「崔健」の版間の差分
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+ | ''''''(、、)は、[[省]][[市]]で活動していたバンド。 | ||
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+ | == メンバー == | ||
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+ | === 過去に在籍したメンバー === | ||
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+ | === サポートメンバー === | ||
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+ | == 経歴 == | ||
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+ | 中国ロックの第一人者。 | ||
+ | 朝鮮族。1961年に生まれる。父親は、トランペット奏者で、母親は朝鮮族舞踏団と、音楽に関する家庭で育つ。1975年、父親からトランペットを教わる。1978年から北京交響楽団のトランペット奏者となる。1981年、北京歌舞団のトランペット奏者となる。この頃、外国から来た留学生と旅行者が持って来ていた洋楽のカセットを聴き始め、それからロックを好きになり、ギターを勉強しながら、歌を歌い始めた。 | ||
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+ | 1984年11月、七合板楽隊を結成する。この時はまだオリジナル曲が無く、洋楽のカバーを歌っていただけであった。そこで、多くの洋楽を聴いた経験を生かして、オリジナル曲を製作した。最初の作品は「不是我不明白」。1985年6月、七合板楽隊は解散してしまった。 | ||
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+ | 1986年5月、国際和平年の音楽会“全国第一届百名歌星演唱会(100名スターコンサート)”上で、壊れたギターを抱え、ジーンズの両足の長さが揃っていないような、小汚い格好で舞台に上がり、「一無所有」を歌った。彼を見た観衆は最初何事かと思っていたが、この曲を聴いた瞬間、いままでの中国音楽には無かった、新しいリズム・歌詞に震え上がった。のち、このコンサートで歌った崔健の「一無所有」こそが、中国ロックの幕開けだと言われるようになる。 | ||
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+ | 2004年10月21日、新天地ARKで行われたライブより | ||
+ | (撮影:YIREN) | ||
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+ | 1987年5月、北京交響楽団を辞め、ADO楽隊との活動を始める。1988年1月、北京中山音楽堂で初めてのソロコンサートを開く。同年、ソウルオリンピック前夜祭特別番組の世界中継のテレビの中で、「一無所有」を歌う。1989年2月、1stアルバム『新長征路上的揺滾』を発売する。3月、北京展覧館で“新長征路上的揺滾”コンサートを開く。また、イギリス・ロンドンの“アジア流行音楽祭”に参加。4月には、ADO楽隊とともにフランス・パリの“布爾日之春”アートフェスティバルに参加した。1990年1月28日、北京工人体育館でアジア大会の資金収拾を目的とした“従頭再来”ソロコンサートを開く。3月からは、“新長征路上的揺滾”ツアーを開始した。途中で中止にさせられたが、1993年の夏まで、2年ほど全国を回り、大陸中が崔健に注目するようになった。 | ||
+ | 1991年2月、2ndアルバム『解決』を発売した。この時は、ADO楽隊との活動は辞めていた。 | ||
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+ | 1992年、『解決』に収録の「快譲我在這雪地上撒点児野」のMVが、MTVの“VIDEO MUSIC AWARD 1991 MTV ASIAVIEWERS CHOICE AWARD CUI JIAN "WILD IN THE SHOW"”(最も観衆に好まれたアジア歌手賞)に輝く。7月には、日本の神奈川県・横須賀で行われた“ぴあ20周年記念コンサート”に参加した。12月28‐30日には、癌基金のために、北京展覧劇場でコンサートを開いた。 | ||
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+ | 1999年前後の崔健 | ||
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+ | 1993年、映画『北京雑種(北京バスターズ)』に出演した。また、映画音楽を手がける。2月には、ドイツ・ベルリンで行われた“中国前衛文化月間”に参加した。4月には、日本の“たまライフ21”イベントに参加した。 | ||
+ | 1994年、“福岡アジア映画祭”のゲストとして参加する。8月には、3rdアルバム『紅旗下的蛋』を発売した。世界で発売となる。このアルバム製作の時に結成した紅旗下的蛋楽隊を率いて、9月にはアメリカ・シアトルで開かれた“Bumbershoot音楽祭”に出演した。10月下旬には、日本の東京・大阪・福岡・京都でコンサートを行った。 | ||
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+ | 1995年8月には、アメリカでツアーを行い、サンフランシスコ・ニューヨーク・ボストンなどを巡演する。アメリカソロツアーは、中国人アーティストとして初めてで、計6回ほどライブを行った。9月、日本の東京(NISSIN POWER STATION・東京武道館)と大阪(FESTIVAL HALLで2DAYS)でライブを行う。同年末、香港伊麗沙白体育館で2回ほどソロコンサートを開き、成功を収める。 | ||
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+ | 1996年6月には、デンマークで行われた世界最大のロックフェスティバル“Roskilde音楽祭”に参加したほか、国内で多くのコンサートを開く。 | ||
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+ | 1997年、子曰楽隊のアルバムプロデュースを手がけた。 | ||
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+ | 1989年3月、天安門広場で劉元(左)と共に | ||
+ | (写真:北京音楽台) | ||
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+ | 1998年4月18日、河北省石家庄の裕[丹彡]国際体育中心でライブを行った。5月、4thアルバム『無能的力量』を発売する。 | ||
+ | 1999年、アメリカのシアトル、ロサンゼルス、ボストン、ニューヨーク、ダラス、アトランタでコンサートを開き、アメリカ人・特に華僑の絶大な支持を得る。 | ||
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+ | 2000年3月には、北京普[シ来]文化芸術有限公司(PULAY MUSIC)とマネジメント契約を交わした。10月8日には、北京工人体育場で行われた原創反盗維権大型演唱会に参加し、「飛了」を歌った。崔健にとって北京の大舞台でのコンサートは、1992年以来の事であった。12月2日には、オランダ駐中大使からクラウス王賞を受賞した。 | ||
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+ | 崔健は、中国ロックを初めて公の場で演奏し、国内で初めてロックのソロアルバムを発売した人物である。1stアルバムを発売してから10年以上が経過した今でも、未だに人気が衰えない、中国ロックの顔でもある。彼の人気が未だに衰えない理由は、各アルバム毎にスタイルが変化していること、意味深な歌詞でいつも話題に上がることなどがある。歌詞の解釈は人それぞれであるが、けっして西洋諸国でイメージされているような反体制ロッカーではないと思われる。彼が1stアルバムに収録した「新長征路上的揺滾」は、共産党の長征を茶化したとして、政府の眼に止まることとなってしまったが、現在の中国を愛しているからこそ、その偉大な英雄達の長征を自分流にアレンジして歌ったのである。近年、北京でも大々的にロックコンサートが開かれるようになったが、彼の大型ソロコンサートは1991年以来開かれていない。彼の大型コンサートが北京で開けるようになってこそ、中国ロックは新たな時代へ突き進むであろう。 | ||
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+ | 1990年前後、天安門広場にて | ||
+ | (写真:北京音楽台) | ||
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+ | 2001年1月16日から18日には、香港の葵青劇院で香港城市当代舞踏団とともに現代音楽舞劇“給[イ尓]一点紅色”を公演し、成功を収めた。1月から2月にかけては、フランスのパリ・オランダのアムステルダム、スイスのチューリッヒでコンサートを行う。7月には、イタリア・フランス・ドイツ・スイスでコンサートを開いた。同年、映画『我的兄弟姐妹』に出演し、話題を呼んだ。12月16・17・18日には、深[土川]で行われた第1回深[土川]揺滾音楽節に参加した。 | ||
+ | 2002年2月5日、吉林省の延吉市へ行き、延辺電視台(テレビ局)の春節晩会に出演した。わざわざ延吉まで行くのは、朝鮮族が最も多い延吉でとても人気があるためであった。2月14・15日には、天津の天津市体育中心で行われた“何夫人潤徳[ロ卑]酒狂歓夜”コンサートに出演した。3月2日には、韓国のソウルでライブを行った。3月9日には、アメリカ・ニューヨークの太平洋城でライブを行った。6月2日には、韓国で行われた釜山ロックフェスティバルに出演した。8月7日、CD CAFEで真唱運動の開始を宣言した。8月17・18日、雲南省麗江の玉龍雪山甘海子で行われた“麗江雪山音楽節”のアートディレクターを務めたほか、自らライブを行った。 | ||
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+ | 2003年1月18日、シンガポールで真唱運動演唱会を開いた。4月4日、北京工人体育館で行われるRolling Stonesのコンサートで前座を務める予定であったが、SARSにより延期になってしまう。8月7日、北京汽車電影院で真唱運動一周年活動を行った。8月8日、天津の天津遊楽場で行われた“天津第四届[ロ卑]酒節”の初日に真唱運動コンサートを行った。9月13日、上海の南京路世紀広場で行われた“上海旅遊節開幕大狂歓”野外コンサートに出演した。9月17日、北京の仁倶楽部で、9月19日には、上海の新天地ARKで行われた“聯動之声・音楽之夜”音楽連誼会に参加し、ドイツの歌手・UDO LINDENBERGと共演した。11月27日、仁倶楽部で行われた“理想不倒,向音楽致敬!”ライブに、一時的に再結成した七合板楽隊の一員として参加した。12月31日、広州市の時代[王攵]瑰園で行われた“時代的晩上---広州・中国新年揺滾音楽節”に出演した。 | ||
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+ | 2003年9月19日、上海の新天地ARKでのライブより | ||
+ | (撮影:YIREN) | ||
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+ | 2004年1月16日、北京首都体育館で行われた伍佰のコンサートにゲストとして出演した。北京での大型コンサートに出演という事で、大きな話題となった。2月、ドイツで10日間のツアーを行った。2月27・28日には上海の美琪大戯院で、3月4・5日は、北京の北展劇場で、ドイツの歌手・UDO LINDENBERGが開いたマルチメディア音楽劇“大西洋故事”に出演した。3月31日には北京の北京工人体育館で、4月2日には、上海の上海大舞台で、4月4日には、広州の広州天河体育館で、「深紫 VS 崔健」と題するツアーを開き、Deep Purpleと共演した。4月、アメリカツアーを行った。5月15日、遼寧省瀋陽市の遼寧老龍口体育館でコンサートを行った。8月6日、北京市楓花園汽車電影院で“真唱運動二周年記念活動”を行った。8月8日、寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山の麓で行われた“中国揺滾的光輝道路”大型音楽節に出演し、最終日のトリを務めた。9月21日、上海の新天地ARKで行われたWarwickギターのイベントに参加し、アメリカ人ギターリスト・George Lynchを従えながらライブを行った。10月、国連和平音楽大賞を獲得し、中国のロックミュージシャンとして貴重な国際的な賞を獲得した。12月31日、旅遊衛視(テレビ)の番組「衛視先鋒」で、2004年12月10日に北京の新豪運酒[ロ巴]で行った単独ライブの様子が放映された。 | ||
+ | 2004年10月21日、新天地ARKで行われたライブより | ||
+ | Eddie(G)・劉[王月](B)以外はGeorge Lynch(G)やドイツ人ドラマーが参加するなど、通常の崔健楽隊とは異なる、特別編成であった | ||
+ | (撮影:YIREN) | ||
+ | |||
+ | 2005年1月13日、北京糖果娯楽空間で行われた“Radio Aid--HIT FM88.7印度洋海嘯賑災義演(スマトラ島沖大地震チャリティーコンサート)”に参加した。3月、5thアルバム『給[イ尓]一点顔色』が発売となった。6月3日、武漢の武漢洪山体育館でコンサートを行った。7月1日、北京工人体育場で行われた“和平的天空-記念世界反法西斯戦争勝利60周年大型演唱会”に参加した。7月16日、雲南省昆明で行われた“時尚風暴-世博節拍”コンサートに参加した。7月29日、広西チワン族自治区北海の銀灘広場で行われた“北海国際海灘旅遊文化節”に参加した。7月31日、内モンゴル自治区四子王旗格根塔拉草原で行われた“2005内蒙古・格根塔拉草原狂歓節”に参加した。同月、崔健が過去に発表した曲をカバーしたトリビュートアルバム『誰是崔健!?』が発売となった。8月6日、北京楓花園汽車電影院で“真唱運動三周年記念”ライブを行い、真唱運動を終了した。8月31日、新豪運酒[ロ巴]で行われた“除旧迎新--為仮唱送終”ライブに登場し、『営業性演出管理条例』の中の「仮唱」に関する法律施行を祝った。9月24日、北京首都体育館で“陽光下的夢”コンサートを開いた。10年以上の歳月を経て、崔健がようやく北京で開いたコンサートで、中国ロックに対する政治的な解釈が変化したということを如実に示すものである。崔健の今までの行動が政府によって認められた結果である。11月4日、西蔵(チベット)自治区拉薩の雪堆音楽酒[ロ巴]でライブを行った。チベットでのロックライブは非常に珍しいことである。11月11日、韓国釜山の釜山社稷体育館で行われた“第二届亜洲音楽盛典”に参加した。 | ||
+ | 2006年1月6日、北京21世紀劇院で行われた“2005網絡・娯楽・英雄会 TOM在線栄耀盛典頒奨典礼”に参加し、曲を演奏したほか、2005最具演唱会実力歌手奨(2005年最もコンサートで実力を備えている歌手賞)を獲得した。1月10日、初の短編映画作品『修復処女膜時代』がネット配信された。4月8日、上海の上海大舞台で行われたThe Rolling Stonesのコンサートにゲスト出演した。5月9日、新豪運酒[ロ巴]で行われた“記念中国揺滾20周年曁《一無所有》誕生20周年(1986-2006)”ライブに参加した。5月24日、香港のHARD ROCK CAFEでライブを行った。6月16-18日、瀋陽の火車頭体育館で行われた“記念中国揺滾20年”コンサートに参加した。7月15日、星光現場音楽庁のこけら落としライブを務めた。このライブは翌年、DVD化された。7月21日、深[土川]の世界之窗で行われた“昨天-今天--南中国揺滾音楽節”に参加した。7月29日、深[土川]の深[土川]体育館で行われた“昌報5周年慶曁民謡盛典”に参加した。10月4日、広東省増城市増城広場で行われた“首届中国(増城)揺滾&[口卑]酒狂歓節曁第五届新塘国際牛仔服装節”に参加した。 | ||
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+ | 2007年3月26日、星光現場音楽庁で行われたBob Marleyの子・Ziggy Marleyのライブにゲスト出演した。4月23日、星光現場音楽庁で行われたSonic Youthのライブにゲスト出演した。6月22日、青島の頤中体育場で行われた“MOTOROKR音楽会”に参加した。6月24日、成都の龍泉陽光体育城で行われた“MOTOROCKR音楽会”に参加した。7月4日、瀋陽の瀋陽新奥体中心で行われた“国際女子足球四国邀請賽開幕式”に出場した。7月8日、台湾で行われた“第八届台湾貢寮海洋音楽祭”に参加した。7月28日、湖南省岳陽で行われた“銀沙灘音楽節”に参加した。9月9日、北京朝陽公園で行われた“2007北京流行音楽節”揺滾中国舞台に参加した。10月4日、雲南省麗江の束河三朶広場で行われた“麗江雪山音楽節”に参加した。10月6日、韓国の“韓国ソウル芸術節”に参加した。10月7日、上海の同楽坊で行われた“NOTCH07 上海站”に参加した。 | ||
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+ | 2008年1月5日、北京工人体育館で“時代的晩上”コンサートを開いた。この時は、音楽の中にサンバのリズムを取り入れていた。4月26日、成都の四川省体育館でコンサートを開いた。5月3・4日、アメリカでコンサートを開いた。5月22日、星光現場音楽庁で行われた超越那一天”[シ文]川大地震被災者チャリティライブに参加した。7月25日、ポルトガルのシネスで行われた“FMM Sines音楽節”に参加した。9月12日、奥運広場で子曰秋野楽隊と共にライブを行った。9月29日、重慶市大足県龍水湖で行われた“龍水湖畔 国際露営音楽節”に参加した。10月5日、杭州の銭江新城市民中心南広場で行われた“2008杭州首届銭江新城国際音楽節”に参加した。10月22日、南寧で行われた“第五届中国一東盟博覧会曁第十届南寧国際民歌芸術節開幕晩会”に参加した。10月26日、上海の上海大寧国際商業広場で行われた“第十届中国上海国際芸術節”に出演した。 | ||
+ | |||
+ | 2009年2月7日、海南省三亜で行われた“梅賽徳斯 - 奔馳”群英会に参加した。5月1日、江蘇省鎮江の優山美地空置区域内で行われた迷笛音楽節に参加した。7月26日、内モンゴル自治区呼和浩特市の蒙古風情園万畝草原で行われた“第二届緑色旗幟草原音楽節”総合舞台に出演した。8月15日、寧夏回族自治区銀川市の覧山劇場で行われた“中国揺滾音楽20年経典回顧銀川演唱会”に参加した。9月19日、スペインのマドリードのSALA HEINEKEN1音楽庁で、9月23日、バルセロナのPlaca Reialでコンサートを行った。10月18日、上海の浦東世紀公園で行われた“2009爵士上海音楽節”揺滾&民謡舞台に参加した。10月24日、山東省烟台の烟台大劇院でコンサートを皮切りに、“新長征路上的揺滾V21”コンサートツアーを開始した。10月26日、江蘇省常州の常州大劇院でコンサートを行った。10月29日、広東省恵州の恵州市文化芸術中心でコンサートを行った。10月31日、深[土川]の深[土川]保利劇院でコンサートを行った。11月2日、東莞の玉蘭大劇院でコンサートを行った。11月5日、武漢の琴台大劇院でコンサートを行った。11月7日、鄭州の河南芸術中心大劇院でコンサートを行った。12月4日、台湾台北市の伝でライブを行った。12月24日、北京展覧館でコンサートを行った。 | ||
+ | |||
+ | 2010年5月7日、日本の埼玉県川口市のリリアメインホールで15年振りの来日コンサートを行った。この時、元メンバーの甘利匡輔(G)が「快譲我在這雪地上撒点児野」の演奏にゲスト参加した。 | ||
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+ | 過去のアルバムを1つにしたアルバムBOXが発売となる予定である。 | ||
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+ | == ディスコグラフィー == | ||
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+ | === スタジオ・アルバム === | ||
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+ | *'''[[当代欧美流行爵士DISCO(崔健)|当代欧美流行爵士DISCO]]'''(1985年) | ||
+ | *'''[[浪子帰(崔健)|浪子帰]]'''(1986年) | ||
+ | *'''[[新長征路上的揺滾(崔健)|新長征路上的揺滾]]'''(1989年) | ||
+ | *'''[[一無所有(崔健)|一無所有]]'''(1989年) | ||
+ | *'''[[解決(崔健)|解決]]'''(1991年2月) | ||
+ | *'''[[紅旗下的蛋(崔健)|紅旗下的蛋]]'''(1994年8月) | ||
+ | *'''[[一無所有(韓国盤)(崔健)|一無所有]]'''(1997年) | ||
+ | *'''[[無能的力量(崔健)|無能的力量]]'''(1998年4月) | ||
+ | *'''[[給你一点顔色(崔健)|給你一点顔色]]'''(2005年3月) | ||
+ | |||
+ | === ライブ・アルバム === | ||
+ | |||
+ | *'''[[北京崔健演唱会(崔健)|北京崔健演唱会]]'''(1993年) | ||
+ | |||
+ | === コンセプト・アルバム === | ||
+ | |||
+ | *'''[[’85回顧(崔健)|’85回顧]]'''(1994年) | ||
+ | |||
+ | === ベスト・アルバム === | ||
+ | |||
+ | *'''[[1986-96 珍蔵版(崔健)|1986-96 珍蔵版]]'''(1996年) | ||
+ | |||
+ | === 映像作品 === | ||
+ | |||
+ | *'''[[崔健演唱会(崔健)|崔健演唱会]]'''(1997年) | ||
+ | *'''[[崔健中国揺滾演唱会(崔健)|崔健中国揺滾演唱会]]'''(2000年) | ||
+ | *'''[[人物:崔健(崔健)|人物:崔健]]'''(2006年1月) | ||
+ | *'''[[音楽現場運動(崔健)|音楽現場運動]]'''(2007年11月) | ||
+ | |||
+ | === スプリット・アルバム === | ||
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+ | *王虹・崔健'''[[王虹☆崔健(王虹・崔健)|王虹☆崔健]]'''(1990年) | ||
+ | |||
=== ソロ発表曲 === | === ソロ発表曲 === | ||
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*[[喜瑪拉雅之夏音楽節/2011年9月2日|2011年9月2日 上海市 証大喜瑪拉雅中心 喜瑪拉雅之夏音楽節]] | *[[喜瑪拉雅之夏音楽節/2011年9月2日|2011年9月2日 上海市 証大喜瑪拉雅中心 喜瑪拉雅之夏音楽節]] | ||
+ | 中国ロックの第一人者。 | ||
+ | 朝鮮族。1961年に生まれる。父親は、トランペット奏者で、母親は朝鮮族舞踏団と、音楽に関する家庭で育つ。1975年、父親からトランペットを教わる。1978年から北京交響楽団のトランペット奏者となる。1981年、北京歌舞団のトランペット奏者となる。この頃、外国から来た留学生と旅行者が持って来ていた洋楽のカセットを聴き始め、それからロックを好きになり、ギターを勉強しながら、歌を歌い始めた。 | ||
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+ | 1984年11月、七合板楽隊を結成する。この時はまだオリジナル曲が無く、洋楽のカバーを歌っていただけであった。そこで、多くの洋楽を聴いた経験を生かして、オリジナル曲を製作した。最初の作品は「不是我不明白」。1985年6月、七合板楽隊は解散してしまった。 | ||
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+ | 1986年5月、国際和平年の音楽会“全国第一届百名歌星演唱会(100名スターコンサート)”上で、壊れたギターを抱え、ジーンズの両足の長さが揃っていないような、小汚い格好で舞台に上がり、「一無所有」を歌った。彼を見た観衆は最初何事かと思っていたが、この曲を聴いた瞬間、いままでの中国音楽には無かった、新しいリズム・歌詞に震え上がった。のち、このコンサートで歌った崔健の「一無所有」こそが、中国ロックの幕開けだと言われるようになる。 | ||
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+ | 2004年10月21日、新天地ARKで行われたライブより | ||
+ | (撮影:YIREN) | ||
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+ | 1987年5月、北京交響楽団を辞め、ADO楽隊との活動を始める。1988年1月、北京中山音楽堂で初めてのソロコンサートを開く。同年、ソウルオリンピック前夜祭特別番組の世界中継のテレビの中で、「一無所有」を歌う。1989年2月、1stアルバム『新長征路上的揺滾』を発売する。3月、北京展覧館で“新長征路上的揺滾”コンサートを開く。また、イギリス・ロンドンの“アジア流行音楽祭”に参加。4月には、ADO楽隊とともにフランス・パリの“布爾日之春”アートフェスティバルに参加した。1990年1月28日、北京工人体育館でアジア大会の資金収拾を目的とした“従頭再来”ソロコンサートを開く。3月からは、“新長征路上的揺滾”ツアーを開始した。途中で中止にさせられたが、1993年の夏まで、2年ほど全国を回り、大陸中が崔健に注目するようになった。 | ||
+ | 1991年2月、2ndアルバム『解決』を発売した。この時は、ADO楽隊との活動は辞めていた。 | ||
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+ | 1992年、『解決』に収録の「快譲我在這雪地上撒点児野」のMVが、MTVの“VIDEO MUSIC AWARD 1991 MTV ASIAVIEWERS CHOICE AWARD CUI JIAN "WILD IN THE SHOW"”(最も観衆に好まれたアジア歌手賞)に輝く。7月には、日本の神奈川県・横須賀で行われた“ぴあ20周年記念コンサート”に参加した。12月28‐30日には、癌基金のために、北京展覧劇場でコンサートを開いた。 | ||
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+ | 1999年前後の崔健 | ||
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+ | 1993年、映画『北京雑種(北京バスターズ)』に出演した。また、映画音楽を手がける。2月には、ドイツ・ベルリンで行われた“中国前衛文化月間”に参加した。4月には、日本の“たまライフ21”イベントに参加した。 | ||
+ | 1994年、“福岡アジア映画祭”のゲストとして参加する。8月には、3rdアルバム『紅旗下的蛋』を発売した。世界で発売となる。このアルバム製作の時に結成した紅旗下的蛋楽隊を率いて、9月にはアメリカ・シアトルで開かれた“Bumbershoot音楽祭”に出演した。10月下旬には、日本の東京・大阪・福岡・京都でコンサートを行った。 | ||
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+ | 1995年8月には、アメリカでツアーを行い、サンフランシスコ・ニューヨーク・ボストンなどを巡演する。アメリカソロツアーは、中国人アーティストとして初めてで、計6回ほどライブを行った。9月、日本の東京(NISSIN POWER STATION・東京武道館)と大阪(FESTIVAL HALLで2DAYS)でライブを行う。同年末、香港伊麗沙白体育館で2回ほどソロコンサートを開き、成功を収める。 | ||
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+ | 1996年6月には、デンマークで行われた世界最大のロックフェスティバル“Roskilde音楽祭”に参加したほか、国内で多くのコンサートを開く。 | ||
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+ | 1997年、子曰楽隊のアルバムプロデュースを手がけた。 | ||
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+ | 1989年3月、天安門広場で劉元(左)と共に | ||
+ | (写真:北京音楽台) | ||
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+ | 1998年4月18日、河北省石家庄の裕[丹彡]国際体育中心でライブを行った。5月、4thアルバム『無能的力量』を発売する。 | ||
+ | 1999年、アメリカのシアトル、ロサンゼルス、ボストン、ニューヨーク、ダラス、アトランタでコンサートを開き、アメリカ人・特に華僑の絶大な支持を得る。 | ||
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+ | 2000年3月には、北京普[シ来]文化芸術有限公司(PULAY MUSIC)とマネジメント契約を交わした。10月8日には、北京工人体育場で行われた原創反盗維権大型演唱会に参加し、「飛了」を歌った。崔健にとって北京の大舞台でのコンサートは、1992年以来の事であった。12月2日には、オランダ駐中大使からクラウス王賞を受賞した。 | ||
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+ | 崔健は、中国ロックを初めて公の場で演奏し、国内で初めてロックのソロアルバムを発売した人物である。1stアルバムを発売してから10年以上が経過した今でも、未だに人気が衰えない、中国ロックの顔でもある。彼の人気が未だに衰えない理由は、各アルバム毎にスタイルが変化していること、意味深な歌詞でいつも話題に上がることなどがある。歌詞の解釈は人それぞれであるが、けっして西洋諸国でイメージされているような反体制ロッカーではないと思われる。彼が1stアルバムに収録した「新長征路上的揺滾」は、共産党の長征を茶化したとして、政府の眼に止まることとなってしまったが、現在の中国を愛しているからこそ、その偉大な英雄達の長征を自分流にアレンジして歌ったのである。近年、北京でも大々的にロックコンサートが開かれるようになったが、彼の大型ソロコンサートは1991年以来開かれていない。彼の大型コンサートが北京で開けるようになってこそ、中国ロックは新たな時代へ突き進むであろう。 | ||
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+ | 1990年前後、天安門広場にて | ||
+ | (写真:北京音楽台) | ||
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+ | 2001年1月16日から18日には、香港の葵青劇院で香港城市当代舞踏団とともに現代音楽舞劇“給[イ尓]一点紅色”を公演し、成功を収めた。1月から2月にかけては、フランスのパリ・オランダのアムステルダム、スイスのチューリッヒでコンサートを行う。7月には、イタリア・フランス・ドイツ・スイスでコンサートを開いた。同年、映画『我的兄弟姐妹』に出演し、話題を呼んだ。12月16・17・18日には、深[土川]で行われた第1回深[土川]揺滾音楽節に参加した。 | ||
+ | 2002年2月5日、吉林省の延吉市へ行き、延辺電視台(テレビ局)の春節晩会に出演した。わざわざ延吉まで行くのは、朝鮮族が最も多い延吉でとても人気があるためであった。2月14・15日には、天津の天津市体育中心で行われた“何夫人潤徳[ロ卑]酒狂歓夜”コンサートに出演した。3月2日には、韓国のソウルでライブを行った。3月9日には、アメリカ・ニューヨークの太平洋城でライブを行った。6月2日には、韓国で行われた釜山ロックフェスティバルに出演した。8月7日、CD CAFEで真唱運動の開始を宣言した。8月17・18日、雲南省麗江の玉龍雪山甘海子で行われた“麗江雪山音楽節”のアートディレクターを務めたほか、自らライブを行った。 | ||
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+ | 2003年1月18日、シンガポールで真唱運動演唱会を開いた。4月4日、北京工人体育館で行われるRolling Stonesのコンサートで前座を務める予定であったが、SARSにより延期になってしまう。8月7日、北京汽車電影院で真唱運動一周年活動を行った。8月8日、天津の天津遊楽場で行われた“天津第四届[ロ卑]酒節”の初日に真唱運動コンサートを行った。9月13日、上海の南京路世紀広場で行われた“上海旅遊節開幕大狂歓”野外コンサートに出演した。9月17日、北京の仁倶楽部で、9月19日には、上海の新天地ARKで行われた“聯動之声・音楽之夜”音楽連誼会に参加し、ドイツの歌手・UDO LINDENBERGと共演した。11月27日、仁倶楽部で行われた“理想不倒,向音楽致敬!”ライブに、一時的に再結成した七合板楽隊の一員として参加した。12月31日、広州市の時代[王攵]瑰園で行われた“時代的晩上---広州・中国新年揺滾音楽節”に出演した。 | ||
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+ | 2003年9月19日、上海の新天地ARKでのライブより | ||
+ | (撮影:YIREN) | ||
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+ | 2004年1月16日、北京首都体育館で行われた伍佰のコンサートにゲストとして出演した。北京での大型コンサートに出演という事で、大きな話題となった。2月、ドイツで10日間のツアーを行った。2月27・28日には上海の美琪大戯院で、3月4・5日は、北京の北展劇場で、ドイツの歌手・UDO LINDENBERGが開いたマルチメディア音楽劇“大西洋故事”に出演した。3月31日には北京の北京工人体育館で、4月2日には、上海の上海大舞台で、4月4日には、広州の広州天河体育館で、「深紫 VS 崔健」と題するツアーを開き、Deep Purpleと共演した。4月、アメリカツアーを行った。5月15日、遼寧省瀋陽市の遼寧老龍口体育館でコンサートを行った。8月6日、北京市楓花園汽車電影院で“真唱運動二周年記念活動”を行った。8月8日、寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山の麓で行われた“中国揺滾的光輝道路”大型音楽節に出演し、最終日のトリを務めた。9月21日、上海の新天地ARKで行われたWarwickギターのイベントに参加し、アメリカ人ギターリスト・George Lynchを従えながらライブを行った。10月、国連和平音楽大賞を獲得し、中国のロックミュージシャンとして貴重な国際的な賞を獲得した。12月31日、旅遊衛視(テレビ)の番組「衛視先鋒」で、2004年12月10日に北京の新豪運酒[ロ巴]で行った単独ライブの様子が放映された。 | ||
+ | 2004年10月21日、新天地ARKで行われたライブより | ||
+ | Eddie(G)・劉[王月](B)以外はGeorge Lynch(G)やドイツ人ドラマーが参加するなど、通常の崔健楽隊とは異なる、特別編成であった | ||
+ | (撮影:YIREN) | ||
+ | |||
+ | 2005年1月13日、北京糖果娯楽空間で行われた“Radio Aid--HIT FM88.7印度洋海嘯賑災義演(スマトラ島沖大地震チャリティーコンサート)”に参加した。3月、5thアルバム『給[イ尓]一点顔色』が発売となった。6月3日、武漢の武漢洪山体育館でコンサートを行った。7月1日、北京工人体育場で行われた“和平的天空-記念世界反法西斯戦争勝利60周年大型演唱会”に参加した。7月16日、雲南省昆明で行われた“時尚風暴-世博節拍”コンサートに参加した。7月29日、広西チワン族自治区北海の銀灘広場で行われた“北海国際海灘旅遊文化節”に参加した。7月31日、内モンゴル自治区四子王旗格根塔拉草原で行われた“2005内蒙古・格根塔拉草原狂歓節”に参加した。同月、崔健が過去に発表した曲をカバーしたトリビュートアルバム『誰是崔健!?』が発売となった。8月6日、北京楓花園汽車電影院で“真唱運動三周年記念”ライブを行い、真唱運動を終了した。8月31日、新豪運酒[ロ巴]で行われた“除旧迎新--為仮唱送終”ライブに登場し、『営業性演出管理条例』の中の「仮唱」に関する法律施行を祝った。9月24日、北京首都体育館で“陽光下的夢”コンサートを開いた。10年以上の歳月を経て、崔健がようやく北京で開いたコンサートで、中国ロックに対する政治的な解釈が変化したということを如実に示すものである。崔健の今までの行動が政府によって認められた結果である。11月4日、西蔵(チベット)自治区拉薩の雪堆音楽酒[ロ巴]でライブを行った。チベットでのロックライブは非常に珍しいことである。11月11日、韓国釜山の釜山社稷体育館で行われた“第二届亜洲音楽盛典”に参加した。 | ||
+ | 2006年1月6日、北京21世紀劇院で行われた“2005網絡・娯楽・英雄会 TOM在線栄耀盛典頒奨典礼”に参加し、曲を演奏したほか、2005最具演唱会実力歌手奨(2005年最もコンサートで実力を備えている歌手賞)を獲得した。1月10日、初の短編映画作品『修復処女膜時代』がネット配信された。4月8日、上海の上海大舞台で行われたThe Rolling Stonesのコンサートにゲスト出演した。5月9日、新豪運酒[ロ巴]で行われた“記念中国揺滾20周年曁《一無所有》誕生20周年(1986-2006)”ライブに参加した。5月24日、香港のHARD ROCK CAFEでライブを行った。6月16-18日、瀋陽の火車頭体育館で行われた“記念中国揺滾20年”コンサートに参加した。7月15日、星光現場音楽庁のこけら落としライブを務めた。このライブは翌年、DVD化された。7月21日、深[土川]の世界之窗で行われた“昨天-今天--南中国揺滾音楽節”に参加した。7月29日、深[土川]の深[土川]体育館で行われた“昌報5周年慶曁民謡盛典”に参加した。10月4日、広東省増城市増城広場で行われた“首届中国(増城)揺滾&[口卑]酒狂歓節曁第五届新塘国際牛仔服装節”に参加した。 | ||
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+ | 2007年3月26日、星光現場音楽庁で行われたBob Marleyの子・Ziggy Marleyのライブにゲスト出演した。4月23日、星光現場音楽庁で行われたSonic Youthのライブにゲスト出演した。6月22日、青島の頤中体育場で行われた“MOTOROKR音楽会”に参加した。6月24日、成都の龍泉陽光体育城で行われた“MOTOROCKR音楽会”に参加した。7月4日、瀋陽の瀋陽新奥体中心で行われた“国際女子足球四国邀請賽開幕式”に出場した。7月8日、台湾で行われた“第八届台湾貢寮海洋音楽祭”に参加した。7月28日、湖南省岳陽で行われた“銀沙灘音楽節”に参加した。9月9日、北京朝陽公園で行われた“2007北京流行音楽節”揺滾中国舞台に参加した。10月4日、雲南省麗江の束河三朶広場で行われた“麗江雪山音楽節”に参加した。10月6日、韓国の“韓国ソウル芸術節”に参加した。10月7日、上海の同楽坊で行われた“NOTCH07 上海站”に参加した。 | ||
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+ | 2008年1月5日、北京工人体育館で“時代的晩上”コンサートを開いた。この時は、音楽の中にサンバのリズムを取り入れていた。4月26日、成都の四川省体育館でコンサートを開いた。5月3・4日、アメリカでコンサートを開いた。5月22日、星光現場音楽庁で行われた超越那一天”[シ文]川大地震被災者チャリティライブに参加した。7月25日、ポルトガルのシネスで行われた“FMM Sines音楽節”に参加した。9月12日、奥運広場で子曰秋野楽隊と共にライブを行った。9月29日、重慶市大足県龍水湖で行われた“龍水湖畔 国際露営音楽節”に参加した。10月5日、杭州の銭江新城市民中心南広場で行われた“2008杭州首届銭江新城国際音楽節”に参加した。10月22日、南寧で行われた“第五届中国一東盟博覧会曁第十届南寧国際民歌芸術節開幕晩会”に参加した。10月26日、上海の上海大寧国際商業広場で行われた“第十届中国上海国際芸術節”に出演した。 | ||
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+ | 2009年2月7日、海南省三亜で行われた“梅賽徳斯 - 奔馳”群英会に参加した。5月1日、江蘇省鎮江の優山美地空置区域内で行われた迷笛音楽節に参加した。7月26日、内モンゴル自治区呼和浩特市の蒙古風情園万畝草原で行われた“第二届緑色旗幟草原音楽節”総合舞台に出演した。8月15日、寧夏回族自治区銀川市の覧山劇場で行われた“中国揺滾音楽20年経典回顧銀川演唱会”に参加した。9月19日、スペインのマドリードのSALA HEINEKEN1音楽庁で、9月23日、バルセロナのPlaca Reialでコンサートを行った。10月18日、上海の浦東世紀公園で行われた“2009爵士上海音楽節”揺滾&民謡舞台に参加した。10月24日、山東省烟台の烟台大劇院でコンサートを皮切りに、“新長征路上的揺滾V21”コンサートツアーを開始した。10月26日、江蘇省常州の常州大劇院でコンサートを行った。10月29日、広東省恵州の恵州市文化芸術中心でコンサートを行った。10月31日、深[土川]の深[土川]保利劇院でコンサートを行った。11月2日、東莞の玉蘭大劇院でコンサートを行った。11月5日、武漢の琴台大劇院でコンサートを行った。11月7日、鄭州の河南芸術中心大劇院でコンサートを行った。12月4日、台湾台北市の伝でライブを行った。12月24日、北京展覧館でコンサートを行った。 | ||
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+ | 2010年5月7日、日本の埼玉県川口市のリリアメインホールで15年振りの来日コンサートを行った。この時、元メンバーの甘利匡輔(G)が「快譲我在這雪地上撒点児野」の演奏にゲスト参加した。 | ||
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+ | 過去のアルバムを1つにしたアルバムBOXが発売となる予定である。 | ||
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2011年9月18日 (日) 17:20時点における版
基本情報 | |
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出身地 | [[]][[]] |
メンバー |
|
メンバー
過去に在籍したメンバー
サポートメンバー
経歴
中国ロックの第一人者。 朝鮮族。1961年に生まれる。父親は、トランペット奏者で、母親は朝鮮族舞踏団と、音楽に関する家庭で育つ。1975年、父親からトランペットを教わる。1978年から北京交響楽団のトランペット奏者となる。1981年、北京歌舞団のトランペット奏者となる。この頃、外国から来た留学生と旅行者が持って来ていた洋楽のカセットを聴き始め、それからロックを好きになり、ギターを勉強しながら、歌を歌い始めた。
1984年11月、七合板楽隊を結成する。この時はまだオリジナル曲が無く、洋楽のカバーを歌っていただけであった。そこで、多くの洋楽を聴いた経験を生かして、オリジナル曲を製作した。最初の作品は「不是我不明白」。1985年6月、七合板楽隊は解散してしまった。
1986年5月、国際和平年の音楽会“全国第一届百名歌星演唱会(100名スターコンサート)”上で、壊れたギターを抱え、ジーンズの両足の長さが揃っていないような、小汚い格好で舞台に上がり、「一無所有」を歌った。彼を見た観衆は最初何事かと思っていたが、この曲を聴いた瞬間、いままでの中国音楽には無かった、新しいリズム・歌詞に震え上がった。のち、このコンサートで歌った崔健の「一無所有」こそが、中国ロックの幕開けだと言われるようになる。
2004年10月21日、新天地ARKで行われたライブより
(撮影:YIREN)
1987年5月、北京交響楽団を辞め、ADO楽隊との活動を始める。1988年1月、北京中山音楽堂で初めてのソロコンサートを開く。同年、ソウルオリンピック前夜祭特別番組の世界中継のテレビの中で、「一無所有」を歌う。1989年2月、1stアルバム『新長征路上的揺滾』を発売する。3月、北京展覧館で“新長征路上的揺滾”コンサートを開く。また、イギリス・ロンドンの“アジア流行音楽祭”に参加。4月には、ADO楽隊とともにフランス・パリの“布爾日之春”アートフェスティバルに参加した。1990年1月28日、北京工人体育館でアジア大会の資金収拾を目的とした“従頭再来”ソロコンサートを開く。3月からは、“新長征路上的揺滾”ツアーを開始した。途中で中止にさせられたが、1993年の夏まで、2年ほど全国を回り、大陸中が崔健に注目するようになった。
1991年2月、2ndアルバム『解決』を発売した。この時は、ADO楽隊との活動は辞めていた。
1992年、『解決』に収録の「快譲我在這雪地上撒点児野」のMVが、MTVの“VIDEO MUSIC AWARD 1991 MTV ASIAVIEWERS CHOICE AWARD CUI JIAN "WILD IN THE SHOW"”(最も観衆に好まれたアジア歌手賞)に輝く。7月には、日本の神奈川県・横須賀で行われた“ぴあ20周年記念コンサート”に参加した。12月28‐30日には、癌基金のために、北京展覧劇場でコンサートを開いた。
1999年前後の崔健
1993年、映画『北京雑種(北京バスターズ)』に出演した。また、映画音楽を手がける。2月には、ドイツ・ベルリンで行われた“中国前衛文化月間”に参加した。4月には、日本の“たまライフ21”イベントに参加した。 1994年、“福岡アジア映画祭”のゲストとして参加する。8月には、3rdアルバム『紅旗下的蛋』を発売した。世界で発売となる。このアルバム製作の時に結成した紅旗下的蛋楽隊を率いて、9月にはアメリカ・シアトルで開かれた“Bumbershoot音楽祭”に出演した。10月下旬には、日本の東京・大阪・福岡・京都でコンサートを行った。
1995年8月には、アメリカでツアーを行い、サンフランシスコ・ニューヨーク・ボストンなどを巡演する。アメリカソロツアーは、中国人アーティストとして初めてで、計6回ほどライブを行った。9月、日本の東京(NISSIN POWER STATION・東京武道館)と大阪(FESTIVAL HALLで2DAYS)でライブを行う。同年末、香港伊麗沙白体育館で2回ほどソロコンサートを開き、成功を収める。
1996年6月には、デンマークで行われた世界最大のロックフェスティバル“Roskilde音楽祭”に参加したほか、国内で多くのコンサートを開く。
1997年、子曰楽隊のアルバムプロデュースを手がけた。
1989年3月、天安門広場で劉元(左)と共に (写真:北京音楽台)
1998年4月18日、河北省石家庄の裕[丹彡]国際体育中心でライブを行った。5月、4thアルバム『無能的力量』を発売する。
1999年、アメリカのシアトル、ロサンゼルス、ボストン、ニューヨーク、ダラス、アトランタでコンサートを開き、アメリカ人・特に華僑の絶大な支持を得る。
2000年3月には、北京普[シ来]文化芸術有限公司(PULAY MUSIC)とマネジメント契約を交わした。10月8日には、北京工人体育場で行われた原創反盗維権大型演唱会に参加し、「飛了」を歌った。崔健にとって北京の大舞台でのコンサートは、1992年以来の事であった。12月2日には、オランダ駐中大使からクラウス王賞を受賞した。
崔健は、中国ロックを初めて公の場で演奏し、国内で初めてロックのソロアルバムを発売した人物である。1stアルバムを発売してから10年以上が経過した今でも、未だに人気が衰えない、中国ロックの顔でもある。彼の人気が未だに衰えない理由は、各アルバム毎にスタイルが変化していること、意味深な歌詞でいつも話題に上がることなどがある。歌詞の解釈は人それぞれであるが、けっして西洋諸国でイメージされているような反体制ロッカーではないと思われる。彼が1stアルバムに収録した「新長征路上的揺滾」は、共産党の長征を茶化したとして、政府の眼に止まることとなってしまったが、現在の中国を愛しているからこそ、その偉大な英雄達の長征を自分流にアレンジして歌ったのである。近年、北京でも大々的にロックコンサートが開かれるようになったが、彼の大型ソロコンサートは1991年以来開かれていない。彼の大型コンサートが北京で開けるようになってこそ、中国ロックは新たな時代へ突き進むであろう。
1990年前後、天安門広場にて (写真:北京音楽台)
2001年1月16日から18日には、香港の葵青劇院で香港城市当代舞踏団とともに現代音楽舞劇“給[イ尓]一点紅色”を公演し、成功を収めた。1月から2月にかけては、フランスのパリ・オランダのアムステルダム、スイスのチューリッヒでコンサートを行う。7月には、イタリア・フランス・ドイツ・スイスでコンサートを開いた。同年、映画『我的兄弟姐妹』に出演し、話題を呼んだ。12月16・17・18日には、深[土川]で行われた第1回深[土川]揺滾音楽節に参加した。 2002年2月5日、吉林省の延吉市へ行き、延辺電視台(テレビ局)の春節晩会に出演した。わざわざ延吉まで行くのは、朝鮮族が最も多い延吉でとても人気があるためであった。2月14・15日には、天津の天津市体育中心で行われた“何夫人潤徳[ロ卑]酒狂歓夜”コンサートに出演した。3月2日には、韓国のソウルでライブを行った。3月9日には、アメリカ・ニューヨークの太平洋城でライブを行った。6月2日には、韓国で行われた釜山ロックフェスティバルに出演した。8月7日、CD CAFEで真唱運動の開始を宣言した。8月17・18日、雲南省麗江の玉龍雪山甘海子で行われた“麗江雪山音楽節”のアートディレクターを務めたほか、自らライブを行った。
2003年1月18日、シンガポールで真唱運動演唱会を開いた。4月4日、北京工人体育館で行われるRolling Stonesのコンサートで前座を務める予定であったが、SARSにより延期になってしまう。8月7日、北京汽車電影院で真唱運動一周年活動を行った。8月8日、天津の天津遊楽場で行われた“天津第四届[ロ卑]酒節”の初日に真唱運動コンサートを行った。9月13日、上海の南京路世紀広場で行われた“上海旅遊節開幕大狂歓”野外コンサートに出演した。9月17日、北京の仁倶楽部で、9月19日には、上海の新天地ARKで行われた“聯動之声・音楽之夜”音楽連誼会に参加し、ドイツの歌手・UDO LINDENBERGと共演した。11月27日、仁倶楽部で行われた“理想不倒,向音楽致敬!”ライブに、一時的に再結成した七合板楽隊の一員として参加した。12月31日、広州市の時代[王攵]瑰園で行われた“時代的晩上---広州・中国新年揺滾音楽節”に出演した。
2003年9月19日、上海の新天地ARKでのライブより (撮影:YIREN)
2004年1月16日、北京首都体育館で行われた伍佰のコンサートにゲストとして出演した。北京での大型コンサートに出演という事で、大きな話題となった。2月、ドイツで10日間のツアーを行った。2月27・28日には上海の美琪大戯院で、3月4・5日は、北京の北展劇場で、ドイツの歌手・UDO LINDENBERGが開いたマルチメディア音楽劇“大西洋故事”に出演した。3月31日には北京の北京工人体育館で、4月2日には、上海の上海大舞台で、4月4日には、広州の広州天河体育館で、「深紫 VS 崔健」と題するツアーを開き、Deep Purpleと共演した。4月、アメリカツアーを行った。5月15日、遼寧省瀋陽市の遼寧老龍口体育館でコンサートを行った。8月6日、北京市楓花園汽車電影院で“真唱運動二周年記念活動”を行った。8月8日、寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山の麓で行われた“中国揺滾的光輝道路”大型音楽節に出演し、最終日のトリを務めた。9月21日、上海の新天地ARKで行われたWarwickギターのイベントに参加し、アメリカ人ギターリスト・George Lynchを従えながらライブを行った。10月、国連和平音楽大賞を獲得し、中国のロックミュージシャンとして貴重な国際的な賞を獲得した。12月31日、旅遊衛視(テレビ)の番組「衛視先鋒」で、2004年12月10日に北京の新豪運酒[ロ巴]で行った単独ライブの様子が放映された。
2004年10月21日、新天地ARKで行われたライブより Eddie(G)・劉[王月](B)以外はGeorge Lynch(G)やドイツ人ドラマーが参加するなど、通常の崔健楽隊とは異なる、特別編成であった (撮影:YIREN)
2005年1月13日、北京糖果娯楽空間で行われた“Radio Aid--HIT FM88.7印度洋海嘯賑災義演(スマトラ島沖大地震チャリティーコンサート)”に参加した。3月、5thアルバム『給[イ尓]一点顔色』が発売となった。6月3日、武漢の武漢洪山体育館でコンサートを行った。7月1日、北京工人体育場で行われた“和平的天空-記念世界反法西斯戦争勝利60周年大型演唱会”に参加した。7月16日、雲南省昆明で行われた“時尚風暴-世博節拍”コンサートに参加した。7月29日、広西チワン族自治区北海の銀灘広場で行われた“北海国際海灘旅遊文化節”に参加した。7月31日、内モンゴル自治区四子王旗格根塔拉草原で行われた“2005内蒙古・格根塔拉草原狂歓節”に参加した。同月、崔健が過去に発表した曲をカバーしたトリビュートアルバム『誰是崔健!?』が発売となった。8月6日、北京楓花園汽車電影院で“真唱運動三周年記念”ライブを行い、真唱運動を終了した。8月31日、新豪運酒[ロ巴]で行われた“除旧迎新--為仮唱送終”ライブに登場し、『営業性演出管理条例』の中の「仮唱」に関する法律施行を祝った。9月24日、北京首都体育館で“陽光下的夢”コンサートを開いた。10年以上の歳月を経て、崔健がようやく北京で開いたコンサートで、中国ロックに対する政治的な解釈が変化したということを如実に示すものである。崔健の今までの行動が政府によって認められた結果である。11月4日、西蔵(チベット)自治区拉薩の雪堆音楽酒[ロ巴]でライブを行った。チベットでのロックライブは非常に珍しいことである。11月11日、韓国釜山の釜山社稷体育館で行われた“第二届亜洲音楽盛典”に参加した。 2006年1月6日、北京21世紀劇院で行われた“2005網絡・娯楽・英雄会 TOM在線栄耀盛典頒奨典礼”に参加し、曲を演奏したほか、2005最具演唱会実力歌手奨(2005年最もコンサートで実力を備えている歌手賞)を獲得した。1月10日、初の短編映画作品『修復処女膜時代』がネット配信された。4月8日、上海の上海大舞台で行われたThe Rolling Stonesのコンサートにゲスト出演した。5月9日、新豪運酒[ロ巴]で行われた“記念中国揺滾20周年曁《一無所有》誕生20周年(1986-2006)”ライブに参加した。5月24日、香港のHARD ROCK CAFEでライブを行った。6月16-18日、瀋陽の火車頭体育館で行われた“記念中国揺滾20年”コンサートに参加した。7月15日、星光現場音楽庁のこけら落としライブを務めた。このライブは翌年、DVD化された。7月21日、深[土川]の世界之窗で行われた“昨天-今天--南中国揺滾音楽節”に参加した。7月29日、深[土川]の深[土川]体育館で行われた“昌報5周年慶曁民謡盛典”に参加した。10月4日、広東省増城市増城広場で行われた“首届中国(増城)揺滾&[口卑]酒狂歓節曁第五届新塘国際牛仔服装節”に参加した。
2007年3月26日、星光現場音楽庁で行われたBob Marleyの子・Ziggy Marleyのライブにゲスト出演した。4月23日、星光現場音楽庁で行われたSonic Youthのライブにゲスト出演した。6月22日、青島の頤中体育場で行われた“MOTOROKR音楽会”に参加した。6月24日、成都の龍泉陽光体育城で行われた“MOTOROCKR音楽会”に参加した。7月4日、瀋陽の瀋陽新奥体中心で行われた“国際女子足球四国邀請賽開幕式”に出場した。7月8日、台湾で行われた“第八届台湾貢寮海洋音楽祭”に参加した。7月28日、湖南省岳陽で行われた“銀沙灘音楽節”に参加した。9月9日、北京朝陽公園で行われた“2007北京流行音楽節”揺滾中国舞台に参加した。10月4日、雲南省麗江の束河三朶広場で行われた“麗江雪山音楽節”に参加した。10月6日、韓国の“韓国ソウル芸術節”に参加した。10月7日、上海の同楽坊で行われた“NOTCH07 上海站”に参加した。
2008年1月5日、北京工人体育館で“時代的晩上”コンサートを開いた。この時は、音楽の中にサンバのリズムを取り入れていた。4月26日、成都の四川省体育館でコンサートを開いた。5月3・4日、アメリカでコンサートを開いた。5月22日、星光現場音楽庁で行われた超越那一天”[シ文]川大地震被災者チャリティライブに参加した。7月25日、ポルトガルのシネスで行われた“FMM Sines音楽節”に参加した。9月12日、奥運広場で子曰秋野楽隊と共にライブを行った。9月29日、重慶市大足県龍水湖で行われた“龍水湖畔 国際露営音楽節”に参加した。10月5日、杭州の銭江新城市民中心南広場で行われた“2008杭州首届銭江新城国際音楽節”に参加した。10月22日、南寧で行われた“第五届中国一東盟博覧会曁第十届南寧国際民歌芸術節開幕晩会”に参加した。10月26日、上海の上海大寧国際商業広場で行われた“第十届中国上海国際芸術節”に出演した。
2009年2月7日、海南省三亜で行われた“梅賽徳斯 - 奔馳”群英会に参加した。5月1日、江蘇省鎮江の優山美地空置区域内で行われた迷笛音楽節に参加した。7月26日、内モンゴル自治区呼和浩特市の蒙古風情園万畝草原で行われた“第二届緑色旗幟草原音楽節”総合舞台に出演した。8月15日、寧夏回族自治区銀川市の覧山劇場で行われた“中国揺滾音楽20年経典回顧銀川演唱会”に参加した。9月19日、スペインのマドリードのSALA HEINEKEN1音楽庁で、9月23日、バルセロナのPlaca Reialでコンサートを行った。10月18日、上海の浦東世紀公園で行われた“2009爵士上海音楽節”揺滾&民謡舞台に参加した。10月24日、山東省烟台の烟台大劇院でコンサートを皮切りに、“新長征路上的揺滾V21”コンサートツアーを開始した。10月26日、江蘇省常州の常州大劇院でコンサートを行った。10月29日、広東省恵州の恵州市文化芸術中心でコンサートを行った。10月31日、深[土川]の深[土川]保利劇院でコンサートを行った。11月2日、東莞の玉蘭大劇院でコンサートを行った。11月5日、武漢の琴台大劇院でコンサートを行った。11月7日、鄭州の河南芸術中心大劇院でコンサートを行った。12月4日、台湾台北市の伝でライブを行った。12月24日、北京展覧館でコンサートを行った。
2010年5月7日、日本の埼玉県川口市のリリアメインホールで15年振りの来日コンサートを行った。この時、元メンバーの甘利匡輔(G)が「快譲我在這雪地上撒点児野」の演奏にゲスト参加した。
過去のアルバムを1つにしたアルバムBOXが発売となる予定である。
ディスコグラフィー
スタジオ・アルバム
- 当代欧美流行爵士DISCO(1985年)
- 浪子帰(1986年)
- 新長征路上的揺滾(1989年)
- 一無所有(1989年)
- 解決(1991年2月)
- 紅旗下的蛋(1994年8月)
- 一無所有(1997年)
- 無能的力量(1998年4月)
- 給你一点顔色(2005年3月)
ライブ・アルバム
- 北京崔健演唱会(1993年)
コンセプト・アルバム
- ’85回顧(1994年)
ベスト・アルバム
- 1986-96 珍蔵版(1996年)
映像作品
スプリット・アルバム
- 王虹・崔健王虹☆崔健(1990年)
ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発表年 | 備考 |
---|---|---|---|
一只受伤的苍鹰 | 金木水火土 | 1988 |
参加アルバム
アーティスト・バンド名 | 曲名 | アルバム名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
---|
出演
媒体 | 曲名 | 収録ソフト名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
---|
主要なライブ・コンサート
- 1987年 北京市 国際流行歌曲歌唱大賽中国賽区選抜賽
- 1988年? 北京市 北京大学
- 1988年? 北京市 清華大学
- 1988年 北京市 北京中山公園音楽堂 このコンサートの後、1年以上も北京でのコンサートの許可が下りなかった
- 1989年3月 フランス 布日之春揺滾音楽節
- 1991年 香港 香港芸術学院伊莉莎白体育館
- 1998年8月29日 北京市 頤和体育広場 災区賑災義演
- 1998年 マレーシア 出演:崔健・唐朝楽隊・呼吸楽隊
- 1999年6月19日 河南省新郷市 新郷市体育中心足球場 新郷第二届揺滾音楽節
- 1999年12月 山東省青島市 青島体育場 ミレニアムナイトコンサート
- 2001年12月16・17・18日 広東省深圳市 第一届深圳揺滾音楽節
- 2001年12月24日 北京市 CD CAFE
- 2002年8月18日 雲南省麗江市 玉龍雪山甘海子 麗江雪山音楽節
- 2002年10月25日 上海市 音楽倉
- 2007年7月28日 湖南省岳陽市 臨湘银沙灘 銀沙灘音楽節
- 2009年8月15日 寧夏回族自治区銀川市 覧山劇場 水洞溝・中国揺滾音楽二十年経典回顧銀川演唱会
- 2010年5月7日 日本・埼玉県川口市 リリアメインホール 出演:崔健・痩人楽隊
- 2010年7月18日 江蘇省蘇州市相城区 活力島 蘇州・相城活力島音楽節
- 2010年8月14日 内モンゴル自治区鄂尓多斯市 成吉思汗陵音楽広場 鄂尓多斯国際那達慕音楽節
- 2010年8月27日 北京市 北京工人体育場 怒放揺滾英雄演唱会
- 2010年9月4日 遼寧省瀋陽市 棋盤山秀水湖 棋盤山秀湖揺滾音楽節
- 2010年12月24日 上海市 上海世界博覧会文化中心 许久未健--许巍&崔健2010上海圣诞演唱会
- 2011年4月30日 江蘇省南京市 浜江公園 盛放南京国際音楽節
- 2011年7月15日 遼寧省撫順市清原満族自治県 紅河大峡谷景区漂流尾点演芸広場 紅河大峡谷2011音楽季
- 2011年7月31日 河北省張家口市張北県 張北中都草原 張北草原音楽節
- 2011年8月4日 山東省日照市 奥林匹克水上公園太陽広場 2011海洋迷笛音楽節
- 2011年9月2日 上海市 証大喜瑪拉雅中心 喜瑪拉雅之夏音楽節
中国ロックの第一人者。 朝鮮族。1961年に生まれる。父親は、トランペット奏者で、母親は朝鮮族舞踏団と、音楽に関する家庭で育つ。1975年、父親からトランペットを教わる。1978年から北京交響楽団のトランペット奏者となる。1981年、北京歌舞団のトランペット奏者となる。この頃、外国から来た留学生と旅行者が持って来ていた洋楽のカセットを聴き始め、それからロックを好きになり、ギターを勉強しながら、歌を歌い始めた。
1984年11月、七合板楽隊を結成する。この時はまだオリジナル曲が無く、洋楽のカバーを歌っていただけであった。そこで、多くの洋楽を聴いた経験を生かして、オリジナル曲を製作した。最初の作品は「不是我不明白」。1985年6月、七合板楽隊は解散してしまった。
1986年5月、国際和平年の音楽会“全国第一届百名歌星演唱会(100名スターコンサート)”上で、壊れたギターを抱え、ジーンズの両足の長さが揃っていないような、小汚い格好で舞台に上がり、「一無所有」を歌った。彼を見た観衆は最初何事かと思っていたが、この曲を聴いた瞬間、いままでの中国音楽には無かった、新しいリズム・歌詞に震え上がった。のち、このコンサートで歌った崔健の「一無所有」こそが、中国ロックの幕開けだと言われるようになる。
2004年10月21日、新天地ARKで行われたライブより
(撮影:YIREN)
1987年5月、北京交響楽団を辞め、ADO楽隊との活動を始める。1988年1月、北京中山音楽堂で初めてのソロコンサートを開く。同年、ソウルオリンピック前夜祭特別番組の世界中継のテレビの中で、「一無所有」を歌う。1989年2月、1stアルバム『新長征路上的揺滾』を発売する。3月、北京展覧館で“新長征路上的揺滾”コンサートを開く。また、イギリス・ロンドンの“アジア流行音楽祭”に参加。4月には、ADO楽隊とともにフランス・パリの“布爾日之春”アートフェスティバルに参加した。1990年1月28日、北京工人体育館でアジア大会の資金収拾を目的とした“従頭再来”ソロコンサートを開く。3月からは、“新長征路上的揺滾”ツアーを開始した。途中で中止にさせられたが、1993年の夏まで、2年ほど全国を回り、大陸中が崔健に注目するようになった。
1991年2月、2ndアルバム『解決』を発売した。この時は、ADO楽隊との活動は辞めていた。
1992年、『解決』に収録の「快譲我在這雪地上撒点児野」のMVが、MTVの“VIDEO MUSIC AWARD 1991 MTV ASIAVIEWERS CHOICE AWARD CUI JIAN "WILD IN THE SHOW"”(最も観衆に好まれたアジア歌手賞)に輝く。7月には、日本の神奈川県・横須賀で行われた“ぴあ20周年記念コンサート”に参加した。12月28‐30日には、癌基金のために、北京展覧劇場でコンサートを開いた。
1999年前後の崔健
1993年、映画『北京雑種(北京バスターズ)』に出演した。また、映画音楽を手がける。2月には、ドイツ・ベルリンで行われた“中国前衛文化月間”に参加した。4月には、日本の“たまライフ21”イベントに参加した。 1994年、“福岡アジア映画祭”のゲストとして参加する。8月には、3rdアルバム『紅旗下的蛋』を発売した。世界で発売となる。このアルバム製作の時に結成した紅旗下的蛋楽隊を率いて、9月にはアメリカ・シアトルで開かれた“Bumbershoot音楽祭”に出演した。10月下旬には、日本の東京・大阪・福岡・京都でコンサートを行った。
1995年8月には、アメリカでツアーを行い、サンフランシスコ・ニューヨーク・ボストンなどを巡演する。アメリカソロツアーは、中国人アーティストとして初めてで、計6回ほどライブを行った。9月、日本の東京(NISSIN POWER STATION・東京武道館)と大阪(FESTIVAL HALLで2DAYS)でライブを行う。同年末、香港伊麗沙白体育館で2回ほどソロコンサートを開き、成功を収める。
1996年6月には、デンマークで行われた世界最大のロックフェスティバル“Roskilde音楽祭”に参加したほか、国内で多くのコンサートを開く。
1997年、子曰楽隊のアルバムプロデュースを手がけた。
1989年3月、天安門広場で劉元(左)と共に (写真:北京音楽台)
1998年4月18日、河北省石家庄の裕[丹彡]国際体育中心でライブを行った。5月、4thアルバム『無能的力量』を発売する。
1999年、アメリカのシアトル、ロサンゼルス、ボストン、ニューヨーク、ダラス、アトランタでコンサートを開き、アメリカ人・特に華僑の絶大な支持を得る。
2000年3月には、北京普[シ来]文化芸術有限公司(PULAY MUSIC)とマネジメント契約を交わした。10月8日には、北京工人体育場で行われた原創反盗維権大型演唱会に参加し、「飛了」を歌った。崔健にとって北京の大舞台でのコンサートは、1992年以来の事であった。12月2日には、オランダ駐中大使からクラウス王賞を受賞した。
崔健は、中国ロックを初めて公の場で演奏し、国内で初めてロックのソロアルバムを発売した人物である。1stアルバムを発売してから10年以上が経過した今でも、未だに人気が衰えない、中国ロックの顔でもある。彼の人気が未だに衰えない理由は、各アルバム毎にスタイルが変化していること、意味深な歌詞でいつも話題に上がることなどがある。歌詞の解釈は人それぞれであるが、けっして西洋諸国でイメージされているような反体制ロッカーではないと思われる。彼が1stアルバムに収録した「新長征路上的揺滾」は、共産党の長征を茶化したとして、政府の眼に止まることとなってしまったが、現在の中国を愛しているからこそ、その偉大な英雄達の長征を自分流にアレンジして歌ったのである。近年、北京でも大々的にロックコンサートが開かれるようになったが、彼の大型ソロコンサートは1991年以来開かれていない。彼の大型コンサートが北京で開けるようになってこそ、中国ロックは新たな時代へ突き進むであろう。
1990年前後、天安門広場にて (写真:北京音楽台)
2001年1月16日から18日には、香港の葵青劇院で香港城市当代舞踏団とともに現代音楽舞劇“給[イ尓]一点紅色”を公演し、成功を収めた。1月から2月にかけては、フランスのパリ・オランダのアムステルダム、スイスのチューリッヒでコンサートを行う。7月には、イタリア・フランス・ドイツ・スイスでコンサートを開いた。同年、映画『我的兄弟姐妹』に出演し、話題を呼んだ。12月16・17・18日には、深[土川]で行われた第1回深[土川]揺滾音楽節に参加した。 2002年2月5日、吉林省の延吉市へ行き、延辺電視台(テレビ局)の春節晩会に出演した。わざわざ延吉まで行くのは、朝鮮族が最も多い延吉でとても人気があるためであった。2月14・15日には、天津の天津市体育中心で行われた“何夫人潤徳[ロ卑]酒狂歓夜”コンサートに出演した。3月2日には、韓国のソウルでライブを行った。3月9日には、アメリカ・ニューヨークの太平洋城でライブを行った。6月2日には、韓国で行われた釜山ロックフェスティバルに出演した。8月7日、CD CAFEで真唱運動の開始を宣言した。8月17・18日、雲南省麗江の玉龍雪山甘海子で行われた“麗江雪山音楽節”のアートディレクターを務めたほか、自らライブを行った。
2003年1月18日、シンガポールで真唱運動演唱会を開いた。4月4日、北京工人体育館で行われるRolling Stonesのコンサートで前座を務める予定であったが、SARSにより延期になってしまう。8月7日、北京汽車電影院で真唱運動一周年活動を行った。8月8日、天津の天津遊楽場で行われた“天津第四届[ロ卑]酒節”の初日に真唱運動コンサートを行った。9月13日、上海の南京路世紀広場で行われた“上海旅遊節開幕大狂歓”野外コンサートに出演した。9月17日、北京の仁倶楽部で、9月19日には、上海の新天地ARKで行われた“聯動之声・音楽之夜”音楽連誼会に参加し、ドイツの歌手・UDO LINDENBERGと共演した。11月27日、仁倶楽部で行われた“理想不倒,向音楽致敬!”ライブに、一時的に再結成した七合板楽隊の一員として参加した。12月31日、広州市の時代[王攵]瑰園で行われた“時代的晩上---広州・中国新年揺滾音楽節”に出演した。
2003年9月19日、上海の新天地ARKでのライブより (撮影:YIREN)
2004年1月16日、北京首都体育館で行われた伍佰のコンサートにゲストとして出演した。北京での大型コンサートに出演という事で、大きな話題となった。2月、ドイツで10日間のツアーを行った。2月27・28日には上海の美琪大戯院で、3月4・5日は、北京の北展劇場で、ドイツの歌手・UDO LINDENBERGが開いたマルチメディア音楽劇“大西洋故事”に出演した。3月31日には北京の北京工人体育館で、4月2日には、上海の上海大舞台で、4月4日には、広州の広州天河体育館で、「深紫 VS 崔健」と題するツアーを開き、Deep Purpleと共演した。4月、アメリカツアーを行った。5月15日、遼寧省瀋陽市の遼寧老龍口体育館でコンサートを行った。8月6日、北京市楓花園汽車電影院で“真唱運動二周年記念活動”を行った。8月8日、寧夏回族自治区銀川市の賀蘭山の麓で行われた“中国揺滾的光輝道路”大型音楽節に出演し、最終日のトリを務めた。9月21日、上海の新天地ARKで行われたWarwickギターのイベントに参加し、アメリカ人ギターリスト・George Lynchを従えながらライブを行った。10月、国連和平音楽大賞を獲得し、中国のロックミュージシャンとして貴重な国際的な賞を獲得した。12月31日、旅遊衛視(テレビ)の番組「衛視先鋒」で、2004年12月10日に北京の新豪運酒[ロ巴]で行った単独ライブの様子が放映された。
2004年10月21日、新天地ARKで行われたライブより Eddie(G)・劉[王月](B)以外はGeorge Lynch(G)やドイツ人ドラマーが参加するなど、通常の崔健楽隊とは異なる、特別編成であった (撮影:YIREN)
2005年1月13日、北京糖果娯楽空間で行われた“Radio Aid--HIT FM88.7印度洋海嘯賑災義演(スマトラ島沖大地震チャリティーコンサート)”に参加した。3月、5thアルバム『給[イ尓]一点顔色』が発売となった。6月3日、武漢の武漢洪山体育館でコンサートを行った。7月1日、北京工人体育場で行われた“和平的天空-記念世界反法西斯戦争勝利60周年大型演唱会”に参加した。7月16日、雲南省昆明で行われた“時尚風暴-世博節拍”コンサートに参加した。7月29日、広西チワン族自治区北海の銀灘広場で行われた“北海国際海灘旅遊文化節”に参加した。7月31日、内モンゴル自治区四子王旗格根塔拉草原で行われた“2005内蒙古・格根塔拉草原狂歓節”に参加した。同月、崔健が過去に発表した曲をカバーしたトリビュートアルバム『誰是崔健!?』が発売となった。8月6日、北京楓花園汽車電影院で“真唱運動三周年記念”ライブを行い、真唱運動を終了した。8月31日、新豪運酒[ロ巴]で行われた“除旧迎新--為仮唱送終”ライブに登場し、『営業性演出管理条例』の中の「仮唱」に関する法律施行を祝った。9月24日、北京首都体育館で“陽光下的夢”コンサートを開いた。10年以上の歳月を経て、崔健がようやく北京で開いたコンサートで、中国ロックに対する政治的な解釈が変化したということを如実に示すものである。崔健の今までの行動が政府によって認められた結果である。11月4日、西蔵(チベット)自治区拉薩の雪堆音楽酒[ロ巴]でライブを行った。チベットでのロックライブは非常に珍しいことである。11月11日、韓国釜山の釜山社稷体育館で行われた“第二届亜洲音楽盛典”に参加した。 2006年1月6日、北京21世紀劇院で行われた“2005網絡・娯楽・英雄会 TOM在線栄耀盛典頒奨典礼”に参加し、曲を演奏したほか、2005最具演唱会実力歌手奨(2005年最もコンサートで実力を備えている歌手賞)を獲得した。1月10日、初の短編映画作品『修復処女膜時代』がネット配信された。4月8日、上海の上海大舞台で行われたThe Rolling Stonesのコンサートにゲスト出演した。5月9日、新豪運酒[ロ巴]で行われた“記念中国揺滾20周年曁《一無所有》誕生20周年(1986-2006)”ライブに参加した。5月24日、香港のHARD ROCK CAFEでライブを行った。6月16-18日、瀋陽の火車頭体育館で行われた“記念中国揺滾20年”コンサートに参加した。7月15日、星光現場音楽庁のこけら落としライブを務めた。このライブは翌年、DVD化された。7月21日、深[土川]の世界之窗で行われた“昨天-今天--南中国揺滾音楽節”に参加した。7月29日、深[土川]の深[土川]体育館で行われた“昌報5周年慶曁民謡盛典”に参加した。10月4日、広東省増城市増城広場で行われた“首届中国(増城)揺滾&[口卑]酒狂歓節曁第五届新塘国際牛仔服装節”に参加した。
2007年3月26日、星光現場音楽庁で行われたBob Marleyの子・Ziggy Marleyのライブにゲスト出演した。4月23日、星光現場音楽庁で行われたSonic Youthのライブにゲスト出演した。6月22日、青島の頤中体育場で行われた“MOTOROKR音楽会”に参加した。6月24日、成都の龍泉陽光体育城で行われた“MOTOROCKR音楽会”に参加した。7月4日、瀋陽の瀋陽新奥体中心で行われた“国際女子足球四国邀請賽開幕式”に出場した。7月8日、台湾で行われた“第八届台湾貢寮海洋音楽祭”に参加した。7月28日、湖南省岳陽で行われた“銀沙灘音楽節”に参加した。9月9日、北京朝陽公園で行われた“2007北京流行音楽節”揺滾中国舞台に参加した。10月4日、雲南省麗江の束河三朶広場で行われた“麗江雪山音楽節”に参加した。10月6日、韓国の“韓国ソウル芸術節”に参加した。10月7日、上海の同楽坊で行われた“NOTCH07 上海站”に参加した。
2008年1月5日、北京工人体育館で“時代的晩上”コンサートを開いた。この時は、音楽の中にサンバのリズムを取り入れていた。4月26日、成都の四川省体育館でコンサートを開いた。5月3・4日、アメリカでコンサートを開いた。5月22日、星光現場音楽庁で行われた超越那一天”[シ文]川大地震被災者チャリティライブに参加した。7月25日、ポルトガルのシネスで行われた“FMM Sines音楽節”に参加した。9月12日、奥運広場で子曰秋野楽隊と共にライブを行った。9月29日、重慶市大足県龍水湖で行われた“龍水湖畔 国際露営音楽節”に参加した。10月5日、杭州の銭江新城市民中心南広場で行われた“2008杭州首届銭江新城国際音楽節”に参加した。10月22日、南寧で行われた“第五届中国一東盟博覧会曁第十届南寧国際民歌芸術節開幕晩会”に参加した。10月26日、上海の上海大寧国際商業広場で行われた“第十届中国上海国際芸術節”に出演した。
2009年2月7日、海南省三亜で行われた“梅賽徳斯 - 奔馳”群英会に参加した。5月1日、江蘇省鎮江の優山美地空置区域内で行われた迷笛音楽節に参加した。7月26日、内モンゴル自治区呼和浩特市の蒙古風情園万畝草原で行われた“第二届緑色旗幟草原音楽節”総合舞台に出演した。8月15日、寧夏回族自治区銀川市の覧山劇場で行われた“中国揺滾音楽20年経典回顧銀川演唱会”に参加した。9月19日、スペインのマドリードのSALA HEINEKEN1音楽庁で、9月23日、バルセロナのPlaca Reialでコンサートを行った。10月18日、上海の浦東世紀公園で行われた“2009爵士上海音楽節”揺滾&民謡舞台に参加した。10月24日、山東省烟台の烟台大劇院でコンサートを皮切りに、“新長征路上的揺滾V21”コンサートツアーを開始した。10月26日、江蘇省常州の常州大劇院でコンサートを行った。10月29日、広東省恵州の恵州市文化芸術中心でコンサートを行った。10月31日、深[土川]の深[土川]保利劇院でコンサートを行った。11月2日、東莞の玉蘭大劇院でコンサートを行った。11月5日、武漢の琴台大劇院でコンサートを行った。11月7日、鄭州の河南芸術中心大劇院でコンサートを行った。12月4日、台湾台北市の伝でライブを行った。12月24日、北京展覧館でコンサートを行った。
2010年5月7日、日本の埼玉県川口市のリリアメインホールで15年振りの来日コンサートを行った。この時、元メンバーの甘利匡輔(G)が「快譲我在這雪地上撒点児野」の演奏にゲスト参加した。
過去のアルバムを1つにしたアルバムBOXが発売となる予定である。
外部リンク
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ソロ発表曲
曲名 | アルバム名 | 発表年 | 備考 |
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参加アルバム
アーティスト・バンド名 | 曲名 | アルバム名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
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趙鵬与驚堂木楽隊 | 花房姑娘 | 低音炮3套車 | 2010/3/12 | 詞曲 |
出演
媒体 | 曲名 | 収録ソフト名 | 発表年 | 参加形態 | 備考 |
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ドキュメンタリーフィルム | 中国原創音楽20年 | 2011 | インタビュー | ▼DVD |