「唐朝楽隊」の版間の差分

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== メンバー ==
 
== メンバー ==
  
*'''[[丁武]]''' [[ボーカル]] & [[ギター]](1988年末 -,[[ボーカル]] & [[ギター]] 1988年末 - 1989年6月,[[ボーカル]] 1989年後半 - ?) -- 1989年6月解散後、[[新疆ウイグル自治区]]へ旅立った。
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*'''[[丁武]]''' [[ボーカル]] & [[ギター]](1988年末 -,1988年末 - 1989年6月 [[ボーカル]] & [[ギター]],1989年後半 - 2002年初 [[ボーカル]] & [[ギター]],2002年初 - 2009年1月 [[ボーカル]],2009年1月 - [[ボーカル]] & [[ギター]]) -- 1989年6月解散後、[[新疆ウイグル自治区]]へ旅立った。
 
*'''[[陳磊]]''' [[ギター]](2000年10月5日 -)
 
*'''[[陳磊]]''' [[ギター]](2000年10月5日 -)
 
*'''[[顧中]]''' [[ベース]](1995年7月 -) -- 元・[[呼吸楽隊]]のメンバー。
 
*'''[[顧中]]''' [[ベース]](1995年7月 -) -- 元・[[呼吸楽隊]]のメンバー。
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=== 過去に在籍したメンバー ===
 
=== 過去に在籍したメンバー ===
  
*'''[[Kaiser Kuo]]'''([[郭怡広]]) [[ギター]](1988年末 - 1989年6月,1996年8月 - 1999年6月) -- [[アメリカ華僑]]。1999年5月に起きたNATOのユーゴ中国大使館誤爆事件で[[丁武]]と意見が食い違ったことにより、バンドを脱退。
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*'''[[Kaiser Kuo]]'''([[郭怡広]]、[[郭怡広|凱瑟尓]]) [[ギター]](1988年末 - 1989年6月,1996年8月 - 1999年6月) -- [[アメリカ華僑]]。1999年5月に起きたNATOのユーゴ中国大使館誤爆事件で[[丁武]]と意見が食い違ったことにより、バンドを脱退。
*'''SARPO''' [[ドラム]](1988年末 - 1989年6月) -- [[アメリカ人]]。
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*'''SARPO'''(薩保) [[ドラム]](1988年末 - 1989年6月) -- [[アメリカ人]]。
*'''[[老五]]'''([[劉義君]]) [[ギター]](1989年後半 - 1995年8月,2002年初 -
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*'''[[老五]]'''([[劉義君]]) [[ギター]](1989年後半 - 1995年8月,2002年初 - 2009年1月)
 
*'''[[秦琦]]''' [[ボーカル]](1990年前半 - 1990年後半) -- 半年ほど加入。
 
*'''[[秦琦]]''' [[ボーカル]](1990年前半 - 1990年後半) -- 半年ほど加入。
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*'''[[張炬]]''' [[ベース]](1988年末 - 1989年6月,1989年後半 - 1995年5月11日) -- 1989年6月解散後、[[遼寧省]][[大連市]]に行った。1990年2月17・18日、[[90現代音楽演唱会]]では[[ボーカル]]を務めるなど、1stアルバム発売前は[[ボーカル]]も担当していたようだ。交通事故で死亡。
 
*'''[[虞洋]]''' [[ギター]](1999年7月 - 2000年10月5日) -- 元・[[鉄風筝楽隊]]のメンバー。1999年7月の時点ではサポート。1999年後半には正式加入。
 
*'''[[虞洋]]''' [[ギター]](1999年7月 - 2000年10月5日) -- 元・[[鉄風筝楽隊]]のメンバー。1999年7月の時点ではサポート。1999年後半には正式加入。
*'''''' [[ドラム]]
 
*'''''' [[ベース]]
 
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*'''[[張炬]]''' [[ベース]](1988年末 - 1989年6月,1989年後半 - 1995年5月11日) -- 1989年6月解散後、[[遼寧省]][[大連市]]に行った。交通事故で死亡。
 
  
 
=== サポートメンバー ===
 
=== サポートメンバー ===
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== 経歴 ==
 
== 経歴 ==
  
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=== 本格派メタルバンドとして ===
  
北京のバンド。1988年末、かつて黒豹楽隊のメンバーだった丁武とロックミュージシャン仲間のベーシスト・張炬がアメリカ華僑のKAISER KUO(郭怡廣)(G)・アメリカ人SARPO(薩保)(Dr)と出会い、4人が意気投合して唐朝楽隊を結成する。バンド名はKAISERが名づける。
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1988年末、かつて[[黒豹楽隊]]のメンバーだった[[丁武]]やロックミュージシャン仲間の[[ベーシスト]]・[[張炬]]、[[アメリカ人]]の合計4人が意気投合して唐朝楽隊を結成する。バンド名は[[アメリカ華僑]]の[[Kaiser Kuo]]が名付けた。[[丁武]]と[[張炬]]は、[[アメリカ人]]2人から技術的な面や、音楽的に多大なる影響を受ける。
 丁武(Vo&G)と張炬は、アメリカ人2人から技術的な面や、音楽的に多大なる影響を受ける。やがて練習を重ねて、安楽居で行われたPARTYに参加した。唐朝楽隊が初めてライブを行った場所であった。この頃は、まだ作品を持っていなかった。東北へライブツアーなども行ったが、この時の唐朝楽隊の活動期間はたった2ヶ月で、1989年6月にはKAISERとSARPOは帰国、丁武は新疆へ旅立ち、張炬は大連に行ってしまい、唐朝楽隊は解散した。
 
 
 
 新疆から帰郷した丁武は同じく北京に戻った張炬と共に、唐朝楽隊の継続を心に決め、ギターリスト老五(劉義君)と経験豊富なドラマー趙年をメンバーに加え、活動を再開した。練習は、友達の楊軍の助けにより、中央美術学院12階建て宿舎の一室で行われた。楽器も壊れたものを使用したり、食事もままならなかったが、作品を創作し続けた。
 
  
 1990年2月、北京首都体育館で行われた“90現代音楽演唱会”に呼吸楽隊・眼鏡蛇女子楽隊・寶貝兄弟楽隊・1989楽隊・ADO楽隊とともに参加した。この時は張炬がボーカルを務め、「粉霧」など2曲を演奏し、大好評を得る。5月1日、台湾の滾石唱片と契約、レコーディングを開始した。半年ほど秦琦もメンバーとして加わっていた。
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1989年6月には[[アメリカ人]]2人は帰国、[[丁武]]や[[張炬]]も地方へ行き、唐朝楽隊は解散した。
 
  
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やがて帰郷した[[丁武]]と[[張炬]]とは唐朝楽隊の継続を心に決め、[[ギタリスト]]・[[老五]]([[劉義君]])と経験豊富な[[ドラマー]]・[[趙年]]をメンバーに加え、活動を再開した。練習は、友達の楊軍の助けにより、[[中央美術学院]]12階建て宿舎の一室で行なわれた。楽器も壊れたものを使用したり、食事もままならなかったが、作品を創作し続けた。
  
 1992年10月、王勇(Key)がサポートを務める。同年末、1stアルバム『唐朝』を発売した。発売記念イベントは、北京の西単音像大世界で行われた。アルバムはその音楽性の高さから、中国で大ヒットとなる。このアルバムは台湾・香港・韓国・東南アジア・日本等、海外でも発売され、総売上枚数は、200万であった。メンバーの身長はみな180cm以上であり、ビジュアル面でも海外のハードロックバンドに決して負けなかった。
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1990年2月17・18日、[[首都体育館]]で開かれた[[90現代音楽演唱会]]に出演した。5月1日、[[台湾]]の[[滾石唱片]]と契約し、レコーディングを開始した。
 ライブ活動は中国国内だけに止まらず、1993年2月、ドイツ・ベルリンで行われた“中国前衛文化月間”に崔健・眼鏡蛇楽隊・1989楽隊・王勇らとともに参加、そしてドイツの4都市を巡演した。4月には、「夢回唐朝」のMVが、“MTV”アジア最優秀MTV賞に輝いた。
 
  
 1994年10月には、日本の福岡で開かれた“国際文化節”に参加、中国現代文化と新音楽の代表者となる。12月17日には、香港紅磡体育館で開かれた“中国揺滾楽勢力”コンサートに張楚・何勇・竇唯とともに参加した。
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=== アジアを代表するバンドへ ===
 
  
2004年9月24日、上海の羅馬假日で行われたコンサートより
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1992年12月、1stアルバム『[[唐朝(唐朝楽隊)|唐朝]]』を発売した。アルバムはその音楽性の高さから、中国で大ヒットとなったほか、[[台湾]]・[[香港]]・[[韓国]]・[[東南アジア]]・[[日本]]等、海外でも発売され、総売上枚数は、200万であった。メンバーの身長はみな180cm以上であり、ビジュアル面でも海外の[[ハードロック]]バンドに決して負けないほどのインパクトを与えた。
左から:老五(劉義君)・丁武
 
(撮影:YIREN)
 
 
  
 ロックバンドとして頂点を極めつつあったが、1995年5月11日に張炬が交通事故に遭い、死亡。ムードメーカーであった彼の死により、唐朝楽隊は解散の危機を迎える。
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ライブ活動は中国国内だけに止まらず、1993年2月、[[ドイツ]]・ベルリンで行なわれた「中国前衛文化月間」に参加したほか、そして[[ドイツ]]の4都市を巡演した。4月には、「梦回唐朝」の[[ミュージック・ビデオ]]が、「MTVアジア最優秀MTV賞」に輝いた。
 しかし7月、元呼吸楽隊のベーシスト・顧中をメンバーに加え、活動を再開した。この時、仨兒(Dr)がバンドの練習に参加したが、バンドに加入することはなかった。そして、深[土川]で小型のライブを行う。ただ8月には老五が脱退し、再び解散の危機となる。
 
  
 1996年初になり、KAISERが中国に戻ってきて、唐朝楽隊の練習に参加する。8月には正式に加入し、ここにおいて新たなる唐朝楽隊が誕生した。そのメンバーは丁武(Vo&G)・KAISER(G)・顧中(B)・趙年(Dr)。ただ、張炬死後から1997年までのバンド状態は決して良いものではなく、活動らしき活動はあまり行っていない。
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1994年10月、[[日本]]・福岡県福岡市で開かれた「国際文化節」に参加、中国現代文化と新音楽の代表者となる。12月17日には、[[香港]]で行なわれた[[揺滾中国楽勢力演唱会]]に参加した。
  
 1998年になると、ニューアルバム発売に向けて本格的に活動を開始、ライブでは新曲をたくさん披露していく。6月には、第1回新郷揺滾音楽節に参加した。8月30日には、広西チワン族自治区南寧で行われた’98南寧中国揺滾音楽演唱会に出演した。9月になり、北京京文音像公司と契約、12月には大友光悦プロデュースによる2ndアルバム『演義』を発売する。1stアルバム発売から6年、再び世間の注目を浴びることとなった。
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ロックバンドとして頂点を極めつつあったが、1995年5月11日に[[張炬]]が交通事故に遭い、亡くなった。ムードメーカーであった彼の死により、唐朝楽隊は解散の危機を迎える。
 1999年1月23日、雲南省昆明で行われた“拒絶毒品,珍愛生命(麻薬を拒み、命を大切に)”コンサートに8つのバンドとともに参加する。
 
 
 
 同年6月には、5月に起きたNATOのユーゴ中国大使館誤爆事件に際して、丁武とKAISERの意見が食い違ったことが原因により、KAISERがバンドを脱退してしまう。誰もが予想し得なかったことで、そのために6月19日に行われた“新郷第二届揺滾音楽節(ロックコンサート)”を急遽辞退することとなった。
 
 
 
 その1ヶ月後には、鐵風箏楽隊のボーカル兼ギターリストである虞洋が臨時メンバーとして加入し、7月28・29日は香港の高山劇場で行われた“中国揺滾新生代”音楽会に参加し、成功させた。彼は、身長が170cm代と唐朝楽隊の中では見劣りするが、そのテクニックは素晴らしく、老五・KAISERの後継者としても決して負けていない。やがて、正式なメンバーとなる。11月20日、寧夏回族自治区銀川市の銀川体育館で行われた“世紀狂biao---中国揺滾勢力演唱会”に参加した。12月には、中央電視台に出演するという快挙を成し遂げた。
 
 2000年1月に発売されたオムニバス『真愛永恒』には、「花兒為什麼這様紅」と「明月千里寄相思」を発表する。3月1日には、『演義』と台湾オリジナルシングルが台湾で発売、数週間で5000枚を売り、なお台湾でも多くのファンがいたことを再認識させた。
 
 
 
 
 
 
 
1stアルバム発売時のメンバー
 
左から:趙年・丁武・劉義君(老五)・張炬
 
 
 
 
 
 
 
 
 9月16日には、北京のオリンピックスタジアムで行われた“2000年現代音楽演唱会”に参加し、10年前に行われた“90現代音楽演唱会”に引き続き、中国を代表するコンサートに出場した唯一のバンドとして、その高い実力と人気を見せ付けた。10月5日には、虞洋が脱退し、陳磊(G)が加わった。
 
 2001年9月19日、奥林匹克体育中心体育館で行われた北京サンミゲルビール賛助の“中国揺滾生力軍楽隊比賽総決賽(ロックバンドコンテスト決勝戦)”にゲスト出演した。
 
 
 
 2002年初、老五が復帰し、丁武がボーカルに専念することになった。2月14・15日には、天津の天津市体育中心で行われた“何夫人潤徳[ロ卑]酒狂歓夜”コンサートに出演した。5月1・2日、深[土川]の根拠地酒[ロ巴]でライブを行った。12月末、深[土川]で行われた歓楽谷音楽節に参加した。
 
 
 
 
2ndアルバム時(1997-1999/6)のメンバー
 
左から:趙年(Dr)・KAISER KUO(G)・丁武(Vo&G)・顧中(B)
 
 
 
 
 2003年7月25日、深[土川]の根拠地酒[ロ巴]で行われた“第三届深[土川]揺滾音楽周”に出演した。8月22日、朝陽公園で行われた炫特区激情狂歓夜“非主流音楽節”に参加した。11月、中国ロック初期の曲を集めたオムニバス『吶喊 為了中国曾経的揺滾』が発売となり、そこに「粉霧」が収録された。11月13日、台州で行われた台州美食節の開幕式に参加した。11月27日、仁倶楽部で行われた“理想不倒,向音楽致敬!”ライブに参加した。12月27日、南昌市紅谷灘市政広場で行われた“2003中国・南昌揺滾音楽節”に出演した。
 
 2004年5月6日、西安の未央湖遊楽園でライブを行った。6月7日、地壇公園方沢壇内で行われた“芸術拒絶独品”コンサートに参加した。8月7日、寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山の麓で行われた“中国揺滾的光輝道路”大型音楽節に出演し、2日目のトリを務めた。
 
 
  
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=== 低迷期から2ndアルバム発売へ ===
  
唐朝楽隊のロゴマーク
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1995年7月、元・[[呼吸楽隊]]の[[顧中]]をメンバーに加え、活動を再開した。8月には[[老五]]が脱退し、再び解散の危機となる。
 
  
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1996年初になり、[[Kaiser Kuo]]が中国に戻ってきて、唐朝楽隊の練習に参加する。8月には正式に加入し、ここにおいて新たなる唐朝楽隊が誕生した。ただ、[[張炬]]死後から1997年までのバンド状態は決して良いものではなく、活動らしき活動はあまり行なっていない。
  
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1998年になると、ニューアルバム発売に向けて本格的に活動を開始、ライブでは新曲をたくさん披露していく。9月になり、[[北京京文音像公司]]と契約、12月には2ndアルバム『[[演義(唐朝楽隊)|演義]]』を発売する。1stアルバム発売から6年、再び世間の注目を浴びることとなった。
  
 8月20日、第五大道広場で行われた“第五大道音楽周”に参加した。9月24日、上海の羅馬假日で行われたコンサートに出演した。12月17日、深[土川]の上歩根拠地酒[ロ巴]で、12月18日には深[土川]の南山根拠地酒[ロ巴]でライブを行った。
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=== 安定期へ ===
 2005年1月13日、北京糖果娯楽空間で行われた“Radio Aid--HIT FM88.7印度洋海嘯賑災義演(スマトラ島沖大地震チャリティーコンサート)”に参加した。2月26日、北京首都体育館で行われた“守望我們的精神家園:国家版権局版権保護-百名歌星演唱会”に参加した。5月、オムニバス『礼物』に曲を発表した。7月1日、北京工人体育場で行われた“和平的天空-記念世界反法西斯戦争勝利60周年大型演唱会”に参加した。7月28日、重慶の大田湾体育場で行われた“大田湾[口卑]酒節”に参加した。9月10日、北京汽車電影院で行われた“緑色北京-露天音楽節”に参加した。9月17日、北京朝陽公園で行われた“北京流行音楽節”に出演した。10月4日、深[土川]大梅沙太陽広場で行われた“第四届深[土川]黄金海岸旅遊節曁首届深[土川]百事可楽沙灘音楽節”に参加した。12月10日、広西チワン族自治区柳州市体育中心で行われた“超越夢想・激情柳州大型演唱会”に参加した。12月25日、桂林の桂林七星公園で行われた“2005揺滾中国・桂林音楽節”に参加した。12月31日、深[土川]の深[土川]体育館で行われた汪峰の“飛得更高”コンサートにゲスト出演した。
 
 
  
2006年の写真
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1999年6月、5月に起きたNATOのユーゴ中国大使館誤爆事件に際して、[[丁武]]と[[Kaiser Kuo]]の意見が食い違ったことが原因により、[[Kaiser Kuo]]がバンドを脱退してしまう。その1ヶ月後には、[[鉄風筝楽隊]]の[[虞洋]]が臨時メンバーとして加入した。彼は、身長が170cm代と唐朝楽隊の中では見劣りするが、そのテクニックは素晴らしく、[[老五]]・[[Kaiser Kuo]]の後継者としても決して負けていなかった。やがて、正式なメンバーとなる。12月には、ロックバンドとして、[[テレビ]]・[[中央電視台]]に出演するという快挙を成し遂げた。
左から:顧中・陳磊・丁武・趙年・老五
 
 
  
 2006年5月19日、昆明の昆明世博園で行われた“首届春城揺滾音楽節曁世博狂歓夜”に出演した。6月16日、瀋陽の火車頭体育館で行われた“記念中国揺滾20年”コンサートに参加した。7月21日、台湾台北県貢寮郷福隆県の福隆海水浴場で行われた“第七届貢寮国際海洋音楽祭”に参加した。7月23日、深[土川]の世界之窗で行われた“昨天-今天--南中国揺滾音楽節”に参加した。10月2日、広東省増城市増城広場で行われた“首届中国(増城)揺滾&[口卑]酒狂歓節曁第五届新塘国際牛仔服装節”に参加した。10月5日、北京国際雕塑公園北園で行われた“2006北京首届揺滾[口卑]酒節”に参加した。12月4日、深[土川]の根拠地酒[ロ巴]上歩店で行われた“深[土川]根拠地第六届音楽節”に参加した。12月5日、深[土川]の根拠地酒[ロ巴]南山店で行われた“深[土川]根拠地第六届音楽節”に参加した。
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2000年3月1日には、『[[演義(唐朝楽隊)|演義]]』と[[台湾]]オリジナルシングルが[[台湾]]で発売、数週間で5000枚を売り、[[台湾]]でも多くのファンがいたことを再認識させた。10月5日、[[虞洋]]が脱退し、[[陳磊]]が加わった。
 2007年1月28日、天津の巨川金海岸新生代休閑文化広場で行われた“浜海原創音楽節”に参加した。4月4日、星光現場音楽庁で行われた“STAND UP站起来 慈善募捐演唱会(肺癌となったレコーディングエンジニア・D哥 李國強のためのチャリティライブ)”に参加した。5月2・3日、四川省成都温江区の国色天郷天香劇場でライブを行った。5月16日、北京交通大学天佑会堂で行われた“2007MAXELL 驚音無敵校園創意音楽大賽京津賽区復賽”にゲスト出演した。6月6日、中国人民大学如論講堂で行われた“2007MAXELL 驚音無敵校園創意音楽大賽京津賽区決賽”にゲスト出演した。6月22日、河北省邯鄲の藍黛慢揺[ロ巴]でライブを行った。7月2日、香港の香港島金鐘の添馬艦(タマール広場)で行われた“擁抱十周年POP ROCK大派對”に出演した。7月14日、西安の曲江国際会展中心和諧広場で行われた“第五届西安曲江国際[口卑]酒節”に出演した。7月22日、内モンゴル自治区鄂爾多斯成吉思汗旅遊区で行われた“首届鄂爾多斯草原揺滾音楽会”に参加した。10月2日、蘇州の蘇州楽園で行われた“黄金周流行音楽節”に参加した。
 
  
 2008年3月19日、成都の驕子音楽庁で行われた“古井貢美酒音楽節”に参加した。5月30日、愚公移山で行われた[シ文]川大地震被災者チャリティライブに参加した。6月8日、済南の山東大学体育館で行われた“伊利優酸乳2008大学生音楽節”にゲスト出演した。6月、結成20周年記念となる3rdアルバム『浪漫騎士』が発売となった。6月13日、18庫LIVE HOUSEで『浪漫騎士』発表会を開いた。7月18日、西安の大唐芙蓉園南門で行われた“大唐芙蓉園流行音楽節”開幕式に参加した。9月12日、瀋陽の瀋陽龍脈後海公園で行われた“2008瀋陽後海音楽節”に参加した。10月24日、上海の上海大寧国際商業広場で行われた“第十届中国上海国際芸術節”に出演した。10月になり、1stアルバム『唐朝』がDVD付きで再版となった。12月2日、北京大学百周年紀念講堂で行われた“2008MAXELL 驚音無敵校園創意音楽大賽全国総決賽”にゲスト出演した。12月6日、山東省烟台の西南河体育館で行われた“交通銀行揺滾之夜”コンサートに参加した。12月25日、深[土川]の根拠地酒[ロ巴]南山店で行われた“深[土川]第八届根拠地揺滾音楽節”に参加した。12月26日、深[土川]の根拠地酒[ロ巴]上歩店で行われた“深[土川]第八届根拠地揺滾音楽節”に参加した。
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2002年初、[[老五]]が復帰した。[[アジア]]最高の[[ギタリスト]]の復帰はファンにとってうれしい話であった。
  
 2009年1月、老五は再度バンドを脱退したため、丁武が再度ボーカル以外にギターを兼任するようになった。3月28日、江蘇省無錫の新世界国際広場で行われた“新世界両周年慶典曁2009揺滾音楽節”に参加した。8月28日、奥体中心北門足球場で行われた“夏日領航2009大型音楽季”に参加した。10月30日、寧波の梁祝文化公園で行われた“把愛唱響 - 中国揺滾情歌演唱会”に参加した。
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2008年6月、結成20周年記念となる3rdアルバム『[[浪漫騎士(唐朝楽隊)|浪漫騎士]]』が発売となった。
  
 2010年1月16日、北京軍都山滑雪場で行われた“雪地電影音楽節”に参加した。
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2009年1月、[[老五]]は再度バンドを脱退した。
 
   
 
   
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2013年11月8日、4thアルバム『[[芒刺(唐朝楽隊)|芒刺]]』が発売となった。
  
 
== ディスコグラフィー ==
 
== ディスコグラフィー ==
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== 主要なライブ・コンサート ==
 
== 主要なライブ・コンサート ==
  
*[[安楽居/1989年5月|1989年5月 北京市 安楽居 PARTY]] メンバー:丁武・張炬・凱瑟尓・薩保
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*[[安楽居/1989年5月|1989年5月 北京市 安楽居 PARTY]] 初ライブ
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*1989年5月? [[中国]]東北地方 ツアー
 
*[[京城大酒店/1989年12月30日|1989年12月30日 北京市 京城大酒店]] 初めてオリジナル作品を披露
 
*[[京城大酒店/1989年12月30日|1989年12月30日 北京市 京城大酒店]] 初めてオリジナル作品を披露
*[[90現代音楽演唱会|1990年2月17・18日 北京市 首都体育館 90現代音楽演唱会]]
+
*[[90現代音楽演唱会|1990年2月17・18日 北京市 首都体育館 90現代音楽演唱会]] ボーカル:[[張炬]] 「粉雾」など2曲を演奏
 
*[[太原市/1991年12月|1991年12月 山西省太原市]]
 
*[[太原市/1991年12月|1991年12月 山西省太原市]]
 
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*[[西単音像大世界/1992年12月|1992年12月 北京市 西単音像大世界]] 1stアルバム発表会
北京のバンド。1988年末、かつて黒豹楽隊のメンバーだった丁武とロックミュージシャン仲間のベーシスト・張炬がアメリカ華僑のKAISER KUO(郭怡廣)(G)・アメリカ人SARPO(薩保)(Dr)と出会い、4人が意気投合して唐朝楽隊を結成する。バンド名はKAISERが名づける。
+
*1993年2月 [[ドイツ]]・ベルリン 中国前衛文化月間 4都市でライブ
 丁武(Vo&G)と張炬は、アメリカ人2人から技術的な面や、音楽的に多大なる影響を受ける。やがて練習を重ねて、安楽居で行われたPARTYに参加した。唐朝楽隊が初めてライブを行った場所であった。この頃は、まだ作品を持っていなかった。東北へライブツアーなども行ったが、この時の唐朝楽隊の活動期間はたった2ヶ月で、1989年6月にはKAISERとSARPOは帰国、丁武は新疆へ旅立ち、張炬は大連に行ってしまい、唐朝楽隊は解散した。
 
 
 
 新疆から帰郷した丁武は同じく北京に戻った張炬と共に、唐朝楽隊の継続を心に決め、ギターリスト老五(劉義君)と経験豊富なドラマー趙年をメンバーに加え、活動を再開した。練習は、友達の楊軍の助けにより、中央美術学院12階建て宿舎の一室で行われた。楽器も壊れたものを使用したり、食事もままならなかったが、作品を創作し続けた。1989年12月30日の京城大酒店で開かれたPARTYでは、初めて自分たちの曲を演奏した。
 
 
 
 1990年2月、北京首都体育館で行われた“90現代音楽演唱会”に呼吸楽隊・眼鏡蛇女子楽隊・寶貝兄弟楽隊・1989楽隊・ADO楽隊とともに参加した。この時は張炬がボーカルを務め、「粉雾」など2曲を演奏し、大好評を得る。5月1日、台湾の滾石唱片と契約、レコーディングを開始した。半年ほど秦琦もメンバーとして加わっていた。
 
 
 
 
 
 
 
2002年の写真
 
左から:陳磊・顧中・丁武・老五・趙年
 
 
 
 
 
 
 
 
 1992年10月、王勇(Key)がサポートを務める。同年末、1stアルバム『唐朝』を発売した。発売記念イベントは、北京の西単音像大世界で行われた。アルバムはその音楽性の高さから、中国で大ヒットとなる。このアルバムは台湾・香港・韓国・東南アジア・日本等、海外でも発売され、総売上枚数は、200万であった。メンバーの身長はみな180cm以上であり、ビジュアル面でも海外のハードロックバンドに決して負けなかった。
 
 ライブ活動は中国国内だけに止まらず、1993年2月、ドイツ・ベルリンで行われた“中国前衛文化月間”に崔健・眼鏡蛇楽隊・1989楽隊・王勇らとともに参加、そしてドイツの4都市を巡演した。4月には、「夢回唐朝」のMVが、“MTV”アジア最優秀MTV賞に輝いた。
 
 
 
 1994年10月には、日本の福岡で開かれた“国際文化節”に参加、中国現代文化と新音楽の代表者となる。12月17日には、香港紅磡体育館で開かれた“中国揺滾楽勢力”コンサートに張楚・何勇・竇唯とともに参加した。
 
 
 
 
2004年9月24日、上海の羅馬假日で行われたコンサートより
 
左から:老五(劉義君)・丁武
 
(撮影:YIREN)
 
 
 
 
 ロックバンドとして頂点を極めつつあったが、1995年5月11日に張炬が交通事故に遭い、死亡。ムードメーカーであった彼の死により、唐朝楽隊は解散の危機を迎える。
 
 しかし7月、元呼吸楽隊のベーシスト・顧中をメンバーに加え、活動を再開した。この時、[イ三]兒(Dr)がバンドの練習に参加したが、バンドに加入することはなかった。そして、深圳市で小型のライブを行う。ただ8月には老五が脱退し、再び解散の危機となる。
 
 
 
 1996年初になり、KAISERが中国に戻ってきて、唐朝楽隊の練習に参加する。8月には正式に加入し、ここにおいて新たなる唐朝楽隊が誕生した。そのメンバーは丁武(Vo&G)・KAISER(G)・顧中(B)・趙年(Dr)。ただ、張炬死後から1997年までのバンド状態は決して良いものではなく、活動らしき活動はあまり行っていない。
 
 
 1998年になると、ニューアルバム発売に向けて本格的に活動を開始、ライブでは新曲をたくさん披露していく。6月には、第1回新郷揺滾音楽節に参加した。8月30日には、広西チワン族自治区南寧で行われた’98南寧中国揺滾音楽演唱会に出演した。9月になり、北京京文音像公司と契約、12月には大友光悦プロデュースによる2ndアルバム『演義』を発売する。1stアルバム発売から6年、再び世間の注目を浴びることとなった。
 
 1999年1月23日、雲南省昆明で行われた“拒絶毒品,珍愛生命(麻薬を拒み、命を大切に)”コンサートに8つのバンドとともに参加する。
 
 
 
 同年6月には、5月に起きたNATOのユーゴ中国大使館誤爆事件に際して、丁武とKAISERの意見が食い違ったことが原因により、KAISERがバンドを脱退してしまう。誰もが予想し得なかったことで、そのために6月19日に行われた“新郷第二届揺滾音楽節(ロックコンサート)”を急遽辞退することとなった。
 
 
 その1ヶ月後には、鐵風箏楽隊のボーカル兼ギターリストである虞洋が臨時メンバーとして加入し、7月28・29日は香港の高山劇場で行われた“中国揺滾新生代”音楽会に参加し、成功させた。彼は、身長が170cm代と唐朝楽隊の中では見劣りするが、そのテクニックは素晴らしく、老五・KAISERの後継者としても決して負けていない。やがて、正式なメンバーとなる。11月20日、寧夏回族自治区銀川市の銀川体育館で行われた“世紀狂飆---中国揺滾勢力演唱会”に参加した。12月には、中央電視台に出演するという快挙を成し遂げた。
 
 2000年1月に発売されたオムニバス『真愛永恒』には、「花兒為什麼這様紅」と「明月千里寄相思」を発表する。3月1日には、『演義』と台湾オリジナルシングルが台湾で発売、数週間で5000枚を売り、なお台湾でも多くのファンがいたことを再認識させた。
 
 
 
 
 
 
 9月16日には、北京のオリンピックスタジアムで行われた“2000年現代音楽演唱会”に参加し、10年前に行われた“90現代音楽演唱会”に引き続き、中国を代表するコンサートに出場した唯一のバンドとして、その高い実力と人気を見せ付けた。10月5日には、虞洋が脱退し、陳磊(G)が加わった。
 
 2001年9月19日、奥林匹克体育中心体育館で行われた北京サンミゲルビール賛助の“中国揺滾生力軍楽隊比賽総決賽(ロックバンドコンテスト決勝戦)”にゲスト出演した。
 
 
 
 2002年初、老五が復帰し、丁武がボーカルに専念することになった。2月14・15日には、天津の天津市体育中心で行われた“何夫人潤徳啤酒狂歓夜”コンサートに出演した。5月1・2日、深圳市の根拠地酒吧でライブを行った。12月末、深圳市で行われた歓楽谷音楽節に参加した。
 
 
 
 
2ndアルバム時(1997-1999/6)のメンバー
 
左から:趙年(Dr)・KAISER KUO(G)・丁武(Vo&G)・顧中(B)
 
 
 
 
 2003年7月25日、深圳市の根拠地酒吧で行われた“第三届深圳揺滾音楽周”に出演した。8月22日、朝陽公園で行われた炫特区激情狂歓夜“非主流音楽節”に参加した。11月、中国ロック初期の曲を集めたオムニバス『吶喊 為了中国曾経的揺滾』が発売となり、そこに「粉霧」が収録された。11月13日、台州で行われた台州美食節の開幕式に参加した。11月27日、仁倶楽部で行われた“理想不倒,向音楽致敬!”ライブに参加した。12月27日、南昌市紅谷灘市政広場で行われた“2003中国・南昌揺滾音楽節”に出演した。
 
 2004年5月6日、西安の未央湖遊楽園でライブを行った。6月7日、地壇公園方沢壇内で行われた“芸術拒絶独品”コンサートに参加した。8月7日、寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山の麓で行われた“中国揺滾的光輝道路”大型音楽節に出演し、2日目のトリを務めた。
 
 
 
 
 
 
 
唐朝楽隊のロゴマーク
 
 
 
 
 
 
 
 
 8月20日、第五大道広場で行われた“第五大道音楽周”に参加した。9月24日、上海の羅馬假日で行われたコンサートに出演した。12月17日、深圳市の上歩根拠地酒吧、12月18日には深圳市の南山根拠地酒吧。
 
 2005年1月13日、北京糖果娯楽空間で行われた“Radio Aid--HIT FM88.7印度洋海嘯賑災義演(スマトラ島沖大地震チャリティーコンサート)”に参加した。2月26日、北京首都体育館で行われた“守望我們的精神家園:国家版権局版権保護-百名歌星演唱会”に参加した。5月、オムニバス『礼物』に曲を発表した。7月1日、北京工人体育場で行われた“和平的天空-記念世界反法西斯戦争勝利60周年大型演唱会”に参加した。7月28日、重慶の大田湾体育場で行われた“大田湾啤酒節”に参加した。9月10日、北京汽車電影院で行われた“緑色北京-露天音楽節”に参加した。9月17日、北京朝陽公園で行われた“北京流行音楽節”に出演した。10月4日、深圳大梅沙太陽広場で行われた“第四届深圳黄金海岸旅遊節曁首届深圳百事可楽沙灘音楽節”に参加した。12月10日、広西チワン族自治区柳州市体育中心で行われた“超越夢想・激情柳州大型演唱会”に参加した。12月25日、桂林の桂林七星公園で行われた“2005揺滾中国・桂林音楽節”に参加した。12月31日、深圳市の深圳体育館で行われた汪峰の“飛得更高”コンサートにゲスト出演した。
 
 
 
 
2006年の写真
 
左から:顧中・陳磊・丁武・趙年・老五
 
 
 
 
 2006年5月19日、昆明の昆明世博園で行われた“首届春城揺滾音楽節曁世博狂歓夜”に出演した。6月16日、瀋陽の火車頭体育館で行われた“記念中国揺滾20年”コンサートに参加した。7月21日、台湾台北県貢寮郷福隆県の福隆海水浴場で行われた“第七届貢寮国際海洋音楽祭”に参加した。7月23日、深圳市の世界之窗で行われた“昨天-今天--南中国揺滾音楽節”に参加した。10月2日、広東省増城市増城広場で行われた“首届中国(増城)揺滾&啤酒狂歓節曁第五届新塘国際牛仔服装節”に参加した。10月5日、北京国際雕塑公園北園で行われた“2006北京首届揺滾啤酒節”に参加した。12月4日、深圳市の根拠地酒吧上歩店で行われた“深圳根拠地第六届音楽節”に参加した。12月5日、深圳市の根拠地酒吧南山店で行われた“深圳根拠地第六届音楽節”に参加した。
 
 2007年1月28日、天津の巨川金海岸新生代休閑文化広場で行われた“浜海原創音楽節”に参加した。4月4日、星光現場音楽庁で行われた“STAND UP站起来 慈善募捐演唱会(肺癌となったレコーディングエンジニア・D哥 李國強のためのチャリティライブ)”に参加した。5月2・3日、四川省成都温江区の国色天郷天香劇場でライブを行った。5月16日、北京交通大学天佑会堂で行われた“2007MAXELL 驚音無敵校園創意音楽大賽京津賽区復賽”にゲスト出演した。6月6日、中国人民大学如論講堂で行われた“2007MAXELL 驚音無敵校園創意音楽大賽京津賽区決賽”にゲスト出演した。6月22日、河北省邯鄲の藍黛慢揺吧。7月2日、香港の香港島金鐘の添馬艦(タマール広場)で行われた“擁抱十周年POP ROCK大派對”に出演した。7月14日、西安の曲江国際会展中心和諧広場で行われた“第五届西安曲江国際啤酒節”に出演した。7月22日、内モンゴル自治区鄂爾多斯成吉思汗旅遊区で行われた“首届鄂爾多斯草原揺滾音楽会”に参加した。10月2日、蘇州の蘇州楽園で行われた“黄金周流行音楽節”に参加した。
 
 
 
 2008年3月19日、成都の驕子音楽庁で行われた“古井貢美酒音楽節”に参加した。5月30日、愚公移山で行われた汶川大地震被災者チャリティライブに参加した。6月8日、済南の山東大学体育館で行われた“伊利優酸乳2008大学生音楽節”にゲスト出演した。6月、結成20周年記念となる3rdアルバム『浪漫騎士』が発売となった。6月13日、18庫LIVE HOUSEで『浪漫騎士』発表会を開いた。7月18日、西安の大唐芙蓉園南門で行われた“大唐芙蓉園流行音楽節”開幕式に参加した。9月12日、瀋陽の瀋陽龍脈後海公園で行われた“2008瀋陽後海音楽節”に参加した。10月24日、上海の上海大寧国際商業広場で行われた“第十届中国上海国際芸術節”に出演した。10月になり、1stアルバム『唐朝』がDVD付きで再版となった。12月2日、北京大学百周年紀念講堂で行われた“2008MAXELL 驚音無敵校園創意音楽大賽全国総決賽”にゲスト出演した。12月6日、山東省烟台の西南河体育館で行われた“交通銀行揺滾之夜”コンサートに参加した。12月25日、深圳市の根拠地酒吧南山店で行われた“深圳第八届根拠地揺滾音楽節”に参加した。12月26日、深圳市の根拠地酒吧上歩店で行われた“深圳第八届根拠地揺滾音楽節”に参加した。
 
 
 
 2009年1月、老五は再度バンドを脱退したため、丁武が再度ボーカル以外にギターを兼任するようになった。3月28日、江蘇省無錫の新世界国際広場で行われた“新世界両周年慶典曁2009揺滾音楽節”に参加した。8月28日、奥体中心北門足球場で行われた“夏日領航2009大型音楽季”に参加した。10月30日、寧波の梁祝文化公園で行われた“把愛唱響 - 中国揺滾情歌演唱会”に参加した。
 
 
 
 2010年1月16日、北京軍都山滑雪場で行われた“雪地電影音楽節”に参加した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
*[[五台山体育館/1993年5月1日|1993年5月1日 江蘇省南京市 五台山体育館]]
 
*[[五台山体育館/1993年5月1日|1993年5月1日 江蘇省南京市 五台山体育館]]
 
*[[五台山体育館/1993年5月2日|1993年5月2日 江蘇省南京市 五台山体育館]]
 
*[[五台山体育館/1993年5月2日|1993年5月2日 江蘇省南京市 五台山体育館]]
 
*[[奥運-中国之夢|1993年7月18・19日 北京市 首都体育館 奥運-中国之夢]]
 
*[[奥運-中国之夢|1993年7月18・19日 北京市 首都体育館 奥運-中国之夢]]
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*1994年10月 [[日本]]・福岡県福岡市 国際文化節
 
*[[揺滾中国楽勢力演唱会|1994年12月17日 香港 紅磡体育館 揺滾中国楽勢力演唱会]]
 
*[[揺滾中国楽勢力演唱会|1994年12月17日 香港 紅磡体育館 揺滾中国楽勢力演唱会]]
 
*[[宜昌市/1995年|1995年 湖北省宜昌市]]
 
*[[宜昌市/1995年|1995年 湖北省宜昌市]]
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*[[深圳市/1995年7月|1995年7月 広東省深圳市]] 小型のライブ
 
*[[KEEP IN TOUCH/1998年5月22日|1998年5月22日 北京市 KEEP IN TOUCH]]
 
*[[KEEP IN TOUCH/1998年5月22日|1998年5月22日 北京市 KEEP IN TOUCH]]
 
*[[新郷揺滾音楽節/1998年6月|1998年6月 河北省新郷市 新郷市体育中心足球場 第一届新郷揺滾音楽節]]
 
*[[新郷揺滾音楽節/1998年6月|1998年6月 河北省新郷市 新郷市体育中心足球場 第一届新郷揺滾音楽節]]
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*[[ROJAM/1999年5月1日|1999年5月1日 上海市 ROJAM]]
 
*[[ROJAM/1999年5月1日|1999年5月1日 上海市 ROJAM]]
 
*[[ROJAM/1999年5月2日|1999年5月2日 上海市 ROJAM]]
 
*[[ROJAM/1999年5月2日|1999年5月2日 上海市 ROJAM]]
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*[[中国揺滾新生代音楽会/1999年7月28日|1999年7月28日 香港 高山劇場 中国揺滾新生代音楽会]]
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*[[中国揺滾新生代音楽会/1999年7月29日|1999年7月29日 香港 高山劇場 中国揺滾新生代音楽会]]
 
*[[銀川体育館/1999年11月20日|1999年11月20日 寧夏回族自治区銀川市 銀川体育館]]
 
*[[銀川体育館/1999年11月20日|1999年11月20日 寧夏回族自治区銀川市 銀川体育館]]
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*1999年12月 [[中央電視台]]
 
*[[莱茵河声場/2000年5月11日|2000年5月11日 北京市 莱茵河声場]] [[張炬]]追悼ライブ
 
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*[[2000年現代音楽演唱会|2000年9月16日 北京市 北京奥林匹克体育中心 2000年現代音楽演唱会]]
 
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*[[温州体育中心体育館/2000年12月24日|2000年12月24日 浙江省温州市 温州体育中心体育館]]
 
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2002年2月14・15日には、天津の天津市体育中心で行われた“何夫人潤徳啤酒狂歓夜”コンサートに出演した。
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*[[根拠地酒吧/2002年5月1日|2002年5月1日 広東省深圳市 根拠地酒吧]]
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*[[世界之窓/2002年7月20日|2002年7月20日 広東省深圳市 世界之窓 第七届世界之窓啤酒節曁2002揺滾音楽節]]
 
*[[世界之窓/2002年7月20日|2002年7月20日 広東省深圳市 世界之窓 第七届世界之窓啤酒節曁2002揺滾音楽節]]
 
*[[杭州西湖啤酒節/2002年10月2日|2002年10月2日 浙江省杭州市 黄竜体育中心 2002杭州西湖啤酒節]]
 
*[[杭州西湖啤酒節/2002年10月2日|2002年10月2日 浙江省杭州市 黄竜体育中心 2002杭州西湖啤酒節]]
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*[[深圳歓楽谷/2002年12月|2002年12月末 広東省深圳市 深圳歓楽谷 歓楽谷音楽節]]
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 2003年7月25日、深圳市の根拠地酒吧で行われた“第三届深圳揺滾音楽周”に出演した。8月22日、朝陽公園で行われた炫特区激情狂歓夜“非主流音楽節”に参加した。11月、中国ロック初期の曲を集めたオムニバス『吶喊 為了中国曾経的揺滾』が発売となり、そこに「粉霧」が収録された。11月13日、台州で行われた台州美食節の開幕式に参加した。11月27日、仁倶楽部で行われた“理想不倒,向音楽致敬!”ライブに参加した。12月27日、南昌市紅谷灘市政広場で行われた“2003中国・南昌揺滾音楽節”に出演した。
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 2004年5月6日、西安の未央湖遊楽園でライブを行った。6月7日、地壇公園方沢壇内で行われた“芸術拒絶独品”コンサートに参加した。8月7日、寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山の麓で行われた“中国揺滾的光輝道路”大型音楽節に出演し、2日目のトリを務めた。
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 8月20日、第五大道広場で行われた“第五大道音楽周”に参加した。9月24日、上海の羅馬假日で行われたコンサートに出演した。12月17日、深圳市の上歩根拠地酒吧、12月18日には深圳市の南山根拠地酒吧。
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 2005年1月13日、北京糖果娯楽空間で行われた“Radio Aid--HIT FM88.7印度洋海嘯賑災義演(スマトラ島沖大地震チャリティーコンサート)”に参加した。2月26日、北京首都体育館で行われた“守望我們的精神家園:国家版権局版権保護-百名歌星演唱会”に参加した。5月、オムニバス『礼物』に曲を発表した。7月1日、北京工人体育場で行われた“和平的天空-記念世界反法西斯戦争勝利60周年大型演唱会”に参加した。7月28日、重慶の大田湾体育場で行われた“大田湾啤酒節”に参加した。9月10日、北京汽車電影院で行われた“緑色北京-露天音楽節”に参加した。9月17日、北京朝陽公園で行われた“北京流行音楽節”に出演した。10月4日、深圳大梅沙太陽広場で行われた“第四届深圳黄金海岸旅遊節曁首届深圳百事可楽沙灘音楽節”に参加した。12月10日、広西チワン族自治区柳州市体育中心で行われた“超越夢想・激情柳州大型演唱会”に参加した。12月25日、桂林の桂林七星公園で行われた“2005揺滾中国・桂林音楽節”に参加した。12月31日、深圳市の深圳体育館で行われた汪峰の“飛得更高”コンサートにゲスト出演した。
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 2006年5月19日、昆明の昆明世博園で行われた“首届春城揺滾音楽節曁世博狂歓夜”に出演した。6月16日、瀋陽の火車頭体育館で行われた“記念中国揺滾20年”コンサートに参加した。7月21日、台湾台北県貢寮郷福隆県の福隆海水浴場で行われた“第七届貢寮国際海洋音楽祭”に参加した。7月23日、深圳市の世界之窗で行われた“昨天-今天--南中国揺滾音楽節”に参加した。10月2日、広東省増城市増城広場で行われた“首届中国(増城)揺滾&啤酒狂歓節曁第五届新塘国際牛仔服装節”に参加した。10月5日、北京国際雕塑公園北園で行われた“2006北京首届揺滾啤酒節”に参加した。12月4日、深圳市の根拠地酒吧上歩店で行われた“深圳根拠地第六届音楽節”に参加した。12月5日、深圳市の根拠地酒吧南山店で行われた“深圳根拠地第六届音楽節”に参加した。
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 2007年1月28日、天津の巨川金海岸新生代休閑文化広場で行われた“浜海原創音楽節”に参加した。4月4日、星光現場音楽庁で行われた“STAND UP站起来 慈善募捐演唱会(肺癌となったレコーディングエンジニア・D哥 李國強のためのチャリティライブ)”に参加した。5月2・3日、四川省成都温江区の国色天郷天香劇場でライブを行った。5月16日、北京交通大学天佑会堂で行われた“2007MAXELL 驚音無敵校園創意音楽大賽京津賽区復賽”にゲスト出演した。6月6日、中国人民大学如論講堂で行われた“2007MAXELL 驚音無敵校園創意音楽大賽京津賽区決賽”にゲスト出演した。6月22日、河北省邯鄲の藍黛慢揺吧。7月2日、香港の香港島金鐘の添馬艦(タマール広場)で行われた“擁抱十周年POP ROCK大派對”に出演した。7月14日、西安の曲江国際会展中心和諧広場で行われた“第五届西安曲江国際啤酒節”に出演した。7月22日、内モンゴル自治区鄂爾多斯成吉思汗旅遊区で行われた“首届鄂爾多斯草原揺滾音楽会”に参加した。10月2日、蘇州の蘇州楽園で行われた“黄金周流行音楽節”に参加した。
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 2008年3月19日、成都の驕子音楽庁で行われた“古井貢美酒音楽節”に参加した。5月30日、愚公移山で行われた汶川大地震被災者チャリティライブに参加した。6月8日、済南の山東大学体育館で行われた“伊利優酸乳2008大学生音楽節”にゲスト出演した。6月、結成20周年記念となる3rdアルバム『浪漫騎士』が発売となった。6月13日、18庫LIVE HOUSEで『浪漫騎士』発表会を開いた。7月18日、西安の大唐芙蓉園南門で行われた“大唐芙蓉園流行音楽節”開幕式に参加した。9月12日、瀋陽の瀋陽龍脈後海公園で行われた“2008瀋陽後海音楽節”に参加した。10月24日、上海の上海大寧国際商業広場で行われた“第十届中国上海国際芸術節”に出演した。10月になり、1stアルバム『唐朝』がDVD付きで再版となった。12月2日、北京大学百周年紀念講堂で行われた“2008MAXELL 驚音無敵校園創意音楽大賽全国総決賽”にゲスト出演した。12月6日、山東省烟台の西南河体育館で行われた“交通銀行揺滾之夜”コンサートに参加した。12月25日、深圳市の根拠地酒吧南山店で行われた“深圳第八届根拠地揺滾音楽節”に参加した。12月26日、深圳市の根拠地酒吧上歩店で行われた“深圳第八届根拠地揺滾音楽節”に参加した。
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*[[大明十年大型文芸晩会|2003年4月10日 大明十年大型文芸晩会]]
 
*[[大明十年大型文芸晩会|2003年4月10日 大明十年大型文芸晩会]]
 
*[[豪運酒吧(老豪運酒吧)/2004年3月6日|2004年3月6日 北京市 豪運酒吧]]
 
*[[豪運酒吧(老豪運酒吧)/2004年3月6日|2004年3月6日 北京市 豪運酒吧]]
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*[[MAXELL 驚音無敵校園創意音楽大賽/全国総決賽 2008年12月2日|2008年12月2日 北京市 北京大学百周年記念講堂 2008MAXELL 驚音無敵校園創意音楽大賽全国総決賽]] ゲスト出演
 
*[[MAXELL 驚音無敵校園創意音楽大賽/全国総決賽 2008年12月2日|2008年12月2日 北京市 北京大学百周年記念講堂 2008MAXELL 驚音無敵校園創意音楽大賽全国総決賽]] ゲスト出演
 
*[[西南河体育館/2008年12月6日|2008年12月6日 山東省煙台市 西南河体育館]]
 
*[[西南河体育館/2008年12月6日|2008年12月6日 山東省煙台市 西南河体育館]]
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*[[新世界国際広場/2009年3月28日|2009年3月28日 江蘇省無錫市 新世界国際広場 新世界両周年慶典曁2009揺滾音楽節]]
 
*[[蓋世群音 百事楽隊大賽/東賽区決賽 2009年6月15日|2009年6月15日 上海市 蓋世群音 百事楽隊大賽東賽区決賽]] ゲスト出演
 
*[[蓋世群音 百事楽隊大賽/東賽区決賽 2009年6月15日|2009年6月15日 上海市 蓋世群音 百事楽隊大賽東賽区決賽]] ゲスト出演
 
*[[星光現場音楽庁/2009年6月27日|2009年6月27日 北京市 星光現場音楽庁]]
 
*[[星光現場音楽庁/2009年6月27日|2009年6月27日 北京市 星光現場音楽庁]]
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*[[雪地電影音楽節/2010年1月16日|2010年1月16日 北京市昌平区 北京軍都山滑雪場 第二届The North Face®雪地電影音楽節]]
 
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*[[南昌体育館/2010年3月21日|2010年3月21日 江西省南昌市 南昌体育館]]
 
*[[南昌体育館/2010年3月21日|2010年3月21日 江西省南昌市 南昌体育館]]

2015年1月26日 (月) 13:01時点における版

唐朝楽隊
Tangchao 11.jpg
基本情報
中国語名(簡体字) 唐朝
中国語名(繁体字) 唐朝
拼音 Tangchao
発音転記 タンチャオ
英語名・外国語名 TANG DYNASTY
出身地 北京市
ジャンル プログレッシブメタルヘビーメタル
活動期間 1988年末 - 1989年6月
1989年後半 -
影響 Yes・Rush
メンバー 丁武



(写真:)
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唐朝楽隊(タンチャオ、Tangchao)は、北京市で活動しているプログレッシブメタルバンド。中国を代表するメタルバンドである。

メンバー

過去に在籍したメンバー

サポートメンバー

経歴

本格派メタルバンドとして

1988年末、かつて黒豹楽隊のメンバーだった丁武やロックミュージシャン仲間のベーシスト張炬アメリカ人の合計4人が意気投合して唐朝楽隊を結成する。バンド名はアメリカ華僑Kaiser Kuoが名付けた。丁武張炬は、アメリカ人2人から技術的な面や、音楽的に多大なる影響を受ける。

1989年6月にはアメリカ人2人は帰国、丁武張炬も地方へ行き、唐朝楽隊は解散した。

やがて帰郷した丁武張炬とは唐朝楽隊の継続を心に決め、ギタリスト老五劉義君)と経験豊富なドラマー趙年をメンバーに加え、活動を再開した。練習は、友達の楊軍の助けにより、中央美術学院12階建て宿舎の一室で行なわれた。楽器も壊れたものを使用したり、食事もままならなかったが、作品を創作し続けた。

1990年2月17・18日、首都体育館で開かれた90現代音楽演唱会に出演した。5月1日、台湾滾石唱片と契約し、レコーディングを開始した。

アジアを代表するバンドへ

1992年12月、1stアルバム『唐朝』を発売した。アルバムはその音楽性の高さから、中国で大ヒットとなったほか、台湾香港韓国東南アジア日本等、海外でも発売され、総売上枚数は、200万であった。メンバーの身長はみな180cm以上であり、ビジュアル面でも海外のハードロックバンドに決して負けないほどのインパクトを与えた。

ライブ活動は中国国内だけに止まらず、1993年2月、ドイツ・ベルリンで行なわれた「中国前衛文化月間」に参加したほか、そしてドイツの4都市を巡演した。4月には、「梦回唐朝」のミュージック・ビデオが、「MTVアジア最優秀MTV賞」に輝いた。

1994年10月、日本・福岡県福岡市で開かれた「国際文化節」に参加、中国現代文化と新音楽の代表者となる。12月17日には、香港で行なわれた揺滾中国楽勢力演唱会に参加した。

ロックバンドとして頂点を極めつつあったが、1995年5月11日に張炬が交通事故に遭い、亡くなった。ムードメーカーであった彼の死により、唐朝楽隊は解散の危機を迎える。

低迷期から2ndアルバム発売へ

1995年7月、元・呼吸楽隊顧中をメンバーに加え、活動を再開した。8月には老五が脱退し、再び解散の危機となる。

1996年初になり、Kaiser Kuoが中国に戻ってきて、唐朝楽隊の練習に参加する。8月には正式に加入し、ここにおいて新たなる唐朝楽隊が誕生した。ただ、張炬死後から1997年までのバンド状態は決して良いものではなく、活動らしき活動はあまり行なっていない。

1998年になると、ニューアルバム発売に向けて本格的に活動を開始、ライブでは新曲をたくさん披露していく。9月になり、北京京文音像公司と契約、12月には2ndアルバム『演義』を発売する。1stアルバム発売から6年、再び世間の注目を浴びることとなった。

安定期へ

1999年6月、5月に起きたNATOのユーゴ中国大使館誤爆事件に際して、丁武Kaiser Kuoの意見が食い違ったことが原因により、Kaiser Kuoがバンドを脱退してしまう。その1ヶ月後には、鉄風筝楽隊虞洋が臨時メンバーとして加入した。彼は、身長が170cm代と唐朝楽隊の中では見劣りするが、そのテクニックは素晴らしく、老五Kaiser Kuoの後継者としても決して負けていなかった。やがて、正式なメンバーとなる。12月には、ロックバンドとして、テレビ中央電視台に出演するという快挙を成し遂げた。

2000年3月1日には、『演義』と台湾オリジナルシングルが台湾で発売、数週間で5000枚を売り、台湾でも多くのファンがいたことを再認識させた。10月5日、虞洋が脱退し、陳磊が加わった。

2002年初、老五が復帰した。アジア最高のギタリストの復帰はファンにとってうれしい話であった。

2008年6月、結成20周年記念となる3rdアルバム『浪漫騎士』が発売となった。

2009年1月、老五は再度バンドを脱退した。

2013年11月8日、4thアルバム『芒刺』が発売となった。

ディスコグラフィー

スタジオ・アルバム

EP

シングル

ソロ発表曲 

テンプレート:Solo List 50

参加アルバム 

アーティスト・バンド名曲名アルバム名発表年参加形態備考
北京揺滾群星夜色告別的揺滾1995演奏(クレジットにはないがメンバー全員が参加)
郭峰怀抱懐抱1999バックボーカル(複数で)非売品
郭峰怀抱経典郭峰2000バックボーカル(複数で)▼MVも
夜晩的騎士九拍I Kill You My Woman詞曲
夜晩的騎士九拍通俗歌曲VOL.2452003/5詞曲
天堂之門楽隊国际歌第三届附中現代音楽節2008/7編曲(クレジットにはないが、唐朝楽隊バージョンで演奏)
天堂之門楽隊天堂第四届附中現代音楽節2010詞曲
藍墻楽隊国际歌第四届附中現代音楽節2010編曲(クレジットにはないが、唐朝楽隊バージョンで演奏)
驚叫基督楽隊梦回唐朝(翻唱)永戦之海2011/10/15詞曲

出演

媒体曲名収録ソフト名発表年参加形態備考
VCD摩登天空有声音楽雑誌 CALENDAR1999インタビュー
テレビ手拉手同一首歌 新北京新奥運 北京申辦2008奥運会2001演奏(黒豹楽隊蛍火虫楽隊輪回楽隊零点楽隊と)2008年オリピック誘致運動コンサートより▼海賊盤VCDあり
VCD音楽王国0022004/10自己紹介
DVD唐朝和平天空演唱会陳磊 八只手2008/5/13演奏2005年7月1日、北京工人体育場で行なわれた「和平的天空-記念世界反法西斯戦争勝利60周年大型演唱会」より

主要なライブ・コンサート


2002年2月14・15日には、天津の天津市体育中心で行われた“何夫人潤徳啤酒狂歓夜”コンサートに出演した。

 2003年7月25日、深圳市の根拠地酒吧で行われた“第三届深圳揺滾音楽周”に出演した。8月22日、朝陽公園で行われた炫特区激情狂歓夜“非主流音楽節”に参加した。11月、中国ロック初期の曲を集めたオムニバス『吶喊 為了中国曾経的揺滾』が発売となり、そこに「粉霧」が収録された。11月13日、台州で行われた台州美食節の開幕式に参加した。11月27日、仁倶楽部で行われた“理想不倒,向音楽致敬!”ライブに参加した。12月27日、南昌市紅谷灘市政広場で行われた“2003中国・南昌揺滾音楽節”に出演した。  2004年5月6日、西安の未央湖遊楽園でライブを行った。6月7日、地壇公園方沢壇内で行われた“芸術拒絶独品”コンサートに参加した。8月7日、寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山の麓で行われた“中国揺滾的光輝道路”大型音楽節に出演し、2日目のトリを務めた。


 8月20日、第五大道広場で行われた“第五大道音楽周”に参加した。9月24日、上海の羅馬假日で行われたコンサートに出演した。12月17日、深圳市の上歩根拠地酒吧、12月18日には深圳市の南山根拠地酒吧。

 2005年1月13日、北京糖果娯楽空間で行われた“Radio Aid--HIT FM88.7印度洋海嘯賑災義演(スマトラ島沖大地震チャリティーコンサート)”に参加した。2月26日、北京首都体育館で行われた“守望我們的精神家園:国家版権局版権保護-百名歌星演唱会”に参加した。5月、オムニバス『礼物』に曲を発表した。7月1日、北京工人体育場で行われた“和平的天空-記念世界反法西斯戦争勝利60周年大型演唱会”に参加した。7月28日、重慶の大田湾体育場で行われた“大田湾啤酒節”に参加した。9月10日、北京汽車電影院で行われた“緑色北京-露天音楽節”に参加した。9月17日、北京朝陽公園で行われた“北京流行音楽節”に出演した。10月4日、深圳大梅沙太陽広場で行われた“第四届深圳黄金海岸旅遊節曁首届深圳百事可楽沙灘音楽節”に参加した。12月10日、広西チワン族自治区柳州市体育中心で行われた“超越夢想・激情柳州大型演唱会”に参加した。12月25日、桂林の桂林七星公園で行われた“2005揺滾中国・桂林音楽節”に参加した。12月31日、深圳市の深圳体育館で行われた汪峰の“飛得更高”コンサートにゲスト出演した。

 2006年5月19日、昆明の昆明世博園で行われた“首届春城揺滾音楽節曁世博狂歓夜”に出演した。6月16日、瀋陽の火車頭体育館で行われた“記念中国揺滾20年”コンサートに参加した。7月21日、台湾台北県貢寮郷福隆県の福隆海水浴場で行われた“第七届貢寮国際海洋音楽祭”に参加した。7月23日、深圳市の世界之窗で行われた“昨天-今天--南中国揺滾音楽節”に参加した。10月2日、広東省増城市増城広場で行われた“首届中国(増城)揺滾&啤酒狂歓節曁第五届新塘国際牛仔服装節”に参加した。10月5日、北京国際雕塑公園北園で行われた“2006北京首届揺滾啤酒節”に参加した。12月4日、深圳市の根拠地酒吧上歩店で行われた“深圳根拠地第六届音楽節”に参加した。12月5日、深圳市の根拠地酒吧南山店で行われた“深圳根拠地第六届音楽節”に参加した。  2007年1月28日、天津の巨川金海岸新生代休閑文化広場で行われた“浜海原創音楽節”に参加した。4月4日、星光現場音楽庁で行われた“STAND UP站起来 慈善募捐演唱会(肺癌となったレコーディングエンジニア・D哥 李國強のためのチャリティライブ)”に参加した。5月2・3日、四川省成都温江区の国色天郷天香劇場でライブを行った。5月16日、北京交通大学天佑会堂で行われた“2007MAXELL 驚音無敵校園創意音楽大賽京津賽区復賽”にゲスト出演した。6月6日、中国人民大学如論講堂で行われた“2007MAXELL 驚音無敵校園創意音楽大賽京津賽区決賽”にゲスト出演した。6月22日、河北省邯鄲の藍黛慢揺吧。7月2日、香港の香港島金鐘の添馬艦(タマール広場)で行われた“擁抱十周年POP ROCK大派對”に出演した。7月14日、西安の曲江国際会展中心和諧広場で行われた“第五届西安曲江国際啤酒節”に出演した。7月22日、内モンゴル自治区鄂爾多斯成吉思汗旅遊区で行われた“首届鄂爾多斯草原揺滾音楽会”に参加した。10月2日、蘇州の蘇州楽園で行われた“黄金周流行音楽節”に参加した。

 2008年3月19日、成都の驕子音楽庁で行われた“古井貢美酒音楽節”に参加した。5月30日、愚公移山で行われた汶川大地震被災者チャリティライブに参加した。6月8日、済南の山東大学体育館で行われた“伊利優酸乳2008大学生音楽節”にゲスト出演した。6月、結成20周年記念となる3rdアルバム『浪漫騎士』が発売となった。6月13日、18庫LIVE HOUSEで『浪漫騎士』発表会を開いた。7月18日、西安の大唐芙蓉園南門で行われた“大唐芙蓉園流行音楽節”開幕式に参加した。9月12日、瀋陽の瀋陽龍脈後海公園で行われた“2008瀋陽後海音楽節”に参加した。10月24日、上海の上海大寧国際商業広場で行われた“第十届中国上海国際芸術節”に出演した。10月になり、1stアルバム『唐朝』がDVD付きで再版となった。12月2日、北京大学百周年紀念講堂で行われた“2008MAXELL 驚音無敵校園創意音楽大賽全国総決賽”にゲスト出演した。12月6日、山東省烟台の西南河体育館で行われた“交通銀行揺滾之夜”コンサートに参加した。12月25日、深圳市の根拠地酒吧南山店で行われた“深圳第八届根拠地揺滾音楽節”に参加した。12月26日、深圳市の根拠地酒吧上歩店で行われた“深圳第八届根拠地揺滾音楽節”に参加した。



外部リンク