「輪回楽隊」の版間の差分

提供:Chinese Rock Database
ナビゲーションに移動検索に移動
 
(同じ利用者による、間の20版が非表示)
7行目: 7行目:
 
| pinyin              = Lunhui
 
| pinyin              = Lunhui
 
| chinesename_katakana = ルヌホォイ
 
| chinesename_katakana = ルヌホォイ
| englishname          = AGAIN
+
| englishname          = AGAIN、SAMSARA(大地唱片契約時)
 
| birth_name          =
 
| birth_name          =
 
| alias                = AGAIN輪回、輪廻
 
| alias                = AGAIN輪回、輪廻
34行目: 34行目:
  
 
== メンバー ==
 
== メンバー ==
 
=== バンドA ===
 
  
 
*'''趙航''' [[ボーカル]](2012年12月25日 -) -- 元・[[指行者楽隊]]のメンバー。3代目ボーカル。2013年4月6日、[[重走青春音楽酒吧/2013年4月6日|重走青春音楽酒吧]]でライブを行なった。普段は[[吉林省]][[長春市]]の[[花様年華酒吧]]で専属歌手として活動している。2016年9月30日・10月1日、[[遼寧省]][[営口市]]の[[WANT91酒吧]]でライブを行なった。
 
*'''趙航''' [[ボーカル]](2012年12月25日 -) -- 元・[[指行者楽隊]]のメンバー。3代目ボーカル。2013年4月6日、[[重走青春音楽酒吧/2013年4月6日|重走青春音楽酒吧]]でライブを行なった。普段は[[吉林省]][[長春市]]の[[花様年華酒吧]]で専属歌手として活動している。2016年9月30日・10月1日、[[遼寧省]][[営口市]]の[[WANT91酒吧]]でライブを行なった。
 
*'''石頭先生''' [[リードギター]](2013年 -) -- 元・[[第九頻道楽隊]]のメンバー。
 
*'''石頭先生''' [[リードギター]](2013年 -) -- 元・[[第九頻道楽隊]]のメンバー。
 
*'''[[李強]]''' [[ギター]](1991年12月 -) -- 元・[[軍火庫楽隊(北京市)|軍火庫楽隊]]のメンバー。
 
*'''[[李強]]''' [[ギター]](1991年12月 -) -- 元・[[軍火庫楽隊(北京市)|軍火庫楽隊]]のメンバー。
*'''[[周旭]]''' [[ベース]](1991年12月 -)
+
*'''[[周旭]]''' [[ベース]](1991年12月 -) -- 元・[[軍火庫楽隊(北京市)|軍火庫楽隊]]のメンバー。
 
*'''[[尚巍]]''' [[ドラム]](1999年 -)
 
*'''[[尚巍]]''' [[ドラム]](1999年 -)
 
=== バンドB ===
 
 
*'''[[呉遥]]''' [[ボーカル]](2004年8月 - 2012年12月25日) -- 女性。2代目ボーカル。
 
*'''[[趙衛]]''' [[ギター]](1991年12月 -) -- リーダー。
 
  
 
=== 過去に在籍したメンバー ===
 
=== 過去に在籍したメンバー ===
54行目: 47行目:
 
*'''[[馮軍]]''' [[ドラム]](1993年 - 1996年) -- 元・[[軍火庫楽隊(北京市)|軍火庫楽隊]]のメンバー。[[河北省]][[邯鄲市]]のライブから加入。
 
*'''[[馮軍]]''' [[ドラム]](1993年 - 1996年) -- 元・[[軍火庫楽隊(北京市)|軍火庫楽隊]]のメンバー。[[河北省]][[邯鄲市]]のライブから加入。
 
*'''[[王立冬]]''' [[ドラム]](1996年)
 
*'''[[王立冬]]''' [[ドラム]](1996年)
 +
*'''[[呉遥]]''' [[ボーカル]](2004年8月 - 2012年12月25日) -- 女性。2代目ボーカル。バンド分裂後も暫くは[[趙衛]]と輪回楽隊として活動をしていた。
 +
*'''[[趙衛]]''' [[ギター]](1991年12月 -) -- 元・[[軍火庫楽隊(北京市)|軍火庫楽隊]]のメンバー。元リーダー。バンド分裂後も暫くは[[呉遥]]と輪回楽隊として活動をしていた。
  
 
=== サポートメンバー ===
 
=== サポートメンバー ===
63行目: 58行目:
 
=== 呉彤(呉桐)ボーカル時代 ===
 
=== 呉彤(呉桐)ボーカル時代 ===
  
1988年、中国人民解放軍総政軍楽団の中に[[軍火庫楽隊(北京市)|軍火庫楽隊]]や[[趙衛]]所属のバンドなどが存在していた。当時は[[コピーバンド]]として活動していた。
+
1988年、中国人民解放軍総政軍楽団の中に[[軍火庫楽隊(北京市)|軍火庫楽隊]]や[[趙衛]]所属のバンドなどが存在していた。当時はコピーバンドとして活動していた。
  
やがてメンバーが[[趙衛]]・[[李強]]・[[周旭]]・[[焦全傑]]となり、1991年12月、[[北京航空航天大学]]でライブが決まってから、わずか15日で10曲のオリジナル曲を仕上げた。そしてこのライブから[[呉桐]]が加わった。最後の曲で「Again Again...」と繰り返して歌う部分があり、この部分に興奮した学生達が舞台に上がりはじめるなど、盛り上がったのをきっかけに、バンド名を「AGAIN」とした。
+
やがてメンバーが[[趙衛]]・[[李強]]・[[周旭]]・[[焦全傑]]となり、1991年12月、[[北京航空航天大学]]でのライブが決まってから、わずか15日で10曲のオリジナル曲を仕上げた。そしてこのライブから[[呉桐]]が加わった。最後の曲で「Again Again...」と繰り返して歌う部分があり、この部分に興奮した学生達が舞台に上がりはじめるなど、盛り上がったのをきっかけに、バンド名を「AGAIN」とした。
  
 
正式なバンド名は「AGAIN」という英語名だったが、『[[揺滾北京]]』を手掛けた[[王暁京]]が中国人には分からないということで、「輪回」という中国語名に変更した。「AGAIN輪回楽隊」という呼び方はのちに[[日本]]の[[JVC]]と契約した時にレコード会社が呼んだ名前である。(以上は[[趙衛の発言であるが、実際には『[[揺滾北京]]』や『[[創造(輪回楽隊)|創造]]』では「輪回AGAIN」とクレジットされている)
 
正式なバンド名は「AGAIN」という英語名だったが、『[[揺滾北京]]』を手掛けた[[王暁京]]が中国人には分からないということで、「輪回」という中国語名に変更した。「AGAIN輪回楽隊」という呼び方はのちに[[日本]]の[[JVC]]と契約した時にレコード会社が呼んだ名前である。(以上は[[趙衛の発言であるが、実際には『[[揺滾北京]]』や『[[創造(輪回楽隊)|創造]]』では「輪回AGAIN」とクレジットされている)
75行目: 70行目:
 
1994年、[[北京鴻鈦文化芸術伝播有限公司]]と2年契約した。
 
1994年、[[北京鴻鈦文化芸術伝播有限公司]]と2年契約した。
  
1995年、1stアルバム『[[創造(輪回楽隊)|創造]]』が発売となる。アルバム収録曲の「许多天来我很难过」がヒットチャートにランク入りした。
+
1995年、1stアルバム『[[創造(輪回楽隊)|創造]]』が発売となる。そのうち、アルバム収録曲の「许多天来我很难过」がヒットチャートにランク入りした。
  
 
1996年にはテレビ・[[上海東方電視台]]から最優秀バンドと評される。
 
1996年にはテレビ・[[上海東方電視台]]から最優秀バンドと評される。
83行目: 78行目:
 
1998年、[[日本]]でも『[[心楽集(輪回楽隊)|心楽集]]』が発売となる。11月23日、[[日本]]の新潟県で行なわれた「ユーラシアオデッセイ-3DAYS-新潟アジア音楽フェスティバル」に参加した。
 
1998年、[[日本]]でも『[[心楽集(輪回楽隊)|心楽集]]』が発売となる。11月23日、[[日本]]の新潟県で行なわれた「ユーラシアオデッセイ-3DAYS-新潟アジア音楽フェスティバル」に参加した。
  
1999年に[[竹書文化]]との契約が切れる。12月31日には、テレビ・[[中央電視台]]の「新千年元旦晩会」に出演し、中国ロックバンドとしては、初めて同番組に出演したバンドとなった。
+
1999年、[[竹書文化]]との契約が終了した。12月31日には、テレビ・[[中央電視台]]の『新千年元旦晩会』に出演し、[[中国ロック]]バンドとしては、初めて同番組に出演したバンドとなった。
  
2000年元旦には[[中央電視台]]の歌番組「同一首歌」に出演した。7月15日から17日には、[[韓国]]の釜山で行なわれた「Busan International Rock Festival 2000」に参加し、世界の有名バンドとともにライブを行なった。
+
2000年元旦には[[中央電視台]]の歌番組『同一首歌』に出演した。7月15日から17日には、[[韓国]]の釜山で行なわれた「Busan International Rock Festival 2000」に参加し、世界の有名バンドとともにライブを行なった。
  
 
2001年1月、[[北京領先文化芸術有限公司]]と契約する。
 
2001年1月、[[北京領先文化芸術有限公司]]と契約する。
95行目: 90行目:
 
=== 呉遥ボーカル時代 ===
 
=== 呉遥ボーカル時代 ===
  
2004年4月27日、バンドの顔となる[[呉彤]]が突然脱退した。輪回楽隊のメンバーの話では、[[呉彤]]が[[アメリカ]]へ行っており戻って来なかった。そのため、予定していたコンサートをキャンセルすることになったのでクビにしたということであるが、[[呉彤]]の話では、[[アメリカ]]滞在期間はすでに前もって決まっていたことであり、その間に輪回楽隊のライブがあることなどはまったく知らされていなかったということで、双方の意見に食い違いがあるが、ここから大きくバンドを取り巻く環境が変化していった。
+
2004年4月27日、バンドの顔となる[[呉彤]]が突然脱退した。輪回楽隊のメンバーの話では、[[呉彤]]が[[アメリカ]]へ行っており戻って来なかった。そのため、予定していたコンサートをキャンセルすることになったので、クビにしたということであるが、[[呉彤]]の話では、[[アメリカ]]滞在期間はすでに前もって決まっていたことであり、その間に輪回楽隊のライブがあることなどはまったく知らされていなかったということで、双方の意見に食い違いがあるが、ここから大きくバンドを取り巻く環境が変化していった。
  
 
その後、[[ボーカリスト]]募集を経て、8月、女性[[ボーカリスト]]の[[呉遥]]が加入した。
 
その後、[[ボーカリスト]]募集を経て、8月、女性[[ボーカリスト]]の[[呉遥]]が加入した。
109行目: 104行目:
 
=== 分裂の時代 ===
 
=== 分裂の時代 ===
  
2012年12月25日、[[呉遥]]が突然解雇となり、趙航が3代目[[ボーカリスト]]になるという輪回楽隊の公式報道が出た。解雇の理由としては[[呉遥]]が輪回楽隊の名前を用いて勝手にソロ活動をし、バンドとしての整合性が取れないためということだが、[[呉遥]]と一緒によく活動していた[[趙衛]]はこの報道を否定しており、趙航・[[李強]]・[[周旭]]・[[尚巍]]の4人側と、[[呉遥]]・[[趙衛]]の2人で、バンドが分裂してしまった。
+
2012年12月25日、[[呉遥]]を解雇し、趙航が3代目[[ボーカリスト]]になるという輪回楽隊の公式報道が発表となった。解雇の理由としては[[呉遥]]が輪回楽隊の名前を用いて勝手にソロ活動をし、バンドとしての整合性が取れないためということだが、[[呉遥]]と一緒によく活動していた[[趙衛]]はこの報道を否定しており、趙航・[[李強]]・[[周旭]]・[[尚巍]]の4人側と、[[呉遥]]・[[趙衛]]の2人で、バンドが分裂してしまった。
  
やがて[[趙衛]]は[[指行者楽隊]]の活動に力を入れるようになったため、輪回楽隊は2つ存在しているが、趙航・[[李強]]・[[周旭]]・[[尚巍]]・石頭先生の5人の輪回楽隊がメインとして認知されるようになった。ただ、バンド分裂以降は人気も下降線の一途を辿り、コンサートを行なう回数も減っていった。
+
やがて[[趙衛]]は[[指行者楽隊]]での活動に力を入れるようになったこともあり、輪回楽隊は2つ存在しているが、趙航・[[李強]]・[[周旭]]・[[尚巍]]・石頭先生の5人の輪回楽隊がメインとして認知されるようになる。しばらくすると、[[趙衛]]も公式的には発表していないが、輪回楽隊名義での活動を辞めるようになった。ただ、バンド分裂以降は人気も下降線の一途を辿り、コンサートに参加する回数も減っていった。
  
 
== ボーカリストの交替による影響 ==
 
== ボーカリストの交替による影響 ==
118行目: 113行目:
  
 
[[ボーカリスト]]の変更で人気が無くなったという点では、女性から男性[[ボーカリスト]]に交替した[[指南針楽隊]]と似ているかも知れない。
 
[[ボーカリスト]]の変更で人気が無くなったという点では、女性から男性[[ボーカリスト]]に交替した[[指南針楽隊]]と似ているかも知れない。
 +
 +
趙航に至っては話題性に乏しく、アルバムも発表していないため、彼が加入していることをあまり認知されていない。
  
 
== ディスコグラフィー ==
 
== ディスコグラフィー ==
359行目: 356行目:
 
*[[北京航空航天大学/1991年12月|1991年12月 北京市 北京航空航天大学]] 初ライブ
 
*[[北京航空航天大学/1991年12月|1991年12月 北京市 北京航空航天大学]] 初ライブ
 
*1993年 中国各地 コンサート
 
*1993年 中国各地 コンサート
 +
*[[蘇珊娜美食中心/1993年3月26日|1993年3月26日 北京市 蘇珊娜美食中心]]
 
*[[邯鄲市/1993年|1993年 河北省邯鄲市]] メンバー:[[馮軍]](Dr)
 
*[[邯鄲市/1993年|1993年 河北省邯鄲市]] メンバー:[[馮軍]](Dr)
 +
*[[上海戯劇学院/1994年3月|1994年3月 上海市 上海戯劇学院]]
 
*[[瀋陽市/1994年9月|1994年9月 遼寧省瀋陽市]]
 
*[[瀋陽市/1994年9月|1994年9月 遼寧省瀋陽市]]
 +
*[[北京外国語大学/1995年11月15日|1995年11月15日 北京市 北京外国語大学]]
 +
*[[北京化工大学/1995年11月|1995年11月 北京市 北京化工大学]]
 
*[[ナダム音楽祭|1996年 内モンゴル自治区 ナダム音楽祭]]
 
*[[ナダム音楽祭|1996年 内モンゴル自治区 ナダム音楽祭]]
*[[新郷揺滾音楽節/1998年6月|1998年6月 河北省新郷市 新郷市体育中心足球場 第一届新郷揺滾音楽節]]
+
*[[新郷揺滾音楽節/1998年4月11日|1998年4月11日 河南省新郷市 新郷市体育中心足球場 第一届新郷揺滾音楽節]]
 +
*[[振華之夜演唱会|1998年4月17日 河北省唐山市 唐山市体育館 振華之夜演唱会]]
 
*[[江西省体育館/1998年5月22日|1998年5月22日 江西省南昌市 江西省体育館]]
 
*[[江西省体育館/1998年5月22日|1998年5月22日 江西省南昌市 江西省体育館]]
 +
*[[石景山万商文化広場/1998年8月7日|1998年8月7日 北京市 石景山万商文化広場]]
 
*[[頤和体育広場/1998年8月28日|1998年8月28日 北京市 頤和体育広場]]
 
*[[頤和体育広場/1998年8月28日|1998年8月28日 北京市 頤和体育広場]]
 
*[[首都体育館/1998年10月11日|1998年10月11日 北京市 首都体育館]]
 
*[[首都体育館/1998年10月11日|1998年10月11日 北京市 首都体育館]]
372行目: 375行目:
 
*[[北京晨報創刊一周年記念広場演唱会|1999年7月16日 北京市 北京工人体育場北門外広場 北京晨報創刊一周年記念広場演唱会]]
 
*[[北京晨報創刊一周年記念広場演唱会|1999年7月16日 北京市 北京工人体育場北門外広場 北京晨報創刊一周年記念広場演唱会]]
 
*[[莱茵河声場/1999年11月20日|1999年11月20日 北京市 莱茵河声場]]
 
*[[莱茵河声場/1999年11月20日|1999年11月20日 北京市 莱茵河声場]]
 +
*1999年12月31日 [[中央電視台]] 番組『新千年元旦晩会』
 +
*2000年元旦 [[中央電視台]] 番組『同一首歌』
 +
*[[首都体育館/2000年1月3日|2000年1月3日 北京市 首都体育館]]
 
*[[莱茵河声場/2000年2月|2000年2月 北京市 莱茵河声場]]
 
*[[莱茵河声場/2000年2月|2000年2月 北京市 莱茵河声場]]
 
*[[朋友倶楽部/2000年3月10日|2000年3月10日 北京市 朋友倶楽部]]
 
*[[朋友倶楽部/2000年3月10日|2000年3月10日 北京市 朋友倶楽部]]
 +
*[[怡生園度暇村/2000年5月13日|2000年5月13日 北京市順義区 怡生園度暇村 鳳凰衛視找到啦網站新音楽演唱会]]
 
*2000年7月15日 - 17日 [[韓国]]・釜山 Busan International Rock Festival 2000
 
*2000年7月15日 - 17日 [[韓国]]・釜山 Busan International Rock Festival 2000
 
*[[第五伝媒迷笛音楽周|2000年7月10日 北京市 西単文化広場 第五伝媒迷笛音楽周]]
 
*[[第五伝媒迷笛音楽周|2000年7月10日 北京市 西単文化広場 第五伝媒迷笛音楽周]]
404行目: 411行目:
 
*[[煤海大劇院(徐州市)/2007年12月7日|2007年12月7日 江蘇省徐州市 煤海大劇院]]
 
*[[煤海大劇院(徐州市)/2007年12月7日|2007年12月7日 江蘇省徐州市 煤海大劇院]]
 
*[[北京展覧館劇場/2008年1月30日|2008年1月30日 北京市 北京展覧館劇場 傾国傾城年度慶典晩会]]
 
*[[北京展覧館劇場/2008年1月30日|2008年1月30日 北京市 北京展覧館劇場 傾国傾城年度慶典晩会]]
 +
*[[雲県浜河公園/2009年2月7日|2009年2月7 - 9日 雲南省臨滄市雲県 雲県浜河公園 第五届瀾滄江啤酒狂歓節]]
 
*[[迷笛音楽節/2009年5月1日|2009年5月1日 江蘇省鎮江市 優山美地空置区域内 迷笛音楽節]]
 
*[[迷笛音楽節/2009年5月1日|2009年5月1日 江蘇省鎮江市 優山美地空置区域内 迷笛音楽節]]
 
*[[北京氷雪揺滾慈善音楽節/2010年1月23日|2010年1月23日 北京市 奥林匹克公園 北京氷雪揺滾慈善音楽節]]
 
*[[北京氷雪揺滾慈善音楽節/2010年1月23日|2010年1月23日 北京市 奥林匹克公園 北京氷雪揺滾慈善音楽節]]
434行目: 442行目:
 
*[[瓜洲音楽節/2015年6月21日|2015年6月21日 江蘇省揚州市 潤揚森林湿地公園 2015中国瓜洲音楽節]] メンバー:趙航・石頭先生・[[李強]]・[[周旭]]・[[尚巍]]
 
*[[瓜洲音楽節/2015年6月21日|2015年6月21日 江蘇省揚州市 潤揚森林湿地公園 2015中国瓜洲音楽節]] メンバー:趙航・石頭先生・[[李強]]・[[周旭]]・[[尚巍]]
 
*[[糖唐音楽節/2017年9月10日|2017年9月10日 河南省洛陽市 八里唐芸術文化公園 2017洛陽第二届糖TOWN音楽節]]
 
*[[糖唐音楽節/2017年9月10日|2017年9月10日 河南省洛陽市 八里唐芸術文化公園 2017洛陽第二届糖TOWN音楽節]]
 +
*[[桜桃音楽晩会/2019年6月2日|2019年6月2日 北京市順義区 西坡山荘 第四届北京順義桜桃音楽晩会]]
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==

2023年7月14日 (金) 04:42時点における最新版

輪回楽隊
Lunhui 32.jpg
2015年6月21日の写真。(写真:轮回赵航
基本情報
中国語名(簡体字) 轮回
中国語名(繁体字) 輪迴
拼音 Lunhui
発音転記 ルヌホォイ
英語名・外国語名 AGAIN、SAMSARA(大地唱片契約時)
別名 AGAIN輪回、輪廻
出身地 北京市
ジャンル ハードロック民族音楽ポップロック
活動期間 1991年12月 -
メンバー 趙航
石頭先生
李強
周旭
尚巍
2ndアルバムの頃。左から:趙衛呉桐周旭李強
2000年のメンバー。左から:趙衛尚巍周旭呉桐李強。(輪廻の歌詞カードより)
1stアルバムの頃の写真。
1998年12月20日、北京市で行なわれたX2000EXIT跨世紀新音楽出口発表会より。左から:趙衛呉桐。(撮影:YIREN
2013年の写真。左から:尚巍周旭・趙航・李強。(写真:百度贴吧
2004年の写真。左から:趙衛李強呉遥尚巍周旭。(撮影:紅蟻視覚工作室、写真:絲憶吉它

輪回楽隊(ルヌホォイ、Lunhui)は、北京市で活動しているバンド。

メンバー

過去に在籍したメンバー

サポートメンバー

  • 関菲 ドラム(1997年 - 1998年) -- 専属ドラマーとしてライブや2ndアルバムのレコーディングに参加した。

経歴

呉彤(呉桐)ボーカル時代

1988年、中国人民解放軍総政軍楽団の中に軍火庫楽隊趙衛所属のバンドなどが存在していた。当時はコピーバンドとして活動していた。

やがてメンバーが趙衛李強周旭焦全傑となり、1991年12月、北京航空航天大学でのライブが決まってから、わずか15日で10曲のオリジナル曲を仕上げた。そしてこのライブから呉桐が加わった。最後の曲で「Again Again...」と繰り返して歌う部分があり、この部分に興奮した学生達が舞台に上がりはじめるなど、盛り上がったのをきっかけに、バンド名を「AGAIN」とした。

正式なバンド名は「AGAIN」という英語名だったが、『揺滾北京』を手掛けた王暁京が中国人には分からないということで、「輪回」という中国語名に変更した。「AGAIN輪回楽隊」という呼び方はのちに日本JVCと契約した時にレコード会社が呼んだ名前である。(以上は[[趙衛の発言であるが、実際には『揺滾北京』や『創造』では「輪回AGAIN」とクレジットされている)

メンバー全員が学院(大学)出身で、音楽を勉強していたこともあり、音楽に対しての拘りはどのバンドにも負けないほど強く、ハードロックに中国民族音楽を取り入れ、独自のスタイルを作り上げていった。

1993年、オムニバス・アルバム揺滾北京』に「烽火扬州路」が収録された。この曲が大好評を博し、注目を浴びるようになる。

1994年、北京鴻鈦文化芸術伝播有限公司と2年契約した。

1995年、1stアルバム『創造』が発売となる。そのうち、アルバム収録曲の「许多天来我很难过」がヒットチャートにランク入りした。

1996年にはテレビ・上海東方電視台から最優秀バンドと評される。

1997年1月、日本JVCと契約する。9月には2ndアルバム『心楽集』を発売した。『心楽集』は1997年度10大ヒットアルバムの1つとなったほか、収録曲の「花犄角」は大陸の音楽ヒットチャートで16週連続1位に輝いた。

1998年、日本でも『心楽集』が発売となる。11月23日、日本の新潟県で行なわれた「ユーラシアオデッセイ-3DAYS-新潟アジア音楽フェスティバル」に参加した。

1999年、竹書文化との契約が終了した。12月31日には、テレビ・中央電視台の『新千年元旦晩会』に出演し、中国ロックバンドとしては、初めて同番組に出演したバンドとなった。

2000年元旦には中央電視台の歌番組『同一首歌』に出演した。7月15日から17日には、韓国の釜山で行なわれた「Busan International Rock Festival 2000」に参加し、世界の有名バンドとともにライブを行なった。

2001年1月、北京領先文化芸術有限公司と契約する。

2002年2月、カバーアルバム『我的太陽』が発売となった。3月には、3rdアルバム『超越』が発売となった。

ロックバンドの中でも、中央電視台の番組に何度も出演しているほか、各地のテレビ局にも出演するなど、ロックファン以外にも名前が知られており、また音楽が民族音楽ポップに近い曲が多く、一般受けすることもあり、各地の大型コンサートや商業的イベントなどに毎月のように出演するなど、黒豹楽隊零点楽隊に次いで商業的に成功を収めていたバンドであった。

呉遥ボーカル時代

2004年4月27日、バンドの顔となる呉彤が突然脱退した。輪回楽隊のメンバーの話では、呉彤アメリカへ行っており戻って来なかった。そのため、予定していたコンサートをキャンセルすることになったので、クビにしたということであるが、呉彤の話では、アメリカ滞在期間はすでに前もって決まっていたことであり、その間に輪回楽隊のライブがあることなどはまったく知らされていなかったということで、双方の意見に食い違いがあるが、ここから大きくバンドを取り巻く環境が変化していった。

その後、ボーカリスト募集を経て、8月、女性ボーカリスト呉遥が加入した。

2005年1月、北京大地時代文化伝播有限公司と契約した。

2006年12月、4枚目で呉遥加入後初となるアルバム『期待』が発売となった。

2007年4月4日、北京市星光現場音楽庁でライブを行なったが、この時呉彤が特別参加し、「烽火扬州路」を歌い、昔からのファンから非常に喜ばれた。

2010年11月13日、上海市上海体育場で行なわれた怒放揺滾英雄演唱会上海站に参加し、呉彤と共演した。

分裂の時代

2012年12月25日、呉遥を解雇し、趙航が3代目ボーカリストになるという輪回楽隊の公式報道が発表となった。解雇の理由としては呉遥が輪回楽隊の名前を用いて勝手にソロ活動をし、バンドとしての整合性が取れないためということだが、呉遥と一緒によく活動していた趙衛はこの報道を否定しており、趙航・李強周旭尚巍の4人側と、呉遥趙衛の2人で、バンドが分裂してしまった。

やがて趙衛指行者楽隊での活動に力を入れるようになったこともあり、輪回楽隊は2つ存在しているが、趙航・李強周旭尚巍・石頭先生の5人の輪回楽隊がメインとして認知されるようになる。しばらくすると、趙衛も公式的には発表していないが、輪回楽隊名義での活動を辞めるようになった。ただ、バンド分裂以降は人気も下降線の一途を辿り、コンサートに参加する回数も減っていった。

ボーカリストの交替による影響

呉彤は歌が非常に上手で、またハイトーンボイスが特徴的であった。呉彤はリーダーではなかったが、輪回楽隊は呉彤の声を中心としたとしか考えられないような曲に仕上がっていた。女性の呉遥は、ボーカリストとしての活動経験が長く、またハスキーボイスが魅力的な歌手で、硬派なイメージを保ちたいと考えている輪回楽隊にとっては、非常に似合うボーカリストであるが、呉彤と比べてしまうと、個性という面で劣ってしまい、結果的には人気急落に繋がってしまい、コンサート出演やメディアへの露出の機会が減ってしまった。

ボーカリストの変更で人気が無くなったという点では、女性から男性ボーカリストに交替した指南針楽隊と似ているかも知れない。

趙航に至っては話題性に乏しく、アルバムも発表していないため、彼が加入していることをあまり認知されていない。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

コンセプト・アルバム

プロモーション・EP

プロモーション・シングル

ソロ発表曲 

曲名アルバム名発表年備考
烽火扬州路揺滾北京1993デビュー作品▽この原詞は高校の教科書に必ず載っている
烽火扬州路揺滾衝撃波11994
烽火扬州路神揺第一章・・極楽揚州路1994揺滾北京II』には収録されていない
烽火扬州路九月国語経典1994BMG MUSIC TAIWAN, INC.によるプロモーション・オムニバス・アルバム▽『揺滾北京』と同じ▽クレジットは輪廻合唱団
烽火扬州路中国揺滾経典1995揺滾北京』と同じ
烽火扬州路流行・揺滾 王暁京制作歌曲精選'90~'97 21997揺滾北京』と同じ
烽火扬州路吶喊 為了中国曽経的揺滾2003/11揺滾北京』と同じ
烽火扬州路中国揺滾手冊2006/5
烽火扬州路揚州謡2017/5/6
山歌神揺第一章・・極楽揚州路19942ndアルバムとはアレンジが異なる▽『揺滾北京II』も同様
在水一方告別的揺滾1995
酒醉的探戈告別的揺滾1995
酒醉的探戈陳琳 秋日柔情北京演唱会2001/2陳琳とデュエット▼VCD
许多天来我很难过揺滾柔情1996クレジットは呉桐与AGAIN楽隊▽1stアルバムと同じ
不能不说揺滾柔情1996クレジットは呉桐与AGAIN楽隊▽1stアルバムと同じ
爱情揺滾柔情1996クレジットは呉桐与AGAIN楽隊▽1stアルバムと同じ
往事的河流七月一日生1997/7/1
认真20世紀中国揺滾大系119992ndアルバムと同じ▽『揺滾衝撃波3』も
花犄角20世紀中国揺滾大系219992ndアルバムと同じ▽『揺滾衝撃波4』も
花犄角十年輝煌中国歌曲排行榜1993-2002 1997年度十大金曲2003
是否同一首歌 相聚2000大型演唱会2000CCTVの歌番組▽羅大佑の曲▼VCD
是否同一首歌2001以前VCDで出たもの▼DVD
春去春来大地之想未発売2000年に滾石唱片から発売予定だが未発売
春去春来揺滾新年2000台湾のオムニバス
风的精灵階段音楽特輯壹2000/12
喜洋洋相約新北京 同一首歌20022002CCTVの歌番組▼VCD
君を愛する人を泣かせないで中国語ジャーナル 2003年1月号2002/12オリジナルタイトルは「别让爱你的人流泪」
鲜花与钢铁2003/3反戦ソング▽ホームページ上からダウンロードできる
奇迹2003/5SARSチャリティーソング▽ホームページ上からダウンロードできる
风月笑平生2003テレビドラマ『書剣恩仇録』の主題歌▽ホームページ上からダウンロードできる
(曲名不明)2009迷笛音楽節2010/10▼DVD

参加アルバム 

アーティスト・バンド名曲名アルバム名発表年参加形態備考
周彤与仏対話1996/8編曲、演奏編曲のクレジットは1曲のみだが、全曲輪回楽隊が演奏を行なっている
周彤与輪回楽隊因为 所以揺滾北京III1997編曲、演奏
複数既然我们是兄弟既然我們是兄弟1999ボーカル(複数で)非売品

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考
テレビ手拉手同一首歌 新北京新奥運 北京申辦2008奥運会2001演奏(黒豹楽隊唐朝楽隊零点楽隊蛍火虫楽隊とともに)2008年オリピック誘致運動コンサートより▼海賊盤VCDあり

主要なライブ・コンサート

外部リンク