「与非門」の版間の差分

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2000年5月になり、与非門はユニットとして再結成する。メンバーは、[[三少]]と[[阿慶]]で、再結成後、初めて創作した曲は、LMFの[[ヒップホップ]]に影響を受けた「快楽夜」であった。しかし、曲に女性の声が必要と感じ、何人かの女性を試した。結局、[[蒋凡]]に歌ってもらってから、3人での活動がスタートした。音楽は[[エレクトロロック]]を中心として、その中にいろいろなジャンルが交差している。
 
2000年5月になり、与非門はユニットとして再結成する。メンバーは、[[三少]]と[[阿慶]]で、再結成後、初めて創作した曲は、LMFの[[ヒップホップ]]に影響を受けた「快楽夜」であった。しかし、曲に女性の声が必要と感じ、何人かの女性を試した。結局、[[蒋凡]]に歌ってもらってから、3人での活動がスタートした。音楽は[[エレクトロロック]]を中心として、その中にいろいろなジャンルが交差している。
  
同年レコーディングを行ない、2001年1月には、自主制作である1stEP『[[做愛做的事……(与非門)|做愛做的事……]]』を発売した。やがて、『[[做愛做的事……(与非門)|做愛做的事……]]』がレコード会社の目に留まり、同年末には、1stアルバム『[[01(与非門)|01]]』が発売となった。
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同年、レコーディングを行ない、2001年1月には、自主制作である1stEP『[[做愛做的事……(与非門)|做愛做的事……]]』を発売した。やがて、『[[做愛做的事……(与非門)|做愛做的事……]]』がレコード会社の目に留まり、同年末には、1stアルバム『[[01(与非門)|01]]』が発売となった。
  
2002年11月、KORGのエレクトロニカダンス機材の中国地区[[エンドーザー]]となった。12月30・31日と2003年1月1日、[[上海市]]の[[新天地ARK]]でライブを行なったがサポートを務めた。12月31日と1月1日には、巨大スクリーンに映像を流して、音楽と映像の融合を試みるなど、中国として、最先端の試みを行なっている。
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2002年11月、KORGのエレクトロニカダンス機材の中国地区[[エンドーザー]]となった。12月30・31日と2003年1月1日、[[上海市]]の[[新天地ARK]]でライブを行なったがサポートを務めた。12月31日と1月1日には、巨大スクリーンに映像を流して、音楽と映像の融合を試みるなど、中国のバンドとして、最先端の試みを行なっている。
  
 
2003年4月、[[幾何文化]]と契約する。12月初、[[マレーシア]]へ行き、MV撮影などを行なう。12月、2ndアルバム『[[10楽園(与非門)|10楽園]]』が発売となった。アルバム発売前に発表した「正午」は、広東電台(ラジオ)の音楽先鋒榜で8週ランクイン(最高1位)、広州電台(ラジオ)の紅星風雲榜之華語熱播榜で4週ランクイン(最高1位)、広州電台の21世紀新音楽原創榜で8週ランクイン(最高1位)、広東電台の音楽先鋒榜で“第三季季選十大金曲的金曲金賞”に輝いた。
 
2003年4月、[[幾何文化]]と契約する。12月初、[[マレーシア]]へ行き、MV撮影などを行なう。12月、2ndアルバム『[[10楽園(与非門)|10楽園]]』が発売となった。アルバム発売前に発表した「正午」は、広東電台(ラジオ)の音楽先鋒榜で8週ランクイン(最高1位)、広州電台(ラジオ)の紅星風雲榜之華語熱播榜で4週ランクイン(最高1位)、広州電台の21世紀新音楽原創榜で8週ランクイン(最高1位)、広東電台の音楽先鋒榜で“第三季季選十大金曲的金曲金賞”に輝いた。
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2013年頃から、[[蒋凡]]が与非門での活動に参加しなくなった。その後、「与非門+」というプロジェクトを掲げるようになり、[[ボーカリスト]]を固定しなくなった。
 
2013年頃から、[[蒋凡]]が与非門での活動に参加しなくなった。その後、「与非門+」というプロジェクトを掲げるようになり、[[ボーカリスト]]を固定しなくなった。
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== 最先端の音楽を導入したバンド ==
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これまでの中国のバンドは、[[ボーカル]]・[[ギター]]・[[ベース]]・[[ドラム]]・[[キーボード]]の一般的な編成で、以前から脈々と続く[[ロック]]スタイルであったが、2000年以降から積極的に[[エレクトロ]]ミュージックを取り入れ、DJやVJをゲストに呼んで、技術を駆使して最先端の欧米の音楽を目指したバンドである。実験的な要素を取り入れながらも、メジャー路線を追求しており、その音楽スタイルが中国内外で評価され、南方バンドの中ではいち早く海外大手レーベルと契約することになった。
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音楽スタイルを注目されることが多いが、これまでの4枚のアルバムに参加してきた[[蒋凡]]の、淡々としていて気だるさを醸しだしながらも、力強さも感じさせる[[ボーカル]]も魅力的であり、彼女が[[ボーカル]]を担当しなければ、与非門は現在の地位まで登ることができたか、不明である。ただ、[[蒋凡]]はすでに不在で、新しい[[ボーカリスト]]がゲスト参加する形になったが、このスタイルが以前の与非門を越えることができるか、今後に注目である。
  
 
== 1stアルバム発売時の彼らの評価 ==
 
== 1stアルバム発売時の彼らの評価 ==

2015年12月22日 (火) 15:38時点における版

与非門
Yufeimen 51.jpg
2013年の写真。(写真:与非門
基本情報
中国語名(簡体字) 与非门
中国語名(繁体字) 與非門
拼音 Yufeimen
発音転記 ユィフェイメヌ
出身地 広東省広州市
ジャンル メタル(初期)・ファンク(初期)・ヒップホップ(2000年)・オルタナティブ(2000年以降)・エレクトロロック(2000年以降)・ポップロック(2000年以降)
活動期間 1995年 -
影響 Guns n' Roses・Metallica・The Red Hot Chili Peppers・LMF
メンバー 阿慶
三少
郭奕科
伍紹維
2004年6月14日、上海市新天地ARKでのライブ。左から:三少蒋凡劉嘉慶(サポート)・阿慶。(撮影:YIREN
2003年1月1日、上海市新天地ARKでのライブ。映像と音楽の融合を試みた中国バンドは初めてである。左から:阿慶蒋凡三少。(撮影:YIREN
2000年の写真。左から:蒋凡三少阿慶。(写真:NANDのサイト)
2002年7月26日、北京市CD CAFEでのライブ。左から:三少蒋凡阿慶。(撮影:田鶏)
2004年2月14日、上海市B.BOSS Clubでのライブ。左から:阿慶蒋凡三少。(撮影:YIREN
2004年6月15日、上海市新天地ARKでのライブ。左から:蒋凡劉嘉慶(サポート)・阿慶。(撮影:YIREN
2010年3月28日、上海市MAO(上海店)でのライブ。左から:三少・蝌蚪(サポート)・蒋凡阿慶。(撮影:YIREN

与非門(ユィフェイメヌ、Yumeimen)は、広東省広州市で活動しているバンド・ユニット。中国南方ロック最高の人気を誇るエレクトロロックバンド・ユニットである。

メンバー

過去に在籍したメンバー

ゲストボーカル

サポートメンバー

経歴

1995年に結成した。音楽的に対したレベルではなかったが、ライブでは人の耳に残るような演奏を行なっていた。音楽スタイルはメタルファンクであった。

やがて、広東省広州市のアンダーグラウンドシーンでは次第に名前が知られるようになっていたが、1999年6月には解散した。

2000年5月になり、与非門はユニットとして再結成する。メンバーは、三少阿慶で、再結成後、初めて創作した曲は、LMFのヒップホップに影響を受けた「快楽夜」であった。しかし、曲に女性の声が必要と感じ、何人かの女性を試した。結局、蒋凡に歌ってもらってから、3人での活動がスタートした。音楽はエレクトロロックを中心として、その中にいろいろなジャンルが交差している。

同年、レコーディングを行ない、2001年1月には、自主制作である1stEP『做愛做的事……』を発売した。やがて、『做愛做的事……』がレコード会社の目に留まり、同年末には、1stアルバム『01』が発売となった。

2002年11月、KORGのエレクトロニカダンス機材の中国地区エンドーザーとなった。12月30・31日と2003年1月1日、上海市新天地ARKでライブを行なったがサポートを務めた。12月31日と1月1日には、巨大スクリーンに映像を流して、音楽と映像の融合を試みるなど、中国のバンドとして、最先端の試みを行なっている。

2003年4月、幾何文化と契約する。12月初、マレーシアへ行き、MV撮影などを行なう。12月、2ndアルバム『10楽園』が発売となった。アルバム発売前に発表した「正午」は、広東電台(ラジオ)の音楽先鋒榜で8週ランクイン(最高1位)、広州電台(ラジオ)の紅星風雲榜之華語熱播榜で4週ランクイン(最高1位)、広州電台の21世紀新音楽原創榜で8週ランクイン(最高1位)、広東電台の音楽先鋒榜で“第三季季選十大金曲的金曲金賞”に輝いた。

2004年3月、香港環球唱片公司(ユニバーサルレコード)と契約した。7月初、マレーシアでプロモーション活動を行なった。8月14日、シンガポールの「Singapore Fireworks Festival」に参加した。8月26日、フランス・ブレスト市で行なわれた「法国海浜音楽節」に中国代表として参加した。10月22日、日本の東京・渋谷eggmanで行なわれた「第1回東京アジア・ミュージックマーケット」に出演した。

2005年1月、3rdアルバム『11』が発売となった。10月、初のベスト・アルバムA邏輯』が発売となった。

海外でのライブだけでなく、全国の大型コンサートに参加するなど、広東省で最も実力と人気を兼ね備えたバンドである。

2008年、中天門文化伝媒(北京)有限公司と契約した。

2009年12月12日、4thアルバム『是与非』が発売となった。

2013年頃から、蒋凡が与非門での活動に参加しなくなった。その後、「与非門+」というプロジェクトを掲げるようになり、ボーカリストを固定しなくなった。

最先端の音楽を導入したバンド

これまでの中国のバンドは、ボーカルギターベースドラムキーボードの一般的な編成で、以前から脈々と続くロックスタイルであったが、2000年以降から積極的にエレクトロミュージックを取り入れ、DJやVJをゲストに呼んで、技術を駆使して最先端の欧米の音楽を目指したバンドである。実験的な要素を取り入れながらも、メジャー路線を追求しており、その音楽スタイルが中国内外で評価され、南方バンドの中ではいち早く海外大手レーベルと契約することになった。

音楽スタイルを注目されることが多いが、これまでの4枚のアルバムに参加してきた蒋凡の、淡々としていて気だるさを醸しだしながらも、力強さも感じさせるボーカルも魅力的であり、彼女がボーカルを担当しなければ、与非門は現在の地位まで登ることができたか、不明である。ただ、蒋凡はすでに不在で、新しいボーカリストがゲスト参加する形になったが、このスタイルが以前の与非門を越えることができるか、今後に注目である。

1stアルバム発売時の彼らの評価

彼らは広州市のアンダーグラウンドシーンで長年活動してきただけあって、広州市地区に数多くのファンを抱えているだけでなく、ラジオでアルバム収録曲が流され、テレビに出演するようになったため、アンダーグラウンドの枠を超え、多くのファンが付くようになった。ポップ調のメロディがあるため、一部のロックファンからは商業的な音楽だと揶揄される事もあるが、決して商業的ではなく、あくまでも「与非門」が目指す音楽を追求している結果に過ぎない。2003年7月12日、上海市新天地ARK竇唯+不一定楽隊のライブが行なわれたが、この時、竇唯は「1061」を歌った。コピーを一切演奏しない竇唯が歌ったという事で、かなり大きな話題となった。それだけ、与非門の曲が注目を浴びていたのである。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ベスト・アルバム

EP

プロモーション・シングル

デモテープ

コラボレーション・シングル

  • 派楽隊 Feat. 与非門 満紅紅(2006年11月)

ソロ発表曲 

テンプレート:Solo List 50

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考
ラジオ城市民謡夜2002/1/22インタビュー、歌仏山電台の番組より▽ホームページ上からダウンロードできた
VCD音楽王国0022004/10ライブ、自己紹介

主要なライブ・コンサート

外部リンク