「零点楽隊」の版間の差分

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*[[永動機音楽節/2014年9月6日|2014年9月6日 山西省晋中市 楡次清虚閣広場 首届永動機音楽節]]
 
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*[[1919小劇場/2014年9月17日|2014年9月17日 北京市 1919小劇場]]
 
*[[1919小劇場/2014年9月17日|2014年9月17日 北京市 1919小劇場]]
*[[騰峰国際商貿城/2014年9月27日|2014年9月27日 雲南省大理白族自治区弥渡県 騰峰国際商貿城 騰峰之夜大型群星演唱会]]
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*[[騰峰国際商貿城/2014年9月27日|2014年9月27日 雲南省大理白族自治州弥渡県 騰峰国際商貿城 騰峰之夜大型群星演唱会]]
 
*[[水木年華酒吧/2014年9月28日|2014年9月28日 湖南省長沙市 水木年華酒吧]]
 
*[[水木年華酒吧/2014年9月28日|2014年9月28日 湖南省長沙市 水木年華酒吧]]
 
*[[2014狂野沙漠・蕩之声--沙漠揺滾音楽節|2014年10月4日 内モンゴル自治区鄂尓多斯市達拉特旗 庫布斉沙漠 2014狂野沙漠・蕩之声--沙漠揺滾音楽節]]
 
*[[2014狂野沙漠・蕩之声--沙漠揺滾音楽節|2014年10月4日 内モンゴル自治区鄂尓多斯市達拉特旗 庫布斉沙漠 2014狂野沙漠・蕩之声--沙漠揺滾音楽節]]

2021年1月2日 (土) 23:33時点における版

零点楽隊
Lingdian 81.jpg
2016年の写真。左から:段絲梨・楊海東・老五・朝洛蒙大毛。(写真:乐评:零点乐队:摇滚不朽,真爱不灭!腾讯网
基本情報
中国語名(簡体字) 零点
中国語名(繁体字) 零點
拼音 Lingdian
発音転記 リンディエヌ
英語名・外国語名 Zero Point
出身地 内モンゴル自治区呼和浩特市
ジャンル ポップロックハードロック
職業 バックバンド
活動期間 1989年 -
メンバー 老五
大毛
楊海東
段絲梨
朝洛蒙
1stアルバム発売時から6thアルバムまでメンバーは変わっていない。4thアルバム用に撮った写真。左から:二毛王笑冬周暁欧大毛朝洛蒙
1999年頃の写真。
1999年頃の写真。
1999年頃の写真。

零点楽隊(リンディエヌ、Lingdian)は、内モンゴル自治区呼和浩特市出身で、北京市で活動しているバンド。1990年代から2000年代前半にかけて、人気・実力と共に中国のポップバンドの頂点に輝いたバンドである。

メンバー

過去に在籍したメンバー

サポートメンバー

  • 韓松 ギター(2004年5月 - 2004年後半?)
  • FUNKY末吉 ドラム(2004年5月 - 2004年後半?)
  • 馮小波 キーボード(2004年11月 - 2006年,2012年前半) -- 2004年11月、『風雷動』のレコーディングに参加。2005年3月1・2日のライブにサポート参加。ネット上で2012年前半、ボーカリストとして参加したと記載されているが、これは練習のみで、デマである。以前から練習中に歌を歌っていたため、周暁欧が脱退することが決まってからはボーカリストとしての加入を誘われたことがある。
  • 劉坤山 ボーカル(2012年後半 - 2013年前半) -- 2012年7月28日のライブに参加。
  • 王学科 ベース(2012年 - 2013年?) -- 2012年7月28日のライブに参加。
  • 四毛 ベース(?) -- 女性。大毛の妹。1年ほど参加したことがある。

経歴

アルバム発売まで

1989年、内モンゴル自治区呼和浩特市で結成された。

1990年12月に、王笑冬二毛が上京する。1991年2月、残りのメンバーが上京し、北京市で活動を始めた。

1992年、王昆の東方歌舞団に入団する。それから他のメンバーとも知り合いになり、零点楽隊が結成となった。全てがゼロからスタートということで、零点楽隊というバンド名にした。

当初はコピーソングばかりであったが、韓磊が加入してからは、オリジナルロックソングを創作するようになっていった。

1993年からは流行歌手のバックバンドとして、100以上もの会場で演奏を行ない、実力をつけていった。

1994年3月、内モンゴル自治区出身以外のメンバー・周暁欧が加入し、メンバーが固定した。周暁欧以外はモンゴル族と言われていた時期もあるが、これは誤りで、実際は朝洛蒙だけがモンゴル族であった。

中国一のバンドへ

1995年3月になり、創作活動を開始し、アルバムをレコーディングした。12月には、北京京文音像公司からデビューアルバム『別誤会』が発売となった。9月には日本JVCがこのアルバムの海外販売権を獲得したことによって海外でアルバムが発売されるようになり、海外のメディアに「中国ポップスが世界舞台で戦っていく重大契機である」と称される。

1997年1月、2ndアルバム『永恒的起点』が発売となった。収録曲の「爱不爱我」は、50のラジオ曲のトップ1に輝いた。

1998年1月1日、3rdアルバム『毎一夜毎一天』が発売となった。「毎一夜毎一天」が50のラジオ曲のトップ1に輝き、中国原創歌曲総評榜では年度ベスト10曲になり、また零点楽隊は最優秀バンドと評された。4月、ベスト・アルバム最好的零点』が発売となった。9月、喜洋洋公司と3年契約する。

1999年9月、4thアルバム『00:00:00』が発売となった。

彼らは、商業路線を突き進んでいるため、北京市のロッカー達から嫌われている(もしくは相手にされていない)が、バラードが好きな中国人からは最も受け入れられているバンドである。実際大陸で彼らのように商業路線を進もうとするバンドもいるが、黒豹楽隊以降、アルバムの数、発売本数(2000年の時点:総計300万本)や人気面で、零点楽隊を超えるバンドは出現していない。ただ、あまりにも中国人好みの音楽を作りつづけているため保守的で、デビュー以来スタイルの変化もあまり見うけられない。その方が中国人のニーズに合うのだろう。

1999年のクリスマスには、北京展覧館劇場でコンサートを開いた。数千人規模の会場で、しかも普通のロックライブの2~15倍の値段のチケットであったにも関わらず、コンサートを無事成功させたことは、彼らの地位が上昇したことを物語る。

2000年11月25日には喜洋洋公司との契約を途中解除した。

2001年7月、北京天中文化有限公司と契約した。

2002年1月、5thアルバム『没有什麼不可以』が発売となった。

2003年9月、6thアルバム『越来越』が発売となった。10月17日、北京工人体育館零点楽隊北京演唱会を開き、大成功を収めた。かつては、黒豹楽隊が中国のトップバンドとして君臨してきたが、ここにきて、零点楽隊が完全に黒豹楽隊を抜いて、実力・名実共に頂点を極めたと言える。

凋落と復活に向けて

2004年4月、山東省青島市でのコンサートの後、大毛朝洛蒙が麻薬使用で警察に逮捕され、それが原因で4月14日、大毛朝洛蒙が脱退した。この事件以後、サポートメンバーを加えてたまにコンサートを開いていたが、事件の影響は大きく、精彩を欠いていた。8月、保利演芸経紀有限公司と契約し、新天地で新たな活動を始めることとなった。11月には、コンセプト・アルバムのレコーディングを行なう。

2005年1月19日、コンセプト・アルバム風雷動』が発売となった。7月、大毛朝洛蒙がバンドに復帰し、メンバーは本来の5人となった。

2007年5月、プロモーション・シングル『不是不愛你』を発表したが、すでにバンドは半ば活動休止状態に陥っていた。

2008年2月、周暁欧がバンド脱退を発表した。

2009年には新しいメンバーを加えて、少しづつではあるが、活動を再開していった。

2010年4月、大毛二毛が麻薬使用で逮捕された。同月、朝洛蒙も麻薬使用で逮捕され、メンバーのうち3人が逮捕されるという事態となり、活動ができなくなってしまった。

2012年から次第にライブ活動が増えていったが、2013年8月には二毛が麻薬使用で再再逮捕されるなど、迷走を続けている。

2016年6月、北京東亜星光文化伝播有限公司と契約した。8月、アルバム『我還愛着你』が発売となった。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ライブ・アルバム

映像作品

ベスト・アルバム

プロモーション・シングル

Bootleg

ソロ発表曲 

テンプレート:Solo List 50

参加アルバム 

テンプレート:Participation List 100

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考
VCD走近零點2000インタビューオリジナルインタビュー模様を海賊盤VCDに収録
テレビ手拉手同一首歌 新北京新奥運 北京申辦2008奥運会2001演奏(黒豹楽隊唐朝楽隊輪回楽隊蛍火虫楽隊と)2008年オリピック誘致運動コンサートより▼海賊盤VCDあり
ショートフィルム渣運合伙人2014/2主演ネットで視聴できる

主要なライブ・コンサート

外部リンク