張家口飯店工会電声楽隊

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張家口飯店工会電声楽隊
Zhangjiakoufandiangonghui 11.jpg
基本情報
中国語名(簡体字) 张家口饭店工会电声
中国語名(繁体字) 張家口飯店工會電聲
拼音 Zhangjiakoufandiangonghuidiansheng
発音転記 ジャンジィアコウファヌディエヌゴォンホォイディエヌション
出身地 河北省張家口市
ジャンル ポップ
職業 バックバンド
活動期間 1993年 - 1999年

張家口飯店工会電声楽隊(ジャンジィアコウファヌディエヌゴォンホォイディエヌション、Zhangjiakoufandiangonghuidiansheng)は、1990年代、河北省張家口市で活動していたバンド。

経歴

1992年6月25日、張家口飯店は、地下レストラン(雲軒餐庁)が開いたことにより、レストランの面積が大幅に広くなり、店内の設備も張家口市でトップクラスであったことから、結婚式の披露宴に使われることが増えていった。この頃は、結婚披露宴でバンドが演奏するという前例がなく、他の都市で行なわれていた事例から、(演奏のサービスを提供したほうがいいと)考えるようになった。労働組合の方で、従業員の文化活動を頻繁に行なっており、労働組合内でバンドが結成することはレストランが披露宴で演奏のサービスを提供することになるだけでなく、労働組合員の文化活動の向上にも繋がり、企業と従業員の両方ともメリットであると、店側は考えた。同年、労働組合連合会も、各クラスの労働組合に対し、活動資金を調達するたっめの団体を設営するように呼びかけていた。

1993年5月16日、張家口飯店の4つのレストラン(2つの地下レストラン、別なビルの1階と2階のレストラン)で、合計12組の結婚披露宴が行なわれ、それに合わせて張家口市群芸能館の6人の音楽講師を呼び、統一した服装を着用してもらい、彼らが普段使っている楽器や音響を使用し、エレクトリックバンドとして、別なビルのレストランの東側と地下レストランの入り口で演奏した。この時、大好評を博し、レストランの複数のオーナーもこのような演奏サービスをみな賛同した。

その後、共産党と市政府に申請し、バンド活動が具現化するようになる。河北芸術学校張家口分校張家口市十七中学を卒業した4名を採用し、また他の企業で働いていた3名をスカウトして、バンド結成した。この時に、バンド活動のために2万元ほど集め、群芸館の喬世録や王鈞堂を通じ、エレクトーンジャズドラムサックストロンボーントランペットエレクトリックベースエレクトリックギターの7つの楽器と、スピーカー2セットを購入した。ここで正式にバンドが結成となった。練習は、移転して使われなくなった幼稚園の跡地を使用し、そこで群芸館の3人の講師を呼び、基礎から楽器を教えた。やがて10数曲をマスターした。また、メンバーのために統一した衣装(赤いスーツ・ベスト・コート)を揃えた。練習を繰り返した後、レストラン地下の宴会ホールで経営者や幹部、中間管理職のためにライブ・つまりレストランスタッフのためのパーティーでお披露目となった。ここで全店舗のレストランのスタッフから好評価を得た。

その後は、レストラン前での結婚披露宴での演奏以外に、市内のいろいろな縁起のいいイベント(開業イベント・記念イベントなど)などで演奏を行なった。やがて張家口飯店はバンド演奏だけでなく、結婚披露宴の自動車による街中のパレード、撮影なども提供することになり、総合的な結婚イベントの企業となっていった。

1999年、民間資本への市場開放により、張家口飯店は国有企業から民営企業へとなり、総経理が交代した後、1年以内にレストランやバンドメンバーなど、新しい経営方針に反発し、約200人ほどが退職し、倒産したことから、バンドも消滅した。

ただ、これまで1300組以上のカップルのために演奏したり、600回以上も依頼先で演奏したほか、レストランや労働組合のためにも20回以上演奏した。また、従業員や従業員の子供が結婚する時には、無料で家まで訪れて演奏するサービスを提供したことで、従業員からは張家口飯店で働くことを誇りと感じていた。また、このバンドは張家口市の金融貿易システムの中で唯一企業に所属するプロのバンドで、企業イメージの向上と定着、企業文化の構築、また歌「张家口饭店之歌」を通じて社会の認知度向上に大きく貢献した役割は計り知れないものがあったと言える。

主要なライブ・コンサート