+ | 2005年3月、秦勇が脱退し、新しく張克[艸/凡](大棚)(Vo)が加入した。5月1日、西安の陝西紅河谷森林公園で行われた“紅河谷現代音楽節”に参加した。5月27日、北京首都体育館で行われたBEYONDのラストコンサートに、前座として出演した。7月1日、北京工人体育場で行われた“和平的天空-記念世界反法西斯戦争勝利60周年大型演唱会”に参加した。7月30日、広西チワン族自治区北海の銀灘広場で行われた“北海国際海灘旅遊文化節”に参加した。 | ||
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+ | 2006年5月26日、哈爾濱の哈爾濱国際会展中心体育館で行われた“揺滾・経典中国-哈爾濱[口卑]酒演唱会”に参加した。6月17日、河北省唐山の唐山市体育中心田径場で行われた“唐山[口卑]酒揺滾演唱会”に参加した。7月20日、台湾台北県貢寮郷福隆県の福隆海水浴場で行われた“第七届貢寮国際海洋音楽祭”に参加した。7月22日、深[土川]の世界之窗で行われた“昨天-今天--南中国揺滾音楽節”に参加した。10月2日、北京国際雕塑公園北園で行われた“2006北京首届揺滾[口卑]酒節”に参加した。 | ||
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+ | 2007年3月2-4日、雲南省瀾滄市雲県で行われた“2007年度瀾滄江[口卑]酒狂歓節”に参加した。4月4日、星光現場音楽庁で行われた“STAND UP站起来 慈善募捐演唱会(肺癌となったレコーディングエンジニア・D哥 李國強のためのチャリティライブ)”に参加した。6月23日、石家庄の滾石娯楽城でライブを行った。7月22日、西安の曲江国際会展中心和諧広場で行われた“第五届西安曲江国際[口卑]酒節”に出演した。7月28日、海南省三亜市の亜龍湾希爾頓酒店で行われた“第四届沙灘慈善音楽会”に参加した。8月3日、長春の金樽酒[ロ巴]でライブを行った。 | ||
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+ | 2008年2月1・2日、北京工人体育館で行われた“BEYOND双傑北京演唱会”のゲストを務めた。やがて、普天同慶娯楽と契約した。そして、英語名をHot-Blooded Powerとした。3月19日、成都の驕子音楽庁で行われた“古井貢美酒音楽節”に参加した。4月7日、安徽省淮南市の淮南煤礦会堂で行われた“古井貢美酒音楽節”に参加した。4月9日、安徽省阜陽市の阜陽大劇院で行われた“古井貢美酒音楽節”に参加した。6月25日、星光現場音楽庁で“黒豹楽隊成立20周年記念活動啓動演唱会”を開いた。7月5日、四川省綿陽の五一広場で行われた“用吶喊釈放悲傷,用歌声唱響希望”慰問コンサートに参加した。9月30日、河北省唐山の月[土它]島で行われた“首届月[土它]島海洋音楽節”に参加した。 | ||
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+ | 2010年1月31日、黒龍江省大慶の大慶歌劇院でコンサートを開いた。 | ||
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+ | 大棚は2008年、文章と共に[シ文]川大地震被災者のための応援歌「永不放棄」を歌った。2010年1月17日、星光現場音楽庁で行われた“過年[口婁]首届揺滾春晩聯歓会”に参加した。 | ||
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== 主要なライブ・コンサート == | == 主要なライブ・コンサート == | ||
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+ | 1990年代、華人(中国人、華僑)の中で、最も売れたロックバンド。 | ||
+ | 1986年、郭傳林らが北京で沙棘藝術團を結成する。しかし、会社と関係が折り合わなく、1987年になり契約を破棄、黒豹楽隊と名称を変更する。李[丹彡]が名付け親であった。当時のメンバーには丁武(Vo&G)・李[丹彡](G)・王文傑(B)・程偉・王文芳(Dr)・宋英雲・董鵬(Key)がいた。1988年、郭傳林が演奏メンバーから外れ、マネージメント業に専念する。同じ時、丁武が脱退し、活動が休止となりかけた頃、巒樹(Key)と竇唯(Vo)をメンバーに加え、活動を再開した。しかし、この頃は金もなく、演奏する設備もなく、メンバーの心は黒豹楽隊から別のところにあった。郭傳林のおかげでどうにか、天安門事件後の困難を乗り切る。 | ||
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+ | 1990年、趙明義(Dr)を加え、メンバーが竇唯(Vo)・李[丹彡](G)・王文傑(B)・趙明義(Dr)・巒樹(Key)となり、固定する。この時、最初のオリジナル作品「臉譜」を創作する。5月、“深[土川]之春”コンサートに呼吸楽隊・1989楽隊・眼鏡蛇楽隊・常寛とともに参加する。コンサートは大成功となり、その結果、黒豹楽隊は多くのメディアから注目を浴びるようになった。この成功で、香港勁石公司(滾石公司の香港の子会社)との契約交渉が始まる。 | ||
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+ | 左から:趙明義・李[丹彡]・張克[艸/凡]・王文傑・惠鵬 | ||
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+ | 1991年、香港勁石公司と契約し、2ヶ月の間にレコーディングとMVを製作する。8月になり、香港と台湾で1stアルバムが発売となった。9月には、「Don't Break My Heart」が香港の音楽ランキングで、3週ほど1位に輝き、“大陸で最も優秀なロックバンド”と称される。間もなくして台湾の滾石唱片(ROCK RECORDS)と契約する。11月には、香港で行われた“嘉士伯音楽会”に参加した。 | ||
+ | 1992年12月、大陸でもアルバムが発売されることとなるが、大陸盤が発売されるまでの1年の間に、大陸中で多くの海賊盤が出回ってしまう。1stアルバムは、正規盤で150万本の大ヒットとなるが、海賊盤も同じくらいの本数が出回ってしまった。海賊盤に対し、レコード会社の対応に煮え切らないメンバーは滾石唱片との契約を破棄した。 | ||
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+ | 1stアルバムの頃 | ||
+ | 手前が竇唯 | ||
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+ | 当時、ロックアルバムは崔健しか発売していなかったため、ロックを知らない人々がこぞって彼らのアルバムに興味を示したことが売れた要因であろう。もちろん、アルバムの完成度はとても高いものであった。このアルバムの売上を超えたバンドは彼ら以前にも以後にも存在しない。当時、黒豹人気は彼らの知らないところにまで広まっており、雲南と長春では黒豹楽隊の名前を騙ったバンドが出現、かってにコンサートを開いていた。 | ||
+ | このように、人気は絶頂であったが、1991年10月、突然ボーカルの竇唯が脱退してしまう。そのため、秦[王奇]をボーカルとしてテストしたが、バンドに合わず、キーボードの巒樹がボーカルを担当することになった。1992年5月、王勇(Key)がサポートを務める。 | ||
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+ | 1993年4月より、馮小波(Key)が加入した。4月24・25日には、北京の首都体育館で1989楽隊と“臨終關懐(臨終まで配慮する)”合同チャリティコンサートを開く。 | ||
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+ | 1994年4月には、日本のJVCと契約、11月には『光芒之神』を大友光悦ほか、日本人スタッフの手によりリミックスされ、新たな『光芒之神』として発売された。しかし、この頃には巒樹が脱退し、秦勇がボーカルとしてメンバーに加わっていた。 | ||
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+ | 1995年4月は、ラサで初のロックコンサートを開く。これは、チベットの歴史が始まって以来の快挙であった。 | ||
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+ | 1996年2月には、3rdアルバム『無是無非』がアジア地区で同時発売となる。1ヶ月足らずで、45万本を販売した。3月には、来日して東京・渋谷のクラブクアトロで単独ライブを行い、日本の音楽界に黒豹楽隊の存在を知らしめた。のち、香港の棉花倶楽部でソロライブを行う。5月には、香港の紅[石勘]体育館で行われた“我愛普通人(私は普通の人が好き)”コンサートに出演する。 | ||
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+ | 4thアルバム用に撮られた写真 | ||
+ | 左から:馮小波(Key)・王文傑(B)・趙明義(Dr)・李[丹彡](G)・秦勇(Vo) | ||
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+ | 1997年には、全国60都市で公演する。 | ||
+ | 1998年5月には4thアルバム『不能譲我的煩悩没有機会表白』がアジア地区で同時発売となる。9月18日には再び来日、東京の池袋AMULUXで開催された“ASIAN BEATS 夜総会’98”に出演する夜総会バンドのゲストとして、ライブを行った。この後、大阪(UEDA HEAT BEAT)と九州(福岡“アジア・マンス”)でもライブを行った。10月8日には、中国北京奥林匹克中心体育場でコンサートを開く。このコンサートは、北京ではかつてないほどの観客動員数を記録したほか、近年大型ロックコンサートを開くことが禁じられていた北京で開いたということで、とても意義のあるものであった。その時の音源は、翌年2月になってアルバム化された。 | ||
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+ | 1999年1月23日、雲南省昆明で行われた“拒絶毒品,珍愛生命(麻薬を拒み、命を大切に)”コンサートに8つのバンドとともに参加する。6月、“新郷第二届揺滾音楽節”に参加したほか、各地でコンサートを開くが、年末には、馮小波が脱退する。代わりに惠鵬(Key)が加入し、2000年には「桑塔露[王其]亜(サンタルチア)」、「体会(Rimix)」を発表する。 | ||
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+ | 春節(旧正月)過ぎから5月までの3回、中央電視台の番組「音画時尚」に出演し、「桑塔露[王其]亜(サンタルチア)」を演奏。ロックバンドとしては快挙であった。4月には、雲南世界博園一周年記念のイベントに参加した。 | ||
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+ | 竇唯脱退後のメンバー | ||
+ | 左から:趙明義(Dr)・王文傑(B)・李[丹彡](G)・巒樹(Vo&Key) | ||
+ | 雑誌『環球歌壇 中外明星画刊』(中国電影出版社、1992年)より | ||
+ | (写真提供:幸治隆子さん) | ||
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+ | 9月16日には、北京のオリンピックスタジアムで行われた“2000年現代音楽演唱会”に参加してトリを務め、なお中国一のロックバンドであるところを見せ付けた。10月、長年マネージメントを担当してきた竹書文化との契約が切れてから初めての曲、「没有[イ尓]」を発表した。同月8日には、北京工人体育場で行われた原創反盗維権大型演唱会に参加した。 | ||
+ | 2001年2月には、1998年10月8日に中国北京奥林匹克中心体育場で行われたコンサートが、VCDとなって発売された。5月12日、日壇公園で行われた“第三回ハイネケン夏季音楽祭”に出演した。9月19日、奥林匹克体育中心体育館で行われた北京サンミゲルビール賛助の“中国揺滾生力軍楽隊比賽総決賽(ロックバンドコンテスト決勝戦)”にゲスト出演した。 | ||
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+ | 2002年、北京麒麟童文化と契約する。7月11日、香港の伊利沙白体育館で行われた“国際揺滾音楽節”に参加した。12月25日、深[土川]の歓楽谷でソロライブを行った。 | ||
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+ | 2003年9月16日、北京朝陽公園で行われた“2003首届中国国際飲料節”に出演した。10月11日、北京展覧館劇場で行われた“北京中日青春歌友会”にSilver Ash楽隊や張亞東、日本の坂本美雨やBBBBと共に出演した。11月、中国ロック初期の曲を集めたオムニバス『吶喊 為了中国曾経的揺滾』が発売となり、そこに「別去糟踏」と「臉譜」が収録された。12月27日、南昌市紅谷灘市政広場で行われた“2003中国・南昌揺滾音楽節”に出演した。 | ||
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+ | 1999年後半からのメンバー | ||
+ | 左から:李[丹彡](G)・趙明義(Dr)・秦勇(Vo)・惠鵬(Key)・王文傑(B) | ||
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+ | 2004年1月30日、シンガポールで行われたロック音楽祭に参加した。7月、5thアルバム『黒豹Ⅴ』が発売となった。8月6日、寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山の麓で行われた“中国揺滾的光輝道路”大型音楽節に出演し、初日のトリを務めた。 | ||
+ | 2005年3月、秦勇が脱退し、新しく張克[艸/凡](大棚)(Vo)が加入した。5月1日、西安の陝西紅河谷森林公園で行われた“紅河谷現代音楽節”に参加した。5月27日、北京首都体育館で行われたBEYONDのラストコンサートに、前座として出演した。7月1日、北京工人体育場で行われた“和平的天空-記念世界反法西斯戦争勝利60周年大型演唱会”に参加した。7月30日、広西チワン族自治区北海の銀灘広場で行われた“北海国際海灘旅遊文化節”に参加した。 | ||
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+ | 2006年5月26日、哈爾濱の哈爾濱国際会展中心体育館で行われた“揺滾・経典中国-哈爾濱[口卑]酒演唱会”に参加した。6月17日、河北省唐山の唐山市体育中心田径場で行われた“唐山[口卑]酒揺滾演唱会”に参加した。7月20日、台湾台北県貢寮郷福隆県の福隆海水浴場で行われた“第七届貢寮国際海洋音楽祭”に参加した。7月22日、深[土川]の世界之窗で行われた“昨天-今天--南中国揺滾音楽節”に参加した。10月2日、北京国際雕塑公園北園で行われた“2006北京首届揺滾[口卑]酒節”に参加した。 | ||
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+ | 2007年3月2-4日、雲南省瀾滄市雲県で行われた“2007年度瀾滄江[口卑]酒狂歓節”に参加した。4月4日、星光現場音楽庁で行われた“STAND UP站起来 慈善募捐演唱会(肺癌となったレコーディングエンジニア・D哥 李國強のためのチャリティライブ)”に参加した。6月23日、石家庄の滾石娯楽城でライブを行った。7月22日、西安の曲江国際会展中心和諧広場で行われた“第五届西安曲江国際[口卑]酒節”に出演した。7月28日、海南省三亜市の亜龍湾希爾頓酒店で行われた“第四届沙灘慈善音楽会”に参加した。8月3日、長春の金樽酒[ロ巴]でライブを行った。 | ||
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+ | 2008年2月1・2日、北京工人体育館で行われた“BEYOND双傑北京演唱会”のゲストを務めた。やがて、普天同慶娯楽と契約した。そして、英語名をHot-Blooded Powerとした。3月19日、成都の驕子音楽庁で行われた“古井貢美酒音楽節”に参加した。4月7日、安徽省淮南市の淮南煤礦会堂で行われた“古井貢美酒音楽節”に参加した。4月9日、安徽省阜陽市の阜陽大劇院で行われた“古井貢美酒音楽節”に参加した。6月25日、星光現場音楽庁で“黒豹楽隊成立20周年記念活動啓動演唱会”を開いた。7月5日、四川省綿陽の五一広場で行われた“用吶喊釈放悲傷,用歌声唱響希望”慰問コンサートに参加した。9月30日、河北省唐山の月[土它]島で行われた“首届月[土它]島海洋音楽節”に参加した。 | ||
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+ | 2010年1月31日、黒龍江省大慶の大慶歌劇院でコンサートを開いた。 | ||
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+ | 大棚は2008年、文章と共に[シ文]川大地震被災者のための応援歌「永不放棄」を歌った。2010年1月17日、星光現場音楽庁で行われた“過年[口婁]首届揺滾春晩聯歓会”に参加した。 | ||
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*[[奥奈音楽節|2012年9月22日 遼寧省瀋陽市 渾南水晶広場 奥奈音楽節]] | *[[奥奈音楽節|2012年9月22日 遼寧省瀋陽市 渾南水晶広場 奥奈音楽節]] | ||
*[[大理洱海音楽節/2013年4月29日|2013年4月29日 雲南省大理白族自治区大理市 大理市全民健身中心広場 2013大理洱海音楽節]] | *[[大理洱海音楽節/2013年4月29日|2013年4月29日 雲南省大理白族自治区大理市 大理市全民健身中心広場 2013大理洱海音楽節]] | ||
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+ | [[Category:ジャンル]] | ||
+ | [[Category:ハードロック]] |
2013年10月27日 (日) 07:25時点における版
黒豹楽隊 | |
---|---|
基本情報 | |
拼音 | Heibao |
発音転記 | ヘイバオ |
英語名・外国語名 |
一般:BLACK PANTHER 4thアルバム後:BLACK LEOPARD 5thアルバム:HOT-BLOODED POWER |
出身地 | 北京市 |
ジャンル | ハードロック |
メンバー |
張淇 |
黒豹楽隊(ヘイバオ、Heibao)は、北京市で活動しているバンド。中国人(華僑)の中でアルバムが最も売れたバンドである。
メンバー
過去に在籍したメンバー
張克鵬(張克芃) ボーカル(? - 2013年3月) -- 2010年1月17日、北京市の星光現場音楽庁で行なわれたライブに参加。2011年1月8日、北京市の国家奥林匹克体育中心で行なわれたライブに参加。
サポートメンバー
経歴
1990年代、華人(中国人、華僑)の中で、最も売れたロックバンド。 1986年、郭傳林らが北京で沙棘藝術團を結成する。しかし、会社と関係が折り合わなく、1987年になり契約を破棄、黒豹楽隊と名称を変更する。李[丹彡]が名付け親であった。当時のメンバーには丁武(Vo&G)・李[丹彡](G)・王文傑(B)・程偉・王文芳(Dr)・宋英雲・董鵬(Key)がいた。1988年、郭傳林が演奏メンバーから外れ、マネージメント業に専念する。同じ時、丁武が脱退し、活動が休止となりかけた頃、巒樹(Key)と竇唯(Vo)をメンバーに加え、活動を再開した。しかし、この頃は金もなく、演奏する設備もなく、メンバーの心は黒豹楽隊から別のところにあった。郭傳林のおかげでどうにか、天安門事件後の困難を乗り切る。
1990年、趙明義(Dr)を加え、メンバーが竇唯(Vo)・李[丹彡](G)・王文傑(B)・趙明義(Dr)・巒樹(Key)となり、固定する。この時、最初のオリジナル作品「臉譜」を創作する。5月、“深[土川]之春”コンサートに呼吸楽隊・1989楽隊・眼鏡蛇楽隊・常寛とともに参加する。コンサートは大成功となり、その結果、黒豹楽隊は多くのメディアから注目を浴びるようになった。この成功で、香港勁石公司(滾石公司の香港の子会社)との契約交渉が始まる。
2005年3月のメンバー
左から:趙明義・李[丹彡]・張克[艸/凡]・王文傑・惠鵬
1991年、香港勁石公司と契約し、2ヶ月の間にレコーディングとMVを製作する。8月になり、香港と台湾で1stアルバムが発売となった。9月には、「Don't Break My Heart」が香港の音楽ランキングで、3週ほど1位に輝き、“大陸で最も優秀なロックバンド”と称される。間もなくして台湾の滾石唱片(ROCK RECORDS)と契約する。11月には、香港で行われた“嘉士伯音楽会”に参加した。
1992年12月、大陸でもアルバムが発売されることとなるが、大陸盤が発売されるまでの1年の間に、大陸中で多くの海賊盤が出回ってしまう。1stアルバムは、正規盤で150万本の大ヒットとなるが、海賊盤も同じくらいの本数が出回ってしまった。海賊盤に対し、レコード会社の対応に煮え切らないメンバーは滾石唱片との契約を破棄した。
1stアルバムの頃
手前が竇唯
当時、ロックアルバムは崔健しか発売していなかったため、ロックを知らない人々がこぞって彼らのアルバムに興味を示したことが売れた要因であろう。もちろん、アルバムの完成度はとても高いものであった。このアルバムの売上を超えたバンドは彼ら以前にも以後にも存在しない。当時、黒豹人気は彼らの知らないところにまで広まっており、雲南と長春では黒豹楽隊の名前を騙ったバンドが出現、かってにコンサートを開いていた。 このように、人気は絶頂であったが、1991年10月、突然ボーカルの竇唯が脱退してしまう。そのため、秦[王奇]をボーカルとしてテストしたが、バンドに合わず、キーボードの巒樹がボーカルを担当することになった。1992年5月、王勇(Key)がサポートを務める。
1993年4月より、馮小波(Key)が加入した。4月24・25日には、北京の首都体育館で1989楽隊と“臨終關懐(臨終まで配慮する)”合同チャリティコンサートを開く。
2000年12月24日、温州市体育館で行われたコンサートより
8月、2ndアルバム『光芒之神』を発表した。
1994年4月には、日本のJVCと契約、11月には『光芒之神』を大友光悦ほか、日本人スタッフの手によりリミックスされ、新たな『光芒之神』として発売された。しかし、この頃には巒樹が脱退し、秦勇がボーカルとしてメンバーに加わっていた。
1995年4月は、ラサで初のロックコンサートを開く。これは、チベットの歴史が始まって以来の快挙であった。
1996年2月には、3rdアルバム『無是無非』がアジア地区で同時発売となる。1ヶ月足らずで、45万本を販売した。3月には、来日して東京・渋谷のクラブクアトロで単独ライブを行い、日本の音楽界に黒豹楽隊の存在を知らしめた。のち、香港の棉花倶楽部でソロライブを行う。5月には、香港の紅[石勘]体育館で行われた“我愛普通人(私は普通の人が好き)”コンサートに出演する。
4thアルバム用に撮られた写真
左から:馮小波(Key)・王文傑(B)・趙明義(Dr)・李[丹彡](G)・秦勇(Vo)
1997年には、全国60都市で公演する。 1998年5月には4thアルバム『不能譲我的煩悩没有機会表白』がアジア地区で同時発売となる。9月18日には再び来日、東京の池袋AMULUXで開催された“ASIAN BEATS 夜総会’98”に出演する夜総会バンドのゲストとして、ライブを行った。この後、大阪(UEDA HEAT BEAT)と九州(福岡“アジア・マンス”)でもライブを行った。10月8日には、中国北京奥林匹克中心体育場でコンサートを開く。このコンサートは、北京ではかつてないほどの観客動員数を記録したほか、近年大型ロックコンサートを開くことが禁じられていた北京で開いたということで、とても意義のあるものであった。その時の音源は、翌年2月になってアルバム化された。
1999年1月23日、雲南省昆明で行われた“拒絶毒品,珍愛生命(麻薬を拒み、命を大切に)”コンサートに8つのバンドとともに参加する。6月、“新郷第二届揺滾音楽節”に参加したほか、各地でコンサートを開くが、年末には、馮小波が脱退する。代わりに惠鵬(Key)が加入し、2000年には「桑塔露[王其]亜(サンタルチア)」、「体会(Rimix)」を発表する。
春節(旧正月)過ぎから5月までの3回、中央電視台の番組「音画時尚」に出演し、「桑塔露[王其]亜(サンタルチア)」を演奏。ロックバンドとしては快挙であった。4月には、雲南世界博園一周年記念のイベントに参加した。
竇唯脱退後のメンバー
左から:趙明義(Dr)・王文傑(B)・李[丹彡](G)・巒樹(Vo&Key)
雑誌『環球歌壇 中外明星画刊』(中国電影出版社、1992年)より
(写真提供:幸治隆子さん)
9月16日には、北京のオリンピックスタジアムで行われた“2000年現代音楽演唱会”に参加してトリを務め、なお中国一のロックバンドであるところを見せ付けた。10月、長年マネージメントを担当してきた竹書文化との契約が切れてから初めての曲、「没有[イ尓]」を発表した。同月8日には、北京工人体育場で行われた原創反盗維権大型演唱会に参加した。
2001年2月には、1998年10月8日に中国北京奥林匹克中心体育場で行われたコンサートが、VCDとなって発売された。5月12日、日壇公園で行われた“第三回ハイネケン夏季音楽祭”に出演した。9月19日、奥林匹克体育中心体育館で行われた北京サンミゲルビール賛助の“中国揺滾生力軍楽隊比賽総決賽(ロックバンドコンテスト決勝戦)”にゲスト出演した。
2002年、北京麒麟童文化と契約する。7月11日、香港の伊利沙白体育館で行われた“国際揺滾音楽節”に参加した。12月25日、深[土川]の歓楽谷でソロライブを行った。
2003年9月16日、北京朝陽公園で行われた“2003首届中国国際飲料節”に出演した。10月11日、北京展覧館劇場で行われた“北京中日青春歌友会”にSilver Ash楽隊や張亞東、日本の坂本美雨やBBBBと共に出演した。11月、中国ロック初期の曲を集めたオムニバス『吶喊 為了中国曾経的揺滾』が発売となり、そこに「別去糟踏」と「臉譜」が収録された。12月27日、南昌市紅谷灘市政広場で行われた“2003中国・南昌揺滾音楽節”に出演した。
1999年後半からのメンバー
左から:李[丹彡](G)・趙明義(Dr)・秦勇(Vo)・惠鵬(Key)・王文傑(B)
2004年1月30日、シンガポールで行われたロック音楽祭に参加した。7月、5thアルバム『黒豹Ⅴ』が発売となった。8月6日、寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山の麓で行われた“中国揺滾的光輝道路”大型音楽節に出演し、初日のトリを務めた。
2005年3月、秦勇が脱退し、新しく張克[艸/凡](大棚)(Vo)が加入した。5月1日、西安の陝西紅河谷森林公園で行われた“紅河谷現代音楽節”に参加した。5月27日、北京首都体育館で行われたBEYONDのラストコンサートに、前座として出演した。7月1日、北京工人体育場で行われた“和平的天空-記念世界反法西斯戦争勝利60周年大型演唱会”に参加した。7月30日、広西チワン族自治区北海の銀灘広場で行われた“北海国際海灘旅遊文化節”に参加した。
2006年5月26日、哈爾濱の哈爾濱国際会展中心体育館で行われた“揺滾・経典中国-哈爾濱[口卑]酒演唱会”に参加した。6月17日、河北省唐山の唐山市体育中心田径場で行われた“唐山[口卑]酒揺滾演唱会”に参加した。7月20日、台湾台北県貢寮郷福隆県の福隆海水浴場で行われた“第七届貢寮国際海洋音楽祭”に参加した。7月22日、深[土川]の世界之窗で行われた“昨天-今天--南中国揺滾音楽節”に参加した。10月2日、北京国際雕塑公園北園で行われた“2006北京首届揺滾[口卑]酒節”に参加した。
2007年3月2-4日、雲南省瀾滄市雲県で行われた“2007年度瀾滄江[口卑]酒狂歓節”に参加した。4月4日、星光現場音楽庁で行われた“STAND UP站起来 慈善募捐演唱会(肺癌となったレコーディングエンジニア・D哥 李國強のためのチャリティライブ)”に参加した。6月23日、石家庄の滾石娯楽城でライブを行った。7月22日、西安の曲江国際会展中心和諧広場で行われた“第五届西安曲江国際[口卑]酒節”に出演した。7月28日、海南省三亜市の亜龍湾希爾頓酒店で行われた“第四届沙灘慈善音楽会”に参加した。8月3日、長春の金樽酒[ロ巴]でライブを行った。
2008年2月1・2日、北京工人体育館で行われた“BEYOND双傑北京演唱会”のゲストを務めた。やがて、普天同慶娯楽と契約した。そして、英語名をHot-Blooded Powerとした。3月19日、成都の驕子音楽庁で行われた“古井貢美酒音楽節”に参加した。4月7日、安徽省淮南市の淮南煤礦会堂で行われた“古井貢美酒音楽節”に参加した。4月9日、安徽省阜陽市の阜陽大劇院で行われた“古井貢美酒音楽節”に参加した。6月25日、星光現場音楽庁で“黒豹楽隊成立20周年記念活動啓動演唱会”を開いた。7月5日、四川省綿陽の五一広場で行われた“用吶喊釈放悲傷,用歌声唱響希望”慰問コンサートに参加した。9月30日、河北省唐山の月[土它]島で行われた“首届月[土它]島海洋音楽節”に参加した。
2010年1月31日、黒龍江省大慶の大慶歌劇院でコンサートを開いた。
大棚は2008年、文章と共に[シ文]川大地震被災者のための応援歌「永不放棄」を歌った。2010年1月17日、星光現場音楽庁で行われた“過年[口婁]首届揺滾春晩聯歓会”に参加した。
ディスコグラフィー
スタジオ・アルバム
- ()(年月日)
ライブ・アルバム
- ()(年月日)
EP
- ()(年月日)
シングル
- ()(年月日)
映像作品
- ()(年月日)
プロモーション・アルバム
- ()(年月日)
プロモーション・シングル
- ()(年月日)
デモテープ
- ()(年月日)
コラボレーション・アルバム
- ()(年月日)
スプリット・アルバム
- ()(年月日)
ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発表年 | 備考 |
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参加アルバム
アーティスト・バンド名 | 曲名 | アルバム名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
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出演
媒体 | 曲名 | 収録ソフト名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
---|
主要なライブ・コンサート
1990年代、華人(中国人、華僑)の中で、最も売れたロックバンド。 1986年、郭傳林らが北京で沙棘藝術團を結成する。しかし、会社と関係が折り合わなく、1987年になり契約を破棄、黒豹楽隊と名称を変更する。李[丹彡]が名付け親であった。当時のメンバーには丁武(Vo&G)・李[丹彡](G)・王文傑(B)・程偉・王文芳(Dr)・宋英雲・董鵬(Key)がいた。1988年、郭傳林が演奏メンバーから外れ、マネージメント業に専念する。同じ時、丁武が脱退し、活動が休止となりかけた頃、巒樹(Key)と竇唯(Vo)をメンバーに加え、活動を再開した。しかし、この頃は金もなく、演奏する設備もなく、メンバーの心は黒豹楽隊から別のところにあった。郭傳林のおかげでどうにか、天安門事件後の困難を乗り切る。
1990年、趙明義(Dr)を加え、メンバーが竇唯(Vo)・李[丹彡](G)・王文傑(B)・趙明義(Dr)・巒樹(Key)となり、固定する。この時、最初のオリジナル作品「臉譜」を創作する。5月、“深[土川]之春”コンサートに呼吸楽隊・1989楽隊・眼鏡蛇楽隊・常寛とともに参加する。コンサートは大成功となり、その結果、黒豹楽隊は多くのメディアから注目を浴びるようになった。この成功で、香港勁石公司(滾石公司の香港の子会社)との契約交渉が始まる。
2005年3月のメンバー
左から:趙明義・李[丹彡]・張克[艸/凡]・王文傑・惠鵬
1991年、香港勁石公司と契約し、2ヶ月の間にレコーディングとMVを製作する。8月になり、香港と台湾で1stアルバムが発売となった。9月には、「Don't Break My Heart」が香港の音楽ランキングで、3週ほど1位に輝き、“大陸で最も優秀なロックバンド”と称される。間もなくして台湾の滾石唱片(ROCK RECORDS)と契約する。11月には、香港で行われた“嘉士伯音楽会”に参加した。
1992年12月、大陸でもアルバムが発売されることとなるが、大陸盤が発売されるまでの1年の間に、大陸中で多くの海賊盤が出回ってしまう。1stアルバムは、正規盤で150万本の大ヒットとなるが、海賊盤も同じくらいの本数が出回ってしまった。海賊盤に対し、レコード会社の対応に煮え切らないメンバーは滾石唱片との契約を破棄した。
1stアルバムの頃
手前が竇唯
当時、ロックアルバムは崔健しか発売していなかったため、ロックを知らない人々がこぞって彼らのアルバムに興味を示したことが売れた要因であろう。もちろん、アルバムの完成度はとても高いものであった。このアルバムの売上を超えたバンドは彼ら以前にも以後にも存在しない。当時、黒豹人気は彼らの知らないところにまで広まっており、雲南と長春では黒豹楽隊の名前を騙ったバンドが出現、かってにコンサートを開いていた。 このように、人気は絶頂であったが、1991年10月、突然ボーカルの竇唯が脱退してしまう。そのため、秦[王奇]をボーカルとしてテストしたが、バンドに合わず、キーボードの巒樹がボーカルを担当することになった。1992年5月、王勇(Key)がサポートを務める。
1993年4月より、馮小波(Key)が加入した。4月24・25日には、北京の首都体育館で1989楽隊と“臨終關懐(臨終まで配慮する)”合同チャリティコンサートを開く。
2000年12月24日、温州市体育館で行われたコンサートより
8月、2ndアルバム『光芒之神』を発表した。
1994年4月には、日本のJVCと契約、11月には『光芒之神』を大友光悦ほか、日本人スタッフの手によりリミックスされ、新たな『光芒之神』として発売された。しかし、この頃には巒樹が脱退し、秦勇がボーカルとしてメンバーに加わっていた。
1995年4月は、ラサで初のロックコンサートを開く。これは、チベットの歴史が始まって以来の快挙であった。
1996年2月には、3rdアルバム『無是無非』がアジア地区で同時発売となる。1ヶ月足らずで、45万本を販売した。3月には、来日して東京・渋谷のクラブクアトロで単独ライブを行い、日本の音楽界に黒豹楽隊の存在を知らしめた。のち、香港の棉花倶楽部でソロライブを行う。5月には、香港の紅[石勘]体育館で行われた“我愛普通人(私は普通の人が好き)”コンサートに出演する。
4thアルバム用に撮られた写真
左から:馮小波(Key)・王文傑(B)・趙明義(Dr)・李[丹彡](G)・秦勇(Vo)
1997年には、全国60都市で公演する。 1998年5月には4thアルバム『不能譲我的煩悩没有機会表白』がアジア地区で同時発売となる。9月18日には再び来日、東京の池袋AMULUXで開催された“ASIAN BEATS 夜総会’98”に出演する夜総会バンドのゲストとして、ライブを行った。この後、大阪(UEDA HEAT BEAT)と九州(福岡“アジア・マンス”)でもライブを行った。10月8日には、中国北京奥林匹克中心体育場でコンサートを開く。このコンサートは、北京ではかつてないほどの観客動員数を記録したほか、近年大型ロックコンサートを開くことが禁じられていた北京で開いたということで、とても意義のあるものであった。その時の音源は、翌年2月になってアルバム化された。
1999年1月23日、雲南省昆明で行われた“拒絶毒品,珍愛生命(麻薬を拒み、命を大切に)”コンサートに8つのバンドとともに参加する。6月、“新郷第二届揺滾音楽節”に参加したほか、各地でコンサートを開くが、年末には、馮小波が脱退する。代わりに惠鵬(Key)が加入し、2000年には「桑塔露[王其]亜(サンタルチア)」、「体会(Rimix)」を発表する。
春節(旧正月)過ぎから5月までの3回、中央電視台の番組「音画時尚」に出演し、「桑塔露[王其]亜(サンタルチア)」を演奏。ロックバンドとしては快挙であった。4月には、雲南世界博園一周年記念のイベントに参加した。
竇唯脱退後のメンバー
左から:趙明義(Dr)・王文傑(B)・李[丹彡](G)・巒樹(Vo&Key)
雑誌『環球歌壇 中外明星画刊』(中国電影出版社、1992年)より
(写真提供:幸治隆子さん)
9月16日には、北京のオリンピックスタジアムで行われた“2000年現代音楽演唱会”に参加してトリを務め、なお中国一のロックバンドであるところを見せ付けた。10月、長年マネージメントを担当してきた竹書文化との契約が切れてから初めての曲、「没有[イ尓]」を発表した。同月8日には、北京工人体育場で行われた原創反盗維権大型演唱会に参加した。
2001年2月には、1998年10月8日に中国北京奥林匹克中心体育場で行われたコンサートが、VCDとなって発売された。5月12日、日壇公園で行われた“第三回ハイネケン夏季音楽祭”に出演した。9月19日、奥林匹克体育中心体育館で行われた北京サンミゲルビール賛助の“中国揺滾生力軍楽隊比賽総決賽(ロックバンドコンテスト決勝戦)”にゲスト出演した。
2002年、北京麒麟童文化と契約する。7月11日、香港の伊利沙白体育館で行われた“国際揺滾音楽節”に参加した。12月25日、深[土川]の歓楽谷でソロライブを行った。
2003年9月16日、北京朝陽公園で行われた“2003首届中国国際飲料節”に出演した。10月11日、北京展覧館劇場で行われた“北京中日青春歌友会”にSilver Ash楽隊や張亞東、日本の坂本美雨やBBBBと共に出演した。11月、中国ロック初期の曲を集めたオムニバス『吶喊 為了中国曾経的揺滾』が発売となり、そこに「別去糟踏」と「臉譜」が収録された。12月27日、南昌市紅谷灘市政広場で行われた“2003中国・南昌揺滾音楽節”に出演した。
1999年後半からのメンバー
左から:李[丹彡](G)・趙明義(Dr)・秦勇(Vo)・惠鵬(Key)・王文傑(B)
2004年1月30日、シンガポールで行われたロック音楽祭に参加した。7月、5thアルバム『黒豹Ⅴ』が発売となった。8月6日、寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山の麓で行われた“中国揺滾的光輝道路”大型音楽節に出演し、初日のトリを務めた。
2005年3月、秦勇が脱退し、新しく張克[艸/凡](大棚)(Vo)が加入した。5月1日、西安の陝西紅河谷森林公園で行われた“紅河谷現代音楽節”に参加した。5月27日、北京首都体育館で行われたBEYONDのラストコンサートに、前座として出演した。7月1日、北京工人体育場で行われた“和平的天空-記念世界反法西斯戦争勝利60周年大型演唱会”に参加した。7月30日、広西チワン族自治区北海の銀灘広場で行われた“北海国際海灘旅遊文化節”に参加した。
2006年5月26日、哈爾濱の哈爾濱国際会展中心体育館で行われた“揺滾・経典中国-哈爾濱[口卑]酒演唱会”に参加した。6月17日、河北省唐山の唐山市体育中心田径場で行われた“唐山[口卑]酒揺滾演唱会”に参加した。7月20日、台湾台北県貢寮郷福隆県の福隆海水浴場で行われた“第七届貢寮国際海洋音楽祭”に参加した。7月22日、深[土川]の世界之窗で行われた“昨天-今天--南中国揺滾音楽節”に参加した。10月2日、北京国際雕塑公園北園で行われた“2006北京首届揺滾[口卑]酒節”に参加した。
2007年3月2-4日、雲南省瀾滄市雲県で行われた“2007年度瀾滄江[口卑]酒狂歓節”に参加した。4月4日、星光現場音楽庁で行われた“STAND UP站起来 慈善募捐演唱会(肺癌となったレコーディングエンジニア・D哥 李國強のためのチャリティライブ)”に参加した。6月23日、石家庄の滾石娯楽城でライブを行った。7月22日、西安の曲江国際会展中心和諧広場で行われた“第五届西安曲江国際[口卑]酒節”に出演した。7月28日、海南省三亜市の亜龍湾希爾頓酒店で行われた“第四届沙灘慈善音楽会”に参加した。8月3日、長春の金樽酒[ロ巴]でライブを行った。
2008年2月1・2日、北京工人体育館で行われた“BEYOND双傑北京演唱会”のゲストを務めた。やがて、普天同慶娯楽と契約した。そして、英語名をHot-Blooded Powerとした。3月19日、成都の驕子音楽庁で行われた“古井貢美酒音楽節”に参加した。4月7日、安徽省淮南市の淮南煤礦会堂で行われた“古井貢美酒音楽節”に参加した。4月9日、安徽省阜陽市の阜陽大劇院で行われた“古井貢美酒音楽節”に参加した。6月25日、星光現場音楽庁で“黒豹楽隊成立20周年記念活動啓動演唱会”を開いた。7月5日、四川省綿陽の五一広場で行われた“用吶喊釈放悲傷,用歌声唱響希望”慰問コンサートに参加した。9月30日、河北省唐山の月[土它]島で行われた“首届月[土它]島海洋音楽節”に参加した。
2010年1月31日、黒龍江省大慶の大慶歌劇院でコンサートを開いた。
大棚は2008年、文章と共に[シ文]川大地震被災者のための応援歌「永不放棄」を歌った。2010年1月17日、星光現場音楽庁で行われた“過年[口婁]首届揺滾春晩聯歓会”に参加した。
- 1990年5月 広東省深圳市 深圳之春
- 1990年5月 北京市 北京外国語学院 五四青年節
- 1990年6月4日 天津市 天津体育館 サポート:FUNKY末吉(Dr)
- 1991年1月末 北京市 天地大廈
- 1998年6月 河北省新郷市 新郷市体育中心足球場 第一届新郷揺滾音楽節
- 1999年1月23日 雲南省昆明市 拒絶毒品珍愛生命
- 1999年6月19日 河南省新郷市 新郷市体育中心足球場 新郷第二届揺滾音楽節
- 2000年5月11日 北京市 莱茵河声場
- 2000年9月16日 北京市 北京奥林匹克体育中心 2000年現代音楽演唱会
- 2000年10月28日 山東省済南市 済南体育場
- 2000年11月30日 上海市 上海大舞台 2000上海亜洲音楽節 反盗版巨星演唱会
- 2000年12月 北京市 北京奥林匹克体育中心 北京有線電視台「絶対現場」
- 2003年4月20日 北京市 玉淵潭公園 亜太音楽反盗維権演唱会
- 2007年7月22日 陝西省西安市 曲江国際会展中心和諧広場 2007曲江国際啤酒節
- 2007年7月28日 海南省三亜市 金茂三亜希尓頓酒店沙灘 第四届沙灘慈善音楽会
- 2007年12月25日 雲南省曲靖市 曲靖師範学院学生会堂 动感圣诞之夜
- 2008年3月19日 四川省成都市 驕子音楽庁 古井貢美酒音楽節
- 2008年4月7日 安徽省淮南市 淮南煤礦会堂 古井貢美酒音楽節
- 2008年4月9日 安徽省阜陽市 阜陽大劇院 古井貢美酒音楽節
- 2008年6月25日 北京市 星光現場音楽庁
- 2008年7月8日 四川省綿陽市 中国軍隊軍営地
- 2008年12月6日 内モンゴル自治区赤峰市 赤峰国際会展中心大劇院
- 2009年8月28 - 30日 山東省膠南市 霊山湾水城中心広場 青島海洋音楽季
- 2010年1月31日 黒竜江省大慶市 大慶歌劇院
- 2010年7月24日 河北省承徳市豊寧満族自治県 垻上大灘騎馬暇日荘園 緑草藍天---2SC大灘垻上草原揺滾音楽節
- 2010年8月27日 北京市 北京工人体育場 怒放揺滾英雄演唱会
- 2010年9月5日 甘粛省蘭州市 甘粛国際会展中心
- 2010年10月3日 河南省鄭州市 河南汽車公園 和平天空大河音楽節
- 2010年11月13日 上海市 上海体育場 怒放揺滾英雄演唱会上海站
- 2011年5月13日 北京市 万事達中心 光輝歳月 殿堂級中国揺滾世界巡回演唱会北京站
- 2011年6月3日 上海市 上海大舞台 光輝歳月 殿堂級中国揺滾世界巡回演唱会上海站
- 2011年8月6日 遼寧省撫順市清原満族自治県 紅河大峡谷景区漂流尾点演芸広場 紅河大峡谷2011音楽季
- 2011年9月9日 河南省漯河市 漯河金沙灘公園 2011漯河中原沙灘音楽節
- 2011年9月28 - 29日 山東省臨沂市 青島啤酒文化広場 臨沂首届青島啤酒節
- 2011年12月16日 河北省石家荘市 河北体育館
- 2011年12月29日 山西省太原市 山西体育中心
- 2012年4月29日 北京市通州区 潮白新城中央公園 潮白水岸音楽節
- 2012年9月22日 遼寧省瀋陽市 渾南水晶広場 奥奈音楽節
- 2013年4月29日 雲南省大理白族自治区大理市 大理市全民健身中心広場 2013大理洱海音楽節
外部リンク
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