零点楽隊

提供:Chinese Rock Database
2014年3月23日 (日) 06:20時点におけるYaonpghab (トーク | 投稿記録)による版
ナビゲーションに移動検索に移動
零点楽隊
Lingdian 41.jpg
1stアルバム発売時から6thアルバムまでメンバーは変わっていない

4thアルバム用に撮った写真

左から:二毛(Dr)・王笑冬(B)・
周曉歐(Vo)・大毛(G)・朝洛蒙(Key)
基本情報
中国語名(簡体字) 零点
中国語名(繁体字) 零點
拼音 Lingdian
発音転記 リンディエヌ
英語名・外国語名 Zero Point
出身地 内モンゴル自治区呼和浩特市
ジャンル ポップロックポップ
職業 バックバンド
活動期間 1989年 -
メンバー 大毛
二毛
朝洛蒙
1999年頃の写真(写真:)
1999年頃の写真(写真:)
1999年頃の写真(写真:)
(写真:)

零点楽隊(リンディエヌ、Lingdian)は、内モンゴル自治区呼和浩特市出身で、北京市で活動しているバンド。1990年代から2000年代前半にかけて、人気・実力と共に中国のポップバンドの頂点に輝いたバンドである。

メンバー

過去に在籍したメンバー

サポートメンバー

経歴

アルバム発売まで

1989年、内モンゴル自治区呼和浩特市で結成された。

1990年12月に、王笑冬二毛が上京する。1991年2月、残りのメンバーが上京し、北京市で活動を始めた。

1992年、王昆の東方華夏芸術中心に入る。1993年からは流行歌手のバックバンドとして、100以上もの会場で演奏を行ない、実力をつけていった。

1994年3月、内モンゴル自治区出身以外のメンバー・周暁欧が加入し、メンバーが固定した。周暁欧以外はモンゴル族と言われていた時期もあるが、これは誤りである。

中国一のバンドへ

1995年3月になり、創作活動を開始し、アルバムをレコーディングした。12月には、北京京文音像公司からデビューアルバム『別誤会』が発売となった。

収録曲の「爱不爱我」は1996年に30のラジオ曲のトップ1に輝いた。9月には日本のJVCがこのアルバムの海外販売権を獲得によって海外でアルバムが発売されるようになり、海外のメディアに「中国ポップスが世界舞台で戦っていく重大契機である」と称される。

1997年1月、2ndアルバム『永恒的起点』が発売となった。この年も「爱不爱我」が継続して人気を博し、50のラジオ曲のトップ1に輝く。同年の上海東方風雲榜(風雲ランキング)では、「最優秀バンド」と評された。

1998年には、3rdアルバム『毎一夜毎一天』とベストアルバムが発売。「毎一夜毎一天」が50のラジオ曲のトップ1に輝き、中国原創歌曲総評榜(大陸オリジナルミュージック総合ランキング)では年度ベスト10曲になり、また零點楽隊は最優秀バンド”と評される。また、6月には第1回新郷揺滾音楽節に参加した。9月には、喜洋洋公司と3年契約する。


1999年頃の写真


 1999年1月23日、雲南省昆明で行われた“拒絶毒品,珍愛生命(麻薬を拒み、命を大切に)”コンサートに8つのバンドとともに参加する。同年、4thアルバム『00:00:00』が発売となる。また、以前フフホトで行われたコンサートがVCD化された。

 彼らは、商業路線を突き進んでいるため、北京のロッカー達から嫌われている(もしくは相手にされていない)が、バラードが好きな中国人からは最も受け入れられているバンドである。実際大陸で彼らのように商業路線を進もうとするバンドもいるが、黒豹楽隊以降、アルバムの数、発売本数(2000年現在:総計300万本)や人気面で、零點楽隊を超えるバンドは出現していない。ただ、あまりにも中国人好みの音楽を作りつづけているため保守的で、デビュー以来スタイルの変化もあまり見うけられない。時代に取り残されないことだけを祈るのみである。


1999年頃の写真


 1999年のクリスマスには、北京展覧劇場でコンサートを開く(2DAYS)。数千人規模の会場で、しかも普通のロックライブの2~15倍の値段のチケットであったにも関わらず、コンサートを無事成功させたことは、彼らの地位が上昇したことを物語る。この時の音源が2001年1月になり、アルバムとなって発売された。

 2000年10月8日には、北京工人体育場で行われた原創反盗維権大型演唱会に参加した。11月末には喜洋洋公司との契約を途中解除した。

 2001年7月には、北京天中文化有限公司と契約した。9月28日には、‘全球華語曲排行榜(世界中国語歌曲ランキング)’で最優秀バンド賞を獲得し、中華世界最高のバンドとなった。

 2002年1月、5thアルバム『没有什麼不可以』が発売となった。


1999年頃の写真


 2003年5月、SARSキャンペーンソング「因為愛」をレコーディングした。9月、6thアルバム『越来越』が発売となった。10月17日、北京工人体育館で“零点楽隊北京演唱会”を開き、大成功を収めた。ゲストは、黒豹楽隊と台湾の動力火車(パワー・ステーション)が務めた。かつては、黒豹楽隊が中国のトップバンドとして君臨してきたが、ここにきて、零點楽隊が完全に黒豹楽隊を抜いて、実力・名実共に頂点を極めたと言える。12月27日、南昌市紅谷灘市政広場で行われた“2003中国・南昌揺滾音楽節”に出演した。  2004年4月、青島でのコンサートの後、大毛と朝洛蒙が麻薬使用で警察に逮捕され、それが原因で4月14日、大毛と朝洛蒙が脱退した。2人のサポートは、Funky末吉や韓松が務めた。5月、昨年10月17日の北京工人体育館でのコンサートが、アルバムとなって発売された。事件以後、たまにコンサートを開いていたが、事件の影響は大きく、精彩を欠いていた。8月、保利演芸経紀有限公司と契約し、新天地で新たな活動を始めることとなった。11月には、7thアルバムのレコーディングを行う。

 2005年1月19日、7thアルバム『風雷動』が発売となった。2月26日、北京首都体育館で行われた“守望我們的精神家園:国家版権局版権保護-百名歌星演唱会”に参加した。7月1日、北京工人体育場で行われた“和平的天空-記念世界反法西斯戦争勝利60周年大型演唱会”に参加した。7月、大毛と朝洛蒙がバンドに復帰し、メンバーは本来の5人となった。

 2006年10月1日、広東省増城市増城広場で行われた“首届中国(増城)揺滾&[口卑]酒狂歓節曁第五届新塘国際牛仔服装節”に参加した。

 2007年4月4日、星光現場音楽庁で行われた“STAND UP站起来 慈善募捐演唱会(肺癌となったレコーディングエンジニア・D哥 李國強のためのチャリティライブ)”に参加した。5月、プロモーションシングル『不是不愛[イ尓]』を発表したが、すでにバンドは活動休止状態であった。7月22日、内モンゴル自治区鄂爾多斯成吉思汗旅遊区で行われた“首届鄂爾多斯草原揺滾音楽会”に参加した。9月7・8日、山西省太原の省城湖浜会堂でコンサートを行った。10月31日、吉林省長春の金尊酒[ロ巴]でライブを行った。12月28日、山東省泰安の農大南校体育館でコンサートを行った。

 2008年2月、周曉歐がバンド脱退を発表した。

 2009年初、哈達(Vo)と大猛(Dr)が加入した。10月30日、寧波の梁祝文化公園で行われた“把愛唱響 - 中国揺滾情歌演唱会”に参加した。

 2010年4月、大毛・二毛が麻薬使用で逮捕された。同月、朝洛蒙も麻薬使用で逮捕され、メンバーのうち3人が逮捕されるという事態となった。


ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

ライブ・アルバム

ベスト・アルバム

映像作品

プロモーション・シングル

ソロ発表曲 

テンプレート:Solo List 50

参加アルバム 

テンプレート:Participation List 100

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考
VCD走近零點2000インタビューオリジナルインタビュー模様を海賊盤VCDに収録
テレビ手拉手同一首歌 新北京新奥運 北京申辦2008奥運会2001演奏(黒豹楽隊唐朝楽隊輪回楽隊蛍火虫楽隊と)2008年オリピック誘致運動コンサートより▼海賊盤VCDあり
ショートフィルム渣運合伙人2014/2主演ネットで視聴できる

主要なライブ・コンサート

外部リンク