「零点楽隊」の版間の差分

提供:Chinese Rock Database
ナビゲーションに移動検索に移動
111行目: 111行目:
  
 
2012年から次第にライブ活動が増えていったが、2013年8月には[[二毛]]が麻薬使用で再再逮捕されるなど、迷走を続けている。
 
2012年から次第にライブ活動が増えていったが、2013年8月には[[二毛]]が麻薬使用で再再逮捕されるなど、迷走を続けている。
 +
 +
2016年6月、[[北京東亜星光文化伝播有限公司]]と契約した。8月24日、アルバム『[[我還愛着你(零点楽隊)|我還愛着你]]』が発売となった。
  
 
== ディスコグラフィー ==
 
== ディスコグラフィー ==
123行目: 125行目:
 
*'''[[越来越(零点楽隊)|越来越]]'''(2003年9月)
 
*'''[[越来越(零点楽隊)|越来越]]'''(2003年9月)
 
*'''[[風雷動(零点楽隊)|風雷動]]'''(2005年1月)
 
*'''[[風雷動(零点楽隊)|風雷動]]'''(2005年1月)
 +
*'''[[我還愛着你(零点楽隊)|我還愛着你]]'''(2016年8月24日)
  
 
=== ライブ・アルバム ===
 
=== ライブ・アルバム ===
577行目: 580行目:
 
*[[新郷揺滾音楽節/1998年6月|1998年6月 河北省新郷市 新郷市体育中心足球場 第一届新郷揺滾音楽節]]
 
*[[新郷揺滾音楽節/1998年6月|1998年6月 河北省新郷市 新郷市体育中心足球場 第一届新郷揺滾音楽節]]
 
*[[華聯商廈(石景山店)/1998年夏|1998年夏 北京市 華聯商廈(石景山店)前広場]]
 
*[[華聯商廈(石景山店)/1998年夏|1998年夏 北京市 華聯商廈(石景山店)前広場]]
*[[拒絶毒品珍愛生命|1999年1月23日 雲南省昆明市 拒絶毒品珍愛生命]]
+
*[[十堰市/1998年10月14日|1998年10月14日 湖北省十堰市]]
 +
*[[大田湾体育場/1998年11月1日|1998年11月1日 重慶市 大田湾体育場]]
 +
*[[撫順体育館/1998年11月13日|1998年11月13日 遼寧省撫順市 撫順体育館]]
 +
*[[撫順体育館/1998年11月13日|1998年11月14日 遼寧省撫順市 撫順体育館]]
 +
*[[東営体育館/1998年12月19|1998年12月19日 山東省東営市 東営体育館]]
 +
*[[珠海体育場/1998年12月24|1998年12月24日 広東省広州市 珠海体育場]]
 +
*[[遵義体育館/1999年1月3日|1999年1月3日 貴州省遵義市 遵義体育館]]
 +
*[[拒絶毒品珍愛生命|1999年1月23日 雲南省昆明市 昆明体育場 拒絶毒品珍愛生命]]
 +
*[[玉渓市/1999年1月26日|1999年1月26日 雲南省玉渓市]]
 +
*[[唐山体育館/1999年2月6日|1999年2月6日 河北省唐山市 唐山体育館]]
 +
*1999年2月 [[アメリカ]]・ニュージャージー州アトランティックシティ
 +
*1999年2月 [[アメリカ]]・ラスベガス
 +
*[[鄭州体育館/1999年3月5日|1999年3月5日 河南省鄭州市 鄭州体育館]]
 +
*[[五台山体育館/1999年3月14日|1999年3月14日 江蘇省南京市 五台山体育館]] [[田震]]・[[零点楽隊]]
 +
*[[首都体育館/1999年4月27日|1999年4月27日 北京市 首都体育館]]“京、粤、港”三地群英演唱会
 +
*[[青島市/1999年4月30日|1999年4月30日 山東省青島市]]
 +
*1999年5月13日 [[広東省]][[深圳市]] [[鳳凰衛視]]・[[深圳電視台]]等 『中国人今天説“不”大型反戦音楽会』
 +
*[[拉薩市/1999年8月|1999年8月 チベット自治区拉薩市]]
 
*[[JJ DISCO/1999年9月21日|1999年9月21日 北京市 JJ DISCO]] アルバム『00:00:00』発表会
 
*[[JJ DISCO/1999年9月21日|1999年9月21日 北京市 JJ DISCO]] アルバム『00:00:00』発表会
 
*[[北京展覧館劇場/1999年12月24日|1999年12月24日 北京市 北京展覧館劇場]]
 
*[[北京展覧館劇場/1999年12月24日|1999年12月24日 北京市 北京展覧館劇場]]
636行目: 656行目:
 
*[[八達嶺孔雀城/2015年8月29日|2015年8月29日 河北省張家口市懐来県 八達嶺孔雀城]]
 
*[[八達嶺孔雀城/2015年8月29日|2015年8月29日 河北省張家口市懐来県 八達嶺孔雀城]]
 
*[[襄陽体育館/2015年11月20日|2015年11月20日 湖北省襄陽市 襄陽体育館]]
 
*[[襄陽体育館/2015年11月20日|2015年11月20日 湖北省襄陽市 襄陽体育館]]
*[[北京工人体育館/2017年5月20日|2017年5月20日 北京市 北京工人体育館]]
+
*[[北京工人体育館/2017年5月20日|2017年5月20日 北京市 北京工人体育館]] 2017“我還愛着你″専輯慶功演唱会
 
*[[桜桃音楽晩会/2017年6月3日|2017年6月3日 北京市順義区 順麗鑫生態観光農業園 第二届桜桃采摘節桜桃音楽晩会]]
 
*[[桜桃音楽晩会/2017年6月3日|2017年6月3日 北京市順義区 順麗鑫生態観光農業園 第二届桜桃采摘節桜桃音楽晩会]]
 
*[[鄭州方特水上楽園/2017年7月8日|2017年7月8日 河南省鄭州市 鄭州方特水上楽園]]
 
*[[鄭州方特水上楽園/2017年7月8日|2017年7月8日 河南省鄭州市 鄭州方特水上楽園]]
 +
*[[営口万達広場/2017年9月9日|2017年9月9日 遼寧省営口市 営口万達広場前広場]]
 +
*[[北京展覧館劇場/2019年8月30日|2019年8月30日 北京市 北京展覧館劇場]] 2019降噪VI [[零点楽隊]]・[[打擾一下楽団]]
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==

2019年9月7日 (土) 13:21時点における版

零点楽隊
Lingdian 41.jpg
1stアルバム発売時から6thアルバムまでメンバーは変わっていない。4thアルバム用に撮った写真。左から:二毛王笑冬周暁欧大毛朝洛蒙
基本情報
中国語名(簡体字) 零点
中国語名(繁体字) 零點
拼音 Lingdian
発音転記 リンディエヌ
英語名・外国語名 Zero Point
出身地 内モンゴル自治区呼和浩特市
ジャンル ポップロックハードロック
職業 バックバンド
活動期間 1989年 -
メンバー 老五
大毛
楊海東
段絲梨
朝洛蒙
1999年頃の写真。
1999年頃の写真。
1999年頃の写真。

零点楽隊(リンディエヌ、Lingdian)は、内モンゴル自治区呼和浩特市出身で、北京市で活動しているバンド。1990年代から2000年代前半にかけて、人気・実力と共に中国のポップバンドの頂点に輝いたバンドである。

メンバー

  • 老五(薛暁光) ボーカル(2011年,2013年 -) -- 最初の加入時にはすぐにバンドを脱退してしまった。ソロで音楽活動もしている。2013年12月31日、首届聖誕新年流行音楽節に出場した。2014年5月23日、懐化学院でライブを行なった。
  • 大毛 ギター(1989年 - 2004年4月14日,2005年7月 -) -- 2010年4月、再逮捕されてから暫くは参加できなかった。
  • 楊海東 ベース(2013年初 -) -- 元・異教楽隊のメンバー。
  • 段絲梨SARA) ドラム(2013年後半 -) -- 女性。
  • 朝洛蒙 キーボード(1989年 - 2004年4月14日,2005年7月 -) -- 2010年4月、再逮捕されてから暫くは参加できなかった。

過去に在籍したメンバー

サポートメンバー

経歴

アルバム発売まで

1989年、内モンゴル自治区呼和浩特市で結成された。

1990年12月に、王笑冬二毛が上京する。1991年2月、残りのメンバーが上京し、北京市で活動を始めた。

1992年、王昆の東方歌舞団に入団する。それから他のメンバーとも知り合いになり、零点楽隊が結成となった。全てがゼロからスタートということで、零点楽隊というバンド名にした。

当初はコピーソングばかりであったが、韓磊が加入してからは、オリジナルロックソングを創作するようになっていった。

1993年からは流行歌手のバックバンドとして、100以上もの会場で演奏を行ない、実力をつけていった。

1994年3月、内モンゴル自治区出身以外のメンバー・周暁欧が加入し、メンバーが固定した。周暁欧以外はモンゴル族と言われていた時期もあるが、これは誤りで、実際は朝洛蒙だけがモンゴル族であった。

中国一のバンドへ

1995年3月になり、創作活動を開始し、アルバムをレコーディングした。12月には、北京京文音像公司からデビューアルバム『別誤会』が発売となった。9月には日本JVCがこのアルバムの海外販売権を獲得によって海外でアルバムが発売されるようになり、海外のメディアに「中国ポップスが世界舞台で戦っていく重大契機である」と称される。

1997年1月、2ndアルバム『永恒的起点』が発売となった。収録曲の「爱不爱我」は、50のラジオ曲のトップ1に輝いた。

1998年には、3rdアルバム『毎一夜毎一天』とベストアルバムが発売。「毎一夜毎一天」が50のラジオ曲のトップ1に輝き、中国原創歌曲総評榜では年度ベスト10曲になり、また零点楽隊は最優秀バンドと評された。9月、喜洋洋公司と3年契約する。

1999年9月、4thアルバム『00:00:00』が発売となった。

彼らは、商業路線を突き進んでいるため、北京市のロッカー達から嫌われている(もしくは相手にされていない)が、バラードが好きな中国人からは最も受け入れられているバンドである。実際大陸で彼らのように商業路線を進もうとするバンドもいるが、黒豹楽隊以降、アルバムの数、発売本数(2000年の時点:総計300万本)や人気面で、零点楽隊を超えるバンドは出現していない。ただ、あまりにも中国人好みの音楽を作りつづけているため保守的で、デビュー以来スタイルの変化もあまり見うけられない。その方が中国人のニーズに合うのだろう。

1999年のクリスマスには、北京展覧館劇場でコンサートを開いた。数千人規模の会場で、しかも普通のロックライブの2~15倍の値段のチケットであったにも関わらず、コンサートを無事成功させたことは、彼らの地位が上昇したことを物語る。

2000年11月末には喜洋洋公司との契約を途中解除した。

2001年7月、北京天中文化有限公司と契約した。

2002年1月、5thアルバム『没有什麼不可以』が発売となった。

2003年9月、6thアルバム『越来越』が発売となった。10月17日、北京工人体育館零点楽隊北京演唱会を開き、大成功を収めた。かつては、黒豹楽隊が中国のトップバンドとして君臨してきたが、ここにきて、零点楽隊が完全に黒豹楽隊を抜いて、実力・名実共に頂点を極めたと言える。

凋落と復活に向けて

2004年4月、山東省青島市でのコンサートの後、大毛朝洛蒙が麻薬使用で警察に逮捕され、それが原因で4月14日、大毛朝洛蒙が脱退した。この事件以後、サポートメンバーを加えてたまにコンサートを開いていたが、事件の影響は大きく、精彩を欠いていた。8月、保利演芸経紀有限公司と契約し、新天地で新たな活動を始めることとなった。11月には、コンセプト・アルバムのレコーディングを行なう。

2005年1月19日、コンセプト・アルバム風雷動』が発売となった。7月、大毛朝洛蒙がバンドに復帰し、メンバーは本来の5人となった。

2007年5月、プロモーション・シングル『不是不愛你』を発表したが、すでにバンドは半ば活動休止状態に陥っていた。

2008年2月、周暁欧がバンド脱退を発表した。

2009年には新しいメンバーを加えて、少しづつではあるが、活動を再開していった。

2010年4月、大毛二毛が麻薬使用で逮捕された。同月、朝洛蒙も麻薬使用で逮捕され、メンバーのうち3人が逮捕されるという事態となり、活動ができなくなってしまった。

2012年から次第にライブ活動が増えていったが、2013年8月には二毛が麻薬使用で再再逮捕されるなど、迷走を続けている。

2016年6月、北京東亜星光文化伝播有限公司と契約した。8月24日、アルバム『我還愛着你』が発売となった。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ライブ・アルバム

映像作品

ベスト・アルバム

プロモーション・シングル

Bootleg

ソロ発表曲 

テンプレート:Solo List 50

参加アルバム 

テンプレート:Participation List 100

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考
VCD走近零點2000インタビューオリジナルインタビュー模様を海賊盤VCDに収録
テレビ手拉手同一首歌 新北京新奥運 北京申辦2008奥運会2001演奏(黒豹楽隊唐朝楽隊輪回楽隊蛍火虫楽隊と)2008年オリピック誘致運動コンサートより▼海賊盤VCDあり
ショートフィルム渣運合伙人2014/2主演ネットで視聴できる

主要なライブ・コンサート

外部リンク