「顔峻」の版間の差分

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[[Image:Yanjun_12.jpg|thumb|『母語』2000年4期より。]]
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[[Image:Yanjun_11.jpg|thumb|[[蘭州市]]時代の写真。]]
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[[Image:Yanjun_13.jpg|thumb|2004年6月12日、[[另外両位同志楽隊]]とのライブより。(撮影:[[YIREN]])]]
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[[Image:Yanjun_15.jpg|thumb|2005年6月21日、[[両個好朋友酒吧]]での即興ライブ。右は[[王凡]]。(写真提供:呉楠、[http://blog.sina.com.cn/u/1222385563 座禅下克上的BLOG])]]
  
'''顔峻'''(イェヌ ジュヌ、Yan Jun、)は、[[甘粛省]][[蘭州市]]出身で、[[北京市]]で活動している[[サウンドーアティスト]]。一般的に[[中国三大ロック評論家]]の1人として知られている。
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'''顔峻'''(イェヌ ジュヌ、Yan Jun、1973年 -)は、[[甘粛省]][[蘭州市]]出身で、[[北京市]]で活動している[[ロック評論家]]。一般的に[[中国三大ロック評論家]]の1人として知られており、国内外のロックに関して精通している。近年では[[サウンドーアティスト]]としての顔も知られるようになってきた。
  
 
== 経歴 ==
 
== 経歴 ==
  
ロック評論家。国内外のロックに関して精通している。1973年、甘粛省蘭州に生まれ育ち、西北師範大学中文系を卒業する。大学卒業後は、『蘭州晩報』で編集の仕事をする。その頃、数多くの評論を発表し、1990年代後半、彼の評論はほとんどの主要音楽雑誌に掲載されており、彼の名前がない雑誌がないほど。中国ロック方面では、インディーズバンドに着目して書くことが多く、彼が雑誌に寄稿したことで全国に知られるようになったバンドも数多い。
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[[甘粛省]][[蘭州市]]に生まれ育ち、[[西北師範大学]]中文系を卒業する。大学卒業後は、『蘭州晩報』で編集の仕事をする。その頃、数多くの評論を発表し、1990年代後半、彼の評論はほとんどの主要音楽雑誌に掲載されており、彼の名前がない雑誌がないほどであった。[[中国ロック]]方面では、アンダーグラウンドのバンドに着目して書くことが多く、彼が雑誌に寄稿したことで全国に知られるようになったバンドも数多い。
 蘭州にいた時は、ラジオ局でディスクジョッキーをしたり、骨灰楽隊を組んでボーカルを担当していた。北京に来てからも、舌頭楽隊のサポートでライブを行ったことがある。
 
  
 やがて、中国三大音楽評論家の1人と言われるようになった。
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[[蘭州市]]にいた時は、[[ラジオ局]]で[[ディスクジョッキー]]をしたり、[[骨灰楽隊]]を組んで[[ボーカル]]を担当していた。[[北京市]]に来てからも、[[舌頭楽隊]]のサポートでライブを行なったことがある。
  
 2000年には日本のRUINSを中国に呼んだ。11月26日、王凡が上海のU-LIKEでライブを行った時、詞尾の朗読でバンドに参加した。
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やがて、[[中国三大ロック評論家]]の1人と言われるようになる。
 
 
(撮影:白川)
 
 
  
 その後も、詞の朗読で、たまにライブを行っている。
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2000年には[[日本]]のRuinsを中国に呼ぶなど、海外の著名な[[実験音楽家]]達と積極的に交流を量るようになる。11月26日、[[王凡]]が[[上海市]]の[[U-LIKE]]でライブを行なった時、詞尾の朗読でライブに参加した。
 2001年には、Sub Jam Recordsを設立し、インディーズの優秀なアルバムを同レーベルから発売した。また同年には、日本のBO-N'Z、2002年には、灰野敬二と吉田達也を中国に呼ぶなど、中国ロック界に多大な貢献をもたらしている。
 
  
 2002年5月3日には、迷笛音楽節に参加した蘭州噪音協會のゲストとして舞台に上がり、詞の朗読を行った。同年、フェイクDJグループ・DJ OKを組織した。
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その後も、詞の朗読で、たまにライブを行なっている。
  
 2003年から、実験テクノを始めるようになる。4月8日、万聖書園でFM3と映像担当の武權と共にマルチメディア詩歌朗読会“不可能”を開いた。7月27日、微波釈でFM3と映像担当の武權と共にマルチメディア詩歌朗読会“水煮黄昏”を開いた。8月になり、4月8日の朗読会の模様が『顔峻+FM3+武権』となってSUB JAMから発売された。11月29日、杭州の31号酒[ロ巴]で行われた“第一届第二層皮音楽節”で司会者を務めた。
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2001年には、[[Sub Jam Records]]を設立し、アンダーグラウンドの優秀なアルバムを同レーベルから発売した。また同年には、[[日本]]のBO-N'Z、2002年には、灰野敬二と吉田達也を中国に呼んだ。
 
『母語』2000年4期より
 
 
 2004年1月16日、上海の東大名芸術中心でFM3と共にマルチメディア詩歌朗読会を開いた。1月17日には、東大名芸術中心でFM3・孫孟晋・B6と共にマルチメディア詩歌朗読会を開いた。2月には、日本の福岡と東京へ行き、福岡では映画の解説兼詞の朗読会を開いた。5月27日、成都の音楽房子で行われた“成都BLOG中国行-成都新文化巡演”発表会を皮切りに、聲音與玩具楽隊や阿修羅楽隊と共に全国ツアーを開始した。顔峻は[口/力]外両位同志楽隊と共同で手を組んでの参加であった。5月29日、重慶の木馬LIVE HOUSEで、6月3日、深[土川]の本色酒[ロ巴]で、6月4日、広州のSOLO[ロ巴]で、6月5日、広州の橋房酒[ロ巴]でライブを行った。6月8日、杭州の31号酒[ロ巴]で、6月9日には、杭州の旅行者酒[ロ巴]でライブを行ったが、この時、李劍鴻とセッションした。6月12日、上海の東大名芸術中心でライブを行った。この時、頂樓的馬戯團とセッションした。 
 
蘭州時代の写真
 
 
  
 6月13日、南京の聖画芸術中心で、6月15日、南京の莱鳥酒[ロ巴]で、6月18・19日、青島のlavilla酒廊で、6月22日、北京の新豪運酒[ロ巴]で、6月23日、北京のNOW設計倶楽部で、6月26日、西安の巡洋艦熱舞[ロ巴]でライブを行い、ツアーが終了となった。8月7日、NOW設計倶楽部でライブを行った。8月14日、NOW設計倶楽部でライブを行った。同年には、観音唱片を設立し、9月21日、新豪運酒[ロ巴]で“観音聚会”を開いた。10月2日、フランスのパリで行われた“NUIT BLANCHE”イベントに、FM3・武權と共に参加した。11月4日、新豪運酒[ロ巴]で行われた“為野孩子楽隊小索送行”追悼ライブに王凡と共に参加した。11月27日、杭州の31号酒[ロ巴]で行われた“第二届第二層皮音楽節”に、背信棄義的雙魚座人として、28日は武權と共にライブを行った。12月3日、“北京文化転播現場-撒把芥末”に参加した。12月30日、広州のSOLO[ロ巴]でライブを行った。
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2002年5月3日には、[[北京市]]で行なわれた[[迷笛音楽節]]に参加した[[蘭州噪音協会]]のゲストとして舞台に上がり、詞の朗読を行った。同年、フェイクDJグループ・[[DJ OK]]を組織した。
 2005年1月20日、13CLUBで行われたSUB JAMアルバム発表会+観音唱片アルバム発表会に参加した。この時、2004年6月12日のライブが、『IMPROVISATION IN SHANGHAI』として発売された。3月11日、無名高地酒[ロ巴]でベルギーのC-drikやカナダのeugeneと共演した。5月21日、南門劇場で行われた“第二届大山子国際芸術節”に参加した。同年、鐵觀音楽隊に参加した。6月12日、無名高地酒[ロ巴]で行われた即興ライブに参加した。6月21日、両個好朋友酒[ロ巴]で王凡や小河と共に即興ライブを行った。またこの時のライブから「水陸観音」シリーズのライブを主催するようになる。6月25日、厦門のMOST BARでオーストラリアのLAWRENCE ENGLISHとオープン記念ライブを行った。7月9日、成都の小酒館でテクノライブを行った。
 
 
2004年6月12日、[口/力]外両位同志楽隊とのライブより
 
(撮影:YIREN)
 
 
 8月7日、厦門の最[ロ巴]で行われた“最電子”電子音楽節に竇唯・FM3・武權と共に参加した。9月27日、両個好朋友酒[ロ巴]で詩の朗読を行った。10月2日、北京海淀公園迷笛音楽節小舞台で行われた迷笛音楽節MINI MIDIに出演した。10月14日、オランダのアムステルダムのPARADISOで行われた“AMSTERDAM CHINA FESTIVAL”に、武權と共に参加した。11月1日、両個好朋友酒[ロ巴]でライブを行った。11月18日、厦門の厦門大学芸術学院で行われた“loud & clear too”短片展開幕式に参加した。11月26日、杭州の31号酒[ロ巴]で行われた“第三届第二層皮音楽節”に参加した。11月、ノイズオムニバス『Emotions: from somewhere to nowhere』に曲を発表した。同年、糖を結成した。12月20日、両個好朋友酒[ロ巴]でライブを行った。
 
 2006年1月7日、マレーシアのクアランプール・表演芸術中心(KLPAC)戸外草地室内帳篷小舞台で行われた“街頭巨響2006年独立音楽節”に参加した。2月16日、無名高地酒[ロ巴]でライブを行った。3月21日、両個好朋友酒[ロ巴]でライブを行った。4月6日、上海の育音堂で孫孟晋と共にライブを行った。4月7日、上海の朱[山己]膽芸術館文雅集で講演を行った。5月3日、北京海淀公園迷笛音楽節実験小舞台で行われた迷笛音楽節MINI MIDI IIに出演した。
 
 
 
2005年6月21日、両個好朋友酒[ロ巴]での即興ライブ
 
右は王凡
 
(写真提供:呉楠、座禅下克上的BLOG)
 
 
   6月、デンマークへ行った。6月27日、両個好朋友酒[ロ巴]でライブを行った。6月30日、永康商務会館G座で張荐と共にライブを行った。7月16日、単向街図書館でライブを行った。8月18日、蘭州の時間音楽[ロ巴]で蘭州噪音協會と共にライブを行った。9月14日、東岸CAFE JAZZで武權や竇唯とライブを行った。10月4日、東岸CAFE JAZZでライブを行った。
 
 2007年4月、インディーズオムニバス『BrainWave Communication』に曲が収録された。4月14日、上海の東大名創庫で行われた“冥想術”に参加した。4月15日、上海の育音堂で行われた“NOIShanghai VIII+”に参加した。5月19日、フランス・パリのThe 64でライブを行った。のち、この時の音源が『雅集2』として発売された。6月、オムニバス『購物楽』に曲が収録された。11月24日、杭州のLoft49凡人楽墅で行われた“二皮音楽節 五周年2003-2007”に参加した。12月25日、1stMINI CD『生命中的15分鐘』がlittle sound recordsより発売となった。
 
  
 2008年1月、アルバム『[虫し]江路』が発売となった。3月15日、D-22で行われた“2008中国先鋒音楽節”に参加した。4月30日、2ndMINI CD『花園,後花園』がlittle sound recordsより発売となった。5月1日、両個好朋友酒[ロ巴]外舞台で行われたMini Midi 2008に参加した。5月3日、両個好朋友酒[ロ巴]で行われたMini Midi 2008に参加した。6月、オムニバス『Noise Is Free』に曲が収録された。同年、オムニバス『雅集2』に曲が収録された。10月25日、上海の現場酒[ロ巴]で行われた“NOIShanghai XX”に参加し、Torturing Nurse楽隊と共にライブを行った。
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2003年から、[[実験音楽]]の演奏を始めるようになる。
  
 2009年3月21日、D-22で行われた“第二届中国先鋒音楽節”に、李增輝と共に参加した。3月22日、D-22で行われた“第二届中国先鋒音楽節”に、巫娜と共に参加した。5月30日、長沙のFREEDOM HOUSEでライブを行った。8月、ベルギーのSUB ROSAから発売となったアンソロジー『An Anthology of Chinese Experimental Music 1992-2008』に曲が収録された。8月14日、両個好朋友酒[ロ巴]でライブを行った。10月、香港のRe-Recordsより『LAMMA ISLAND DIARY』が発売となった。11月、アルバム『虫洞旅行電影原声』が発売となった。12月20日、上海の育音堂でライブを行った。
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2004年2月には、[[日本]]の[[福岡県]][[福岡市]]と[[東京都|東京]]へ行き、[[福岡市]]では映画の解説兼詞の朗読会を開いた。5月から6月にかけて、[[四川省]][[成都市]]のバンドと共に成都BLOG中国行-成都新文化巡演を行ない、全国でライブを行なった。この時、顔峻は[[另外両位同志楽隊]]と共同で手を組んでの参加であった。同年には、[[観音唱片]]を設立した。10月2日、[[フランス]]・[[パリ]]で行なわれた「NUIT BLANCHE」イベントに、[[FM3]]・[[武権]]と共に参加した。
  
 2010年3月、オムニバス『陽春』に曲が収録された。
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2005年6月21日、[[北京市]]の[[両個好朋友酒吧]]でのライブから、「水陸観音」という名前のライブを主催するようになる。10月14日、[[オランダ]]・[[アムステルダム]]のPARADISOで行なわれた「AMSTERDAM CHINA FESTIVAL」に、[[武権]]と共に参加した。同年、[[糖]]を結成した。
 
  
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2006年1月7日、[[マレーシア]]・[[クアランプール]]の表演芸術中心(KLPAC)戸外草地室内帳篷小舞台で行なわれた「街頭巨響2006年独立音楽節」に参加した。6月、[[デンマーク]]へ行った。
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2007年5月19日、[[フランス]]・[[パリ]]のThe 64でライブを行った。のち、この時の音源が『[[雅集2]]』として発売された。12月25日、1stMINI CD『[[生命中的15分鐘(顔峻)|生命中的15分鐘]]』が[[little sound records]]より発売となった。
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2008年1月、アルバム『[[虬江路(顔峻)|虬江路]]』が発売となった。4月30日、2ndMINI CD『[[花園,後花園(顔峻)|花園,後花園]]』が[[little sound records]]より発売となった。
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2009年8月、[[ベルギー]]の[[SUB ROSA]]から発売となったアンソロジー『[[An Anthology of Chinese Experimental Music 1992-2008]]』に曲が収録された。10月、[[香港]]の[[Re-Records]]より『[[LAMMA ISLAND DIARY(顔峻)|LAMMA ISLAND DIARY]]』が発売となった。11月、アルバム『[[虫洞旅行電影原声(顔峻)|虫洞旅行電影原声]]』が発売となった。
  
 
== ディスコグラフィー ==
 
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== 主要なライブ・コンサート ==
 
== 主要なライブ・コンサート ==
  
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*[[万聖書園/2003年4月8日|2003年4月8日 北京市 万聖書園]] マルチメディア詩歌朗読会“不可能” [[FM3]]・[[顔峻]]・[[武権]](映像担当)
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*[[微波釈/2003年7月27日|2003年7月27日 北京市 微波釈]] マルチメディア詩歌朗読会“水煮黄昏” [[FM3]]・[[顔峻]]・[[武権]](映像担当)
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*[[第二層皮音楽節/2003年11月29日|2003年11月29日 浙江省杭州市 31号酒吧 第一届第二層皮音楽節]] 司会
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*[[東大名芸術中心/2004年1月16日|2004年1月16日 上海市 東大名芸術中心]] マルチメディア詩歌朗読会 [[FM3]]・[[顔峻]]
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*[[東大名芸術中心/2004年1月17日|2004年1月17日 上海市 東大名芸術中心]] マルチメディア詩歌朗読会 [[FM3]]・[[顔峻]]・[[孫孟晋]]・[[B6]]
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*2004年2月 日本・福岡県福岡市 映画の解説兼詞の朗読会
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*[[音楽房子/2004年5月27日|2004年5月27日 四川省成都市 音楽房子]] 成都BLOG中国行-成都新文化巡演発表会 [[声音与玩具楽隊]]・[[阿修羅楽隊]]・[[另外両位同志楽隊]]+[[顔峻]]
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*[[木馬LIVE HOUSE/2004年5月29日|2004年5月29日 重慶市 木馬LIVE HOUSE]] 成都BLOG中国行-成都新文化巡演発表会 [[声音与玩具楽隊]]・[[阿修羅楽隊]]・[[另外両位同志楽隊]]+[[顔峻]]
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*[[本色酒吧/2004年6月3日|2004年6月3日 広東省深圳市 本色酒吧]] 成都BLOG中国行-成都新文化巡演発表会 [[声音与玩具楽隊]]・[[阿修羅楽隊]]・[[另外両位同志楽隊]]+[[顔峻]]
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*[[SOLO吧/2004年6月4日|2004年6月4日 広東省広州市 SOLO吧]] 成都BLOG中国行-成都新文化巡演発表会 [[声音与玩具楽隊]]・[[阿修羅楽隊]]・[[另外両位同志楽隊]]+[[顔峻]]
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*[[橋房酒吧/2004年6月5日|2004年6月5日 官と省広州市 橋房酒吧]] 成都BLOG中国行-成都新文化巡演発表会 [[声音与玩具楽隊]]・[[阿修羅楽隊]]・[[另外両位同志楽隊]]+[[顔峻]]
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*[[31号酒吧/2004年6月8日|2004年6月8日 浙江省杭州市 31号酒吧]] 成都BLOG中国行-成都新文化巡演発表会 [[声音与玩具楽隊]]・[[阿修羅楽隊]]・[[另外両位同志楽隊]]+[[顔峻]]
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*[[旅行者酒吧/2004年6月9日|2004年6月9日 浙江省杭州市 旅行者酒吧]] 成都BLOG中国行-成都新文化巡演発表会 [[声音与玩具楽隊]]・[[阿修羅楽隊]]・[[另外両位同志楽隊]]+[[顔峻]]+[[李剣鴻]]
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*[[東大名芸術中心/2004年6月12日|2004年6月12日 上海市 東大名芸術中心]] 成都BLOG中国行-成都新文化巡演発表会 [[声音与玩具楽隊]]・[[阿修羅楽隊]]・[[另外両位同志楽隊]]+[[顔峻]]+[[頂楼的馬戯団]]
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*[[聖画芸術中心/2004年6月13日|2004年6月13日 江蘇省南京市 聖画芸術中心]] 成都BLOG中国行-成都新文化巡演発表会 [[声音与玩具楽隊]]・[[阿修羅楽隊]]・[[另外両位同志楽隊]]
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*[[莱鳥酒吧/2004年6月15日|2004年6月15日 江蘇省南京市 莱鳥酒吧]] 成都BLOG中国行-成都新文化巡演発表会 [[声音与玩具楽隊]]・[[阿修羅楽隊]]・[[另外両位同志楽隊]]
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*[[lavilla酒廊/2004年6月18日|2004年6月18日 山東省青島市 lavilla酒廊]] 成都BLOG中国行-成都新文化巡演発表会 [[声音与玩具楽隊]]・[[阿修羅楽隊]]・[[另外両位同志楽隊]]
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*[[lavilla酒廊/2004年6月19日|2004年6月19日 山東省青島市 lavilla酒廊]] 成都BLOG中国行-成都新文化巡演発表会 [[声音与玩具楽隊]]・[[阿修羅楽隊]]・[[另外両位同志楽隊]]
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*[[豪運酒吧(新豪運酒吧)/2004年6月22日|2004年6月22日 北京市 新豪運酒吧]] 成都BLOG中国行-成都新文化巡演発表会 [[声音与玩具楽隊]]・[[阿修羅楽隊]]・[[另外両位同志楽隊]]
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*[[NOW設計倶楽部/2004年6月23日|2004年6月23日 北京市 NOW設計倶楽部]] 成都BLOG中国行-成都新文化巡演発表会 [[声音与玩具楽隊]]・[[阿修羅楽隊]]・[[另外両位同志楽隊]]
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*[[巡洋艦熱舞吧/2004年6月26日|2004年6月26日 陝西省西安市 巡洋艦熱舞吧]] 成都BLOG中国行-成都新文化巡演発表会 [[声音与玩具楽隊]]・[[阿修羅楽隊]]・[[另外両位同志楽隊]]
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*[[NOW設計倶楽部/2004年8月7日|2004年8月7日 北京市 NOW設計倶楽部]]
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*[[NOW設計倶楽部/2004年8月14日|2004年8月14日 北京市 NOW設計倶楽部]]
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*[[豪運酒吧(新豪運酒吧)/2004年9月21日|2004年9月21日 北京市 新豪運酒吧]] 観音聚会
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*2004年10月2日 フランス・パリ NUIT BLANCHE 参加者:[[FM3]]・顔峻・[[武権]]
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*[[豪運酒吧(新豪運酒吧)/2004年11月4日|2004年11月4日 北京市 新豪運酒吧]] 為野孩子楽隊小索送行 クレジット:顔峻+[[王凡]]
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*[[第二層皮音楽節/2004年11月28日|2004年11月28日 浙江省杭州市 31号酒吧 第二届第二層皮音楽節]] クレジット:顔峻+[[武権]]
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*[[北京文化転播現場-撒把芥末/2004年12月3日|2004年12月3日 北京市 北京文化転播現場-撒把芥末]]
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*[[SOLO吧/2004年12月30日|2004年12月30日 広東省広州市 SOLO吧]]
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*[[13CLUB(北京店)/2005年1月20日|2005年1月20日 北京市 13CLUB]] SUB JAMアルバム発表会+観音唱片アルバム発表会
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*[[無名高地酒吧/2005年3月11日|2005年3月11日 北京市 無名高地酒吧]] C-drik(ベルギー)・eugene(カナダ)・[[顔峻]]
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*[[南門劇場/2005年5月21日|2005年5月21日 北京市 南門劇場 第二届大山子国際芸術節]]
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*[[無名高地酒吧/2005年6月12日|2005年6月12日 北京市 無名高地酒吧]] 即興ライブ
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*[[両個好朋友酒吧/2005年6月21日|2005年6月21日 北京市 両個好朋友酒吧]] クレジット:[[王凡]]+[[小河]]+顔峻 水陸観音
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*[[MOST BAR/2005年6月25日|2005年6月25日 福建省廈門市 MOST BAR]] オープン記念ライブ LAWRENCE ENGLISH(オーストラリア)・顔峻
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*[[小酒館(玉林店)/2005年7月9日|2005年7月9日 四川省成都市 小酒館(玉林店)]] テクノライブ
 +
*[[最吧/2005年8月7日|2005年8月7日 福建省廈門市 最吧 “最電子”電子音楽節]] クレジット:[[竇唯]]+[[FM3]]+顔峻+[[武権]]
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*[[両個好朋友酒吧/2005年9月27日|2005年9月27日 北京市 両個好朋友酒吧]] 詩の朗読
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*[[迷笛音楽節/2005年10月2日|2005年10月2日 北京市 北京海淀公園 迷笛音楽節小舞台 迷笛音楽節MINI MIDI]]
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*2005年10月14日 オランダ・アムステルダム PARADISO AMSTERDAM CHINA FESTIVAL 参加者:顔峻+[[武権]]
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*[[両個好朋友酒吧/2005年11月1日|2005年11月1日 北京市 両個好朋友酒吧]]
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*[[廈門大学/2005年11月18日|2005年11月18日 福建省廈門市 廈門大学芸術学院 “loud & clear too”短片展開幕式]]
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*[[第二層皮音楽節/2005年11月26日|2005年11月26日 浙江省杭州市 31号酒吧 第三届第二層皮音楽節]]
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*[[両個好朋友酒吧/2005年12月20日|2005年12月20日 北京市 両個好朋友酒吧]]
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*2006年1月7日 マレーシア・クアランプール 表演芸術中心(KLPAC)戸外草地室内帳篷小舞台 街頭巨響2006年独立音楽節
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*[[無名高地酒吧/2006年2月16日|2006年2月16日 北京市 無名高地酒吧]]
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*[[両個好朋友酒吧/2006年3月21日|2006年3月21日 北京市 両個好朋友酒吧]]
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*[[育音堂/2006年4月6日|2006年4月6日 上海市 育音堂]] クレジット:顔峻+[[孫孟晋]]
 +
*[[2006年4月7日 上海市 朱[山己]膽芸術館文雅集]] 講演
 +
*[[迷笛音楽節/2006年5月3日|2006年5月3日 北京市 北京海淀公園 迷笛音楽節実験小舞台 迷笛音楽節MINI MIDI II]]
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*2006年6月 デンマーク
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*[[両個好朋友酒吧/2006年6月27日|2006年6月27日 北京市 両個好朋友酒吧]]
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*[[永康商務会館/2006年6月30日|2006年6月30日 北京市 永康商務会館G座]] クレジット:顔峻+[[張荐]]
 +
*[[単向街図書館/2006年7月16日|2006年7月16日 北京市 単向街図書館]]
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*[[時間音楽吧/2006年8月18日|2006年8月18日 甘粛省蘭州市 時間音楽吧]] クレジット:[[蘭州噪音協会]]+顔峻
 +
*[[東岸CAFE JAZZ/2006年9月14日|2006年9月14日、東岸CAFE JAZZ]] クレジット:[[武権]]+[[竇唯]]+顔峻
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*[[東岸CAFE JAZZ/2006年10月4日|2006年10月4日、東岸CAFE JAZZ]]
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*[[東大名創庫/2007年4月14日|2007年4月14日 上海市 東大名創庫]] 冥想術
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*[[育音堂/2007年4月15日|2007年4月15日 上海市 育音堂]] NOIShanghai VIII+
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*2007年5月19日 フランス・パリ The 64
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*[[第二層皮音楽節/2007年11月24日|2007年11月24日 浙江省杭州市 Loft49凡人楽墅 二皮音楽節 五周年2003-2007]]
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*[[D-22/2008年3月15日|2008年3月15日 北京市 D-22]] 2008中国先鋒音楽節
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*[[両個好朋友酒吧/2008年5月1日|2008年5月1日 北京市 両個好朋友酒吧外舞台 Mini Midi 2008]]
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*[[両個好朋友酒吧/2008年5月3日|2008年5月3日 北京市 両個好朋友酒吧 Mini Midi 2008]]
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*[[現場酒吧(昆明路店)/2008年10月25日|2008年10月25日 上海市 現場酒吧]] NOIShanghai XX クレジット:[[Torturing Nurse]]+顔峻
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*[[D-22/2009年3月21日|2009年3月21日 北京市 D-22]] 第二届中国先鋒音楽節 [[李増輝]]+顔峻
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*[[D-22/2009年3月22日|2009年3月22日 北京市 D-22]] 第二届中国先鋒音楽節 巫娜+顔峻
 
*[[小雷音倶楽部/2009年4月4日|2009年4月4日 北京市 小雷音倶楽部]]
 
*[[小雷音倶楽部/2009年4月4日|2009年4月4日 北京市 小雷音倶楽部]]
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*[[FREEDOM HOUSE/2009年5月30日|2009年5月30日 湖南省長沙市 FREEDOM HOUSE]]
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*[[両個好朋友酒吧/2009年8月14日|2009年8月14日 北京市 両個好朋友酒吧]]
 
*[[小雷音倶楽部/2010年10月2日|2010年10月2日 北京市通州区 小雷音倶楽部]]
 
*[[小雷音倶楽部/2010年10月2日|2010年10月2日 北京市通州区 小雷音倶楽部]]
 
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*[[育音堂/2009年12月20日|2009年12月20日 上海市 育音堂]]
  
 
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2011年4月26日 (火) 16:55時点における版

顔峻
Yanjun 14.jpg
(撮影:白川)
基本情報
中国語名(簡体字) 颜峻
中国語名(繁体字) 顏峻
拼音 Yan Jun
発音転記 イェヌ ジュヌ
出生日 1973年
学歴 西北師範大学
出身地 甘粛省蘭州市
担当楽器 ボーカルMIDI朗読
ジャンル 実験音楽オルタナティブ(蘭州市時代)
職業 ロック評論家ラジオ番組DJ詩人サウンドーアティスト
『母語』2000年4期より。
蘭州市時代の写真。
2004年6月12日、另外両位同志楽隊とのライブより。(撮影:YIREN
2005年6月21日、両個好朋友酒吧での即興ライブ。右は王凡。(写真提供:呉楠、座禅下克上的BLOG

顔峻(イェヌ ジュヌ、Yan Jun、1973年 -)は、甘粛省蘭州市出身で、北京市で活動しているロック評論家。一般的に中国三大ロック評論家の1人として知られており、国内外のロックに関して精通している。近年ではサウンドーアティストとしての顔も知られるようになってきた。

経歴

甘粛省蘭州市に生まれ育ち、西北師範大学中文系を卒業する。大学卒業後は、『蘭州晩報』で編集の仕事をする。その頃、数多くの評論を発表し、1990年代後半、彼の評論はほとんどの主要音楽雑誌に掲載されており、彼の名前がない雑誌がないほどであった。中国ロック方面では、アンダーグラウンドのバンドに着目して書くことが多く、彼が雑誌に寄稿したことで全国に知られるようになったバンドも数多い。

蘭州市にいた時は、ラジオ局ディスクジョッキーをしたり、骨灰楽隊を組んでボーカルを担当していた。北京市に来てからも、舌頭楽隊のサポートでライブを行なったことがある。

やがて、中国三大ロック評論家の1人と言われるようになる。

2000年には日本のRuinsを中国に呼ぶなど、海外の著名な実験音楽家達と積極的に交流を量るようになる。11月26日、王凡上海市U-LIKEでライブを行なった時、詞尾の朗読でライブに参加した。

その後も、詞の朗読で、たまにライブを行なっている。

2001年には、Sub Jam Recordsを設立し、アンダーグラウンドの優秀なアルバムを同レーベルから発売した。また同年には、日本のBO-N'Z、2002年には、灰野敬二と吉田達也を中国に呼んだ。

2002年5月3日には、北京市で行なわれた迷笛音楽節に参加した蘭州噪音協会のゲストとして舞台に上がり、詞の朗読を行った。同年、フェイクDJグループ・DJ OKを組織した。

2003年から、実験音楽の演奏を始めるようになる。

2004年2月には、日本福岡県福岡市東京へ行き、福岡市では映画の解説兼詞の朗読会を開いた。5月から6月にかけて、四川省成都市のバンドと共に成都BLOG中国行-成都新文化巡演を行ない、全国でライブを行なった。この時、顔峻は另外両位同志楽隊と共同で手を組んでの参加であった。同年には、観音唱片を設立した。10月2日、フランスパリで行なわれた「NUIT BLANCHE」イベントに、FM3武権と共に参加した。

2005年6月21日、北京市両個好朋友酒吧でのライブから、「水陸観音」という名前のライブを主催するようになる。10月14日、オランダアムステルダムのPARADISOで行なわれた「AMSTERDAM CHINA FESTIVAL」に、武権と共に参加した。同年、を結成した。

2006年1月7日、マレーシアクアランプールの表演芸術中心(KLPAC)戸外草地室内帳篷小舞台で行なわれた「街頭巨響2006年独立音楽節」に参加した。6月、デンマークへ行った。

2007年5月19日、フランスパリのThe 64でライブを行った。のち、この時の音源が『雅集2』として発売された。12月25日、1stMINI CD『生命中的15分鐘』がlittle sound recordsより発売となった。

2008年1月、アルバム『虬江路』が発売となった。4月30日、2ndMINI CD『花園,後花園』がlittle sound recordsより発売となった。

2009年8月、ベルギーSUB ROSAから発売となったアンソロジー『An Anthology of Chinese Experimental Music 1992-2008』に曲が収録された。10月、香港Re-Recordsより『LAMMA ISLAND DIARY』が発売となった。11月、アルバム『虫洞旅行電影原声』が発売となった。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ライブ・アルバム

EP

シングル

映像作品

プロモーション・アルバム

 プロモーション・シングル

デモテープ

コラボレーション・アルバム

スプリット・アルバム

ソロ発表曲 

曲名アルバム名発表年備考

参加アルバム 

アーティスト・バンド名曲名アルバム名発表年参加形態備考

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考

主要なライブ・コンサート

外部リンク

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