馮小波

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馮小波
Fengxiaobo 12.jpg
基本情報
中国語名(簡体字) 冯小波
中国語名(繁体字) 馮小波
拼音 Feng Xiaobo
発音転記 フォン シアオボ
別名 馮暁波
出生日 1968年8月6日
血液型 B
学歴 四川音楽学院
出身地 四川省成都市
担当楽器 キーボード
ジャンル ポップポップロックハードロックジャズフュージョン
職業 作曲家ライブバー専属ミュージシャンスタジオミュージシャンプロダクション経営者プロデューサーディレクターアートディレクター音楽学校講師
1998年10月18日、KEEP IN TOUCHで行なわれた開店2周年記念ライブに黒豹楽隊のメンバーとして参加。(撮影:YIREN

馮小波(フォン シアオボ、Feng Xiaobo、1968年8月6日 -)は四川省成都市で活動しているキーボーディストプロデューサー広東省広州市北京市でも活動したことがある。

経歴

四川省成都市で生まれ、国家1級指揮者の父親と国家1級歌手の母親の下で音楽を勉強した。1986年、四川音楽学院に入学し、作曲を勉強した。この時、歌手・程琳や周笛郭亮鄭朝暉張荐洛兵などの将来の一流歌手・ミュージシャンと交友を持つようになる。この頃、「金沙江水」・「大江浪花」・「你不在我身边的日子里」などの歌曲が国家歌曲創作類一等賞に輝いた。同年夏休みの間だけ、上京して友達の家に滞在していた。

1987年頃、黒馬楽隊を結成し、キーボードを担当した。

1989年頃、広東省広州市へ移り住み、陳彼得・李海鷹・畢暁世畢暁笛・林依輪・金学峰・黄綺珊らの作品を手掛けた。王磊と一緒に音楽に関して話し合ったり、交流する時間も長かった。

1992年末には上京し、面孔楽隊自我教育楽隊キーボードを担当した。

1993年初には、潘勁東のバックバンドメンバーとして、趙牧陽王学科と共に台湾飯店で演奏していた。同年、李彤欒樹に誘われ、黒豹楽隊に加入した。音楽的センスがとてもよく、黒豹楽隊は、李彤と馮小波が支えているといわれるほど、1990年代後半の黒豹楽隊は彼の力によるところが大きかった。

その後、CASIOキーボードのエンドーザーになった。

黒豹楽隊での活動を中心に、数多くのアーティストのレコーディングに参加した。艾斯卡尓灰狼楽隊にも加入し、メンバーとして来日、フェスティバルに参加したこともあった。

1999年後半には、黒豹楽隊を脱退し、ソロ活動を始めた。

2000年になり、倪暁風とともに音果文化公司を設立した。また同年前後、褪色楽隊でサポートを務めた。

2001年、鴻鈦文化と契約した。

2005年、馮小波音楽工作室を設立した。同年から2006年にかけて、零点楽隊のサポートキーボードを務めた。

2007年、北京大旗時代文化伝播有限公司音楽ディレクターとなった。

2008年、四川省成都市で、成都自豪音楽文化伝播有限公司の執行董事兼アートディレクターとなった。

2011年、成都市播音社楽隊を結成した。

2012年前半、再び零点楽隊のサポートを務めた。

その後、四川伝媒学院の副教授となった。

ディスコグラフィー

ソロ発表曲

曲名アルバム名発表年備考
是谁星碟金曲之群星対唱1996クレジットは馮敏・馮小波

参加アルバム

テンプレート:Participation List 100

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考
連続テレビドラマ海馬歌舞庁1993演奏(キーボード)面孔楽隊のメンバー▽1992年撮影▽VCDあり

外部リンク