劉義君
劉義君 | |
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『再渡帰来』の歌詞カードより。 | |
基本情報 | |
中国語名(簡体字) | 刘义君 |
中国語名(繁体字) | 劉義君 |
拼音 | LIu Yijun |
発音転記 | リィウ イジュヌ |
出生名 | 劉義軍 |
別名 | 老五、唐朝老五、中国老五、劉義軍 |
出生日 | 1963年1月10日 |
出身地 | 天津市 |
担当楽器 | ギター・ボーカル |
ジャンル | プログレッシブメタル・オルタナティブ・民族音楽 |
職業 | スタジオ経営者・音楽学校講師 |
影響 | Van Halen・Yngwie Malmsteen |
メンバー | 劉義君 |
劉義君(リィウ イジュヌ、Liu Yijun、1963年1月10日 -)は、北京市で活動しているギタリスト。唐朝楽隊に在籍していた時には、アジア最高のギタリストと称されたほど、中国最高峰のギタリストである。
メンバー
過去に在籍したメンバー
- 李亜宗 ボーカル(2001年8月 - 2001年12月末)
- 呉勤勇 ギター(2001年 - 2001年12月末)
- 張炅 ドラム(2001年 - 2001年12月末)
- 秦彤 ギター(2001年?) -- 糖果槍楽隊のメンバー。
- 刁磊 ドラム(2001年?)
経歴
天津市で生まれたが、文化大革命の時に河北省廊坊市へ移り住む。学生時代に二胡を2年ほど勉強する。1976年、ギターを買い、独学で勉強する。1980年頃からエレクトリックギターを勉強し始める。
1983年末、北京市で丁武や王迪・劉君利と知り合いになる。のち、丁武と劉元が広東省深圳市にライブへ行ってしまったため、廊坊市に帰る。その1年の間に、小林克己のギター教材を見て、練習する。1985年、北京市に移り住む。
1986年、白天使楽隊を結成し、ギターを担当する。この頃は、Van HalenやYngwie Malmsteenに大きく影響を受けていた。
1989年、白天使楽隊の解散後は、時効楽隊に2ヵ月ほど参加した。
1989年後半、丁武と張炬に誘われて唐朝楽隊のメンバーとなり、リードギターを担当する。身長184cmで、ギターを弾いている姿は非常に凛々しい。
練習の鬼で、毎日8時間もの間ギターの練習をしていた。そして唐朝楽隊に加入したことで、その真価が発揮され、1992年には雑誌『SPIN』より、「中国で最も偉大なギタリスト」と称される。そのテクニックの素晴らしさから彼の下でギターを勉強する人は多く、楊林(元・紅色部隊楽隊)・韓鴻賓(元・超載楽隊)・劉衛強(佤族楽隊)・劉衛東(佤族楽隊)などの有名ギタリストも誕生した。1992年、北京迷笛音楽学校でギターを学生に教えたこともあった。
1996年、音楽的方向性の違いから唐朝楽隊を脱退した。
1997年には教え子のギタリスト達と共にレコーディングしたオムニバス・アルバム『霧中行集』が発売となった。自ら作詞・作曲、ボーカルを担当したほか、インストゥルメンタル曲を演奏した。
1999年、1stアルバム『再渡帰来』を発表した。これらのソロアルバムの中では、音楽スタイルがメタルから民族音楽へと変化しつつある彼の姿を知ることができる。同年、北京市に音楽工作室を設立し、新人アーティストの発掘、音楽教育を行ない始めた。
2001年、郭智音楽教室や北京新時空文化芸術学校でギター講師を務めるようにもなる。8月からは、ライブ活動を本格的に再開させたが、同年末、老五のバンドは解散した。
唐朝楽隊を脱退後に発表した作品でも、唐朝老五とクレジットされていた。しかし、その後のサイン等では中国老五と書いていた。
2002年初になり、唐朝楽隊に復帰した。復帰した話は中国ロック界でも大きな話題となり、数多くのメディアが取り上げたほどである。老五といえば、第一に唐朝楽隊を連想させるほど、唐朝楽隊の中心的人物であるということが言える。
2009年1月、唐朝楽隊を再度脱退した。
ディスコグラフィー
スタジオ・アルバム
- 再渡帰来(1999年)
ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発表年 | 備考 |
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舞 | 霧中行集 | 1997 | ギターによるインストゥルメンタル |
雾 | 中国火III | 1998/10 | |
雾中行 | 霧中行集 | 1997 | |
雾中行 | 中国火III | 1998/10 | |
雾中行(A walk in the fog) | 亜洲製造 | 2000/6 | クレジットが唐朝&老五となっているが、実際には老五の曲 |
雾中行 | 揺滾中国楽勢力十年精選第二輯 | 2001/4 | 『中国火III』と同じ |
Art&Music | 愛在揺滾的歳月 第3届揺滾春晩 | 2013/2/2 | クレジットは唐朝老五▽2012年1月7日、愛在揺滾的歳月 第3届揺滾春晩でのライブ映像▼DVD |
参加アルバム
アーティスト・バンド名 | 曲名 | アルバム名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
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唐朝楽隊 | 唐朝楽隊のページへ | ||||
趙牧陽 | 流浪 | 1991 | ギター・バックボーカル(複数で) | 全曲参加 | |
何勇 | 垃圾場 | 1994/6 | 編曲・ギター(複数で) | 全曲参加 | |
何勇 | 姑娘漂亮 | 揺滾中国楽勢力十年精選第一輯 | 2001/4 | ギター(複数で) | |
何勇 | 垃圾场 | 揺滾中国楽勢力十年精選第二輯 | 2001/4 | ギター(複数で) | |
白天使楽隊 | 過去的揺滾 -1989年版- | 1995 | ギター(推測) | 全曲参加▽1989年に発売したアルバムも | |
北京揺滾群星 | 夜色 | 告別的揺滾 | 1995 | ギター・バックボーカル(複数で) | |
Funky末吉 with Friends | R&Rオヤジ | 1996/7/3 | ギターソロ | 2曲参加 | |
Funky末吉和他的朋友們 | 摇滚老头(R&R O-YA-JI) | 亜洲鼓魂 | 1996/7/19 | ギターソロ | |
王勇 | 招魂 | 往生 | 1996/1 | ギター(賈敏恕と) | |
王勇 | 招魂 | 中国火II | 1996/8 | ギター(賈敏恕と) | |
王勇 | 招魂 | 揺滾中国楽勢力十年精選第一輯 | 2001/4 | ギター(賈敏恕と) | |
巒樹 | 那一天 | 再見 張炬 | 1997 | ギター | |
丁武 | 活在你的梦里 | 再見 張炬 | 1997 | エレクトリックギターソロ | |
張楚 | 认识了 | 中国火II | 1996 | 編曲(複数で)、ギター | |
張楚 | 我的睫毛都快被吹掉了 | 再見 張炬 | 1997 | ギターソロ | |
陳勁 | 爱和自由的翅膀 - 喜马拉雅之旅 | 再見 張炬 | 1997 | ギターソロ | |
徐紹斌 | 前方 | 1998/4 | ギター | 5曲参加 | |
新王菲 | 水上花 | 1999 | 編曲(李杰と) | 4曲参加 | |
晧天 | 诺言 | 快楽HAPPY | 2000 | 作詞 | |
丁武・許巍・周暁鴎・張楚・汪峰・高旗・李延亮・巒樹・馬上又・陳勁 | 礼物 | 礼物 | 2005/5 | ギター(複数で) | |
呉樹徳・尹力 | 欠撼 | 蝉 | 2006/9/26 | ギター | 『天下還有比這更美的事嗎?』も |
オムニバス | 北京REGGAE2 | 1995 | サポートリードギター(劉林と) | 全曲参加 | |
オムニバス | 過年喽首届揺滾春晩 | 2010 | コメント | クレジットは老五 |
出演
媒体 | 曲名 | 収録ソフト名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
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ドキュメンタリーフィルム | 中国原創音楽20年 | 2011 | インタビュー | ▼DVD |
主要なライブ・コンサート
- 1988年10月15・16日 北京市懐柔県 慕田峪長城 大地震・包扎長城
- 2001年1月10日 北京市 CD CAFE
- 2001年4月22日 北京市 蔵酷酒吧
- 2001年8月18日 北京市 豪運酒吧
- 2001年10月14日 北京市 蔵酷酒吧
- 2001年12月21日 北京市 CD CAFE
- 2003年10月29日 北京市 手心手背酒吧
- 2008年5月24日 北京市 星光現場音楽庁
- 2008年10月18日 北京市 合炫音楽工廠
- 2009年3月28日 北京市 愚公移山
- 2010年5月15日 北京市 北京海淀公園大草坪 吉他中国音楽節 クレジット:唐朝老五
- 2010年7月31日 遼寧省大連市 沃尓特酒城 第十二届大連国際啤酒節 光輝歳月経典演唱会 クレジット:唐朝老五
- 2011年7月2日 北京市 糖果(雍和店)
- 2012年1月7日 北京市 北京奥体中心体育館
- 2016年3月11日 浙江省寧波市 寧波和豊創意広場
- 2016年5月9日 北京市 北京工人体育館 中国楽勢力揺滾30年吉歌之声巡回演唱会北京站
- 2016年8月27日 吉林省長春市 長春五環体育館 中国楽勢力揺滾30年吉歌之声巡回演唱会長春站
- 2016年11月19日 上海市 上海大舞台 中国楽勢力揺滾30年吉歌之声巡回演唱会上海站
- 2023年12月31日 江蘇省南京市 1701 livehouse Max
外部リンク
- 中国語